六十話
流那が起きるまでは家にいたが、目を覚ますとすぐに玄関に向かった。
「お邪魔しました。また遊びに来てもいい?」
「もちろん。流那がいない時でも」
「ヒナちゃんっ」
流那が慌てて駆け寄ってきた。すずめの体に抱き付き、首を横に振った。
「いやあっ。帰っちゃいやっ。帰んないでっ」
「こら、流那。ヒナちゃんにもお家があるんだぞ」
圭麻が叱ると、流那はぽろぽろと涙を流した。
「ヒナちゃんがいなくなっちゃったら寂しいよう……。ずっとそばにいてよう……」
うわあんっと声を上げて泣き出した。圭麻はすずめの方に視線を向けてくる。それがどういう意味なのかはすでに知っていた。
「あたし、お泊りしようか?」
「ごめん。流那、わがままで」
「いやいや。あたしも流那ちゃんと一緒にいたいから」
「え? ヒナちゃん、帰んない? そばにいてくれる?」
ぱっと流那は表情を明るくした。うん、と頷くと、やったあっとバンザイをした。今日一日で、相当気に入られたようだ。
「じゃあ俺、流那を風呂に入れるね。ご飯はその後でいい?」
「それって、圭麻くんの手作り?」
「俺しか作れる人いないから。頑張って作るよ」
家事ができる男子は素晴らしいと、すずめは考えている。もし結婚するなら、そういう人がいい。
「あたしもお手伝いできたら……」
「平気。一人でささっとできるよ。ヒナコはお客だし、ゆっくりと待ってて」
笑いながら話すと、圭麻は流那を連れて洗面所に入った。きっと流那の頭や体などは圭麻が洗っているのだろう。すっかり子供想いの父親だ。
しばらくソファーでぼんやりとしていると、まだ裸の流那と服が濡れた圭麻が現れた。
「まだ拭いてないだろっ。待てっ」
「ここまでおーいでーっ」
楽しそうなやりとりに、あははっとすずめもウケてしまった。
「流那ちゃんがいると、圭麻くんも空しい思いにならないね。よかったよ」
「でも、お世話が大変でね……。全く言うこと聞かないから。ああっ。ちゃんと拭いてないから、あちこち水浸しじゃないかっ」
「あたしが拭いておくよ。圭麻くんは、夜ご飯作って」
「ごめん。ヒナコには何もやらせたくなかったんだけど」
「いいの。いつかお母さんになった時のために勉強しなくちゃ。圭麻くんの手作りご飯、楽しみにしてるよ」
「わかった。ありがとう」
圭麻からタオルを受け取り、流那を捕まえてしっかりと体を拭いた。パジャマも着せてあげる。流那も、すずめにはわがままを言わず大人しくしていた。
「ねえ、ヒナちゃんは、圭ちゃんのお友だちなの?」
「うん。そうだよ」
「ふうん……。圭ちゃん、取らないでね」
「取るって?」
「だって、圭ちゃんと結婚するのは流那って決まってるから。ヒナちゃんが圭ちゃんと結婚したら泣いちゃうよ」
「大丈夫。あたしは圭麻くんと恋人にはならないよ」
キッチンにいる圭麻に聞こえないのを確認しながら答えた。彼は、すずめと恋人同士になりたいと願っている。しかし、すずめが友人としか見ていないと知ったらショックを受けるはずだ。また明るい笑顔が消えるのは嫌だった。
「じゃあ、ヒナちゃんはお兄ちゃんと結婚するんだね」
「お兄ちゃん?」
「さっきお散歩してたら走ってきたお兄ちゃん。ヒナちゃんは、あのお兄ちゃんと結婚するんでしょ」
「しないよー。あのお兄ちゃんも、ただのお友だち」
「なら、ヒナちゃんは誰と結婚するの?」
どきりと心臓が跳ねた。本当に自分は誰と結婚したいのか。これから新しく男性と出会うかもしれないし、ずっと独身かもしれない。
「……あたしは、まだ」
「ヒナコ、流那。ご飯できたよっ」
圭麻がお盆に夕食を乗せてやって来た。流那に合わせたのか、子供が好きそうなハンバーグだった。三人で「いただきます」と言ってから夕食をいただく。
「すごくおいしいー。まさか圭麻くんの手作り料理が食べられるなんて」
「そっか。喜んでもらえてよかったよ」
流那は黙々と食べている。早食いはよくないよ、と注意したかったが、五歳の少女に難しい話をしても仕方ない。食事が終わると、すずめは風呂に入った。姉がおしゃれ好きだからか、置いてあるシャンプーやリンスは値段が高そうだった。風呂からあがりリビングに行くと、流那の姿はなかった。
「あれ? 流那ちゃんは?」
「寝ちゃったよ。ヒナコが泊まってくれて、すっごく嬉しかったみたい」
「こちらこそ、楽しい一日になったよ。やっぱり小さい子って可愛いね」
「ヒナコも、めちゃくちゃ可愛いよ。癒されるし、そばにいるだけで暖かくなれる」
圭麻はいろんな彼女と付き合ってきた。しかしどれも長続きせず、すぐに別れてしまった。すずめとは離れ離れになりたくないと焦ったが、もう絶対にエッチなどしないと決めているはずだ。
「ところで、さっき流那に質問されてたね。誰と結婚したいのかって」
「聞こえてたの?」
「すぐ近くにいるんだし、嫌でも聞こえるよ。まだはっきりとはしてないんだ」
「そりゃあ、高校生だし運命の人なんて見つからないもんね」
「もしかして俺かな? ってどきどきしてたら誰の名前も答えなくて、ちょっと残念だったな」
流那は、蓮と結婚するのかとも質問をしてきたが、あれは聞こえなかったのか。それとも、あえて口に出していないだけだろうか。せっかくの二人きりの世界に余計な男は登場させたくないのかもしれない。もちろんすずめも頭の中から蓮を追いやり、完全に圭麻しか考えなかった。
「……俺も風呂入ってこようかな」
呟いて、圭麻は立ち上がった。ふう、と息を吐いて緊張の糸が緩んだ。
すずめが眠るのは圭麻のベッドになった。流那が有那のベッドで寝ているため、空いているのは圭麻か父の部屋しかない。
「俺が父さんのベッド使うから。知らないおっさんのベッドなんか嫌だろ」
「まあね。じゃあおやすみ」
「うん。しっかり休んで」
にっこりと笑い、圭麻は電気を消してくれた。
これで、すずめは三人の王子の家に泊まり、ベッドで眠ったことになった。ただの村人でしかないすずめがこんな思いをするとは、奇跡が起きない限りありえない。周りにはお姫様のような女の子が溢れているのに、なぜすずめにだけ特別な幸せが与えられたのか。
朝になり、ふっと目を覚ました。ドアを開けると、すでに圭麻と流那は着替えて朝食をとっていた。
「ヒナちゃん、お寝坊さんっ」
「ええ? そんなにぐっすり寝てたのかな?」
壁の時計は十一時を過ぎている。圭麻はキッチンに入り、すずめの朝食を作り始めた。
「流那ちゃん、いい夢見た?」
「うん。圭ちゃんと結婚する夢だったよ」
「へえ……。素敵な夢だね。いつか圭麻くんと本当に結婚するんだもんね」
「ヒナちゃんも、結婚したい人探した方がいいよ」
「うーん。あたしモテないからなあ……。決められないよ」
「流那は、お兄ちゃんと結婚すれば? って思うけどな。とっても優しそうだったし」
「そ、そう? 優しそうかな?」
きょとんとして流那は目を丸くした。少し驚いているようだ。
「ヒナちゃんは、優しそうって思わなかったの? 流那が抱っこしてってお願いしたのは、お兄ちゃんが優しそうでかっこよくって素敵な人だったからだよ。ヒナちゃん、あのお兄ちゃんを見ても何とも思わないの?」
「……かっこいいけど、性格はちょっとなあ……」
すると圭麻がキッチンから出てきて聞いてきた。
「二人で何話してるの? 俺にも教えてよ」
「だーめ。圭ちゃんは男の子だから。ね、ヒナちゃん。女の子だけの秘密だよねー」
「そうだね。男の子には内緒だよねー」
「えー? いいじゃん。教えてくれたって」
柔らかな流那と圭麻の笑顔に、すずめも自然に笑っていた。
「そろそろ帰るね」
言うと、流那は寂しそうな表情をした。しかし「ヒナちゃんにも、お父さんとお母さんがいるんだぞ」と圭麻に叱られ、しょんぼりしながら頷いた。
「いろいろとありがとう。流那ちゃん、また一緒に遊ぼうね」
「えっ。また遊びに来てくれる?」
「もちろんだよ。クッキーも持っていくよ」
「やったあっ。流那、楽しみにしてるねっ」
明るく無邪気な流那に、ほっと息を吐いた。悲しそうな顔を見たくなかった。もう一度圭麻に「ありがとう」と感謝を告げると、ドアを開いた。
道を進んでいると、ふと立ち止まって蓮のマンションに向かった。圭麻の家に泊まったことを打ち明けようと考えた。黙っていればいいのに、なぜかそれができない。インターフォンを押すと、少し間があって蓮が現れた。時間は一時だが、まだ眠っていたらしく寝ぼけまなこだった。
「……何だよ」
「ちょっと話したいことがあって。いい?」
「いいけど……」
そして奥に進む。ソファーに横になり、蓮はあくびをしていた。
「どうしたんだろうね? その眠くて堪らないっていうの。病気じゃないよね?」
「過眠症ってやつかな……」
「過眠症?」
不眠症は知っているが、過眠症は知らなかった。
「そんな病気があるの?」
「ちょっと調べてみたんだよ。原因はわからないけど。はあ……。面倒くさい病気になったもんだ」
「治るの? 病院は?」
しかし蓮は答えず、目を閉じた。本当に眠くて眠くて辛いのだろうとわかった。こんな状態では話などできないと、今日は諦めることに決めた。何も言わずに外に出て、家に向かって走った。




