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五十九話

 土曜日の朝、圭麻から電話がかかってきた。

「流那、もう来てるよ」

「わかったっ。すぐ行くねっ」

 慌てて答えると、バッグにクッキーの缶をしまい外に飛び出した。迷いながらも家に辿り着きインターフォンを押すと、流那を抱っこしている圭麻が現れた。大きなクリクリとした瞳や、圭麻にそっくりのこげ茶色の地毛に、母性が揺さぶられた。

「可愛い過ぎる……。お人形みたい……」

 呟くと、圭麻が流那を見つめた。

「流那、可愛いって褒められたよ」

「え? 可愛い?」

 声は有那に雰囲気が似ている。やはり血が繋がっているのだと、じわじわと感じる。

「よかったねえ。ヒナコお姉ちゃんに、ありがとうって言わなきゃ」

「ヒナコ?」

 よくわかっていないらしい。首を傾げながら、すずめをじっと見ている。

「とりあえず、中に入って」

「うん。お邪魔します」

 奥へ進み、リビングに向かった。圭麻はキッチンでお茶を淹れ、すずめは流那に自己紹介した。

「はじめまして。あたしの名前はヒナコ。よろしくね」

 圭麻がヒナコと呼んでいるため、すずめとは言わなかった。まだ五歳だし、どちらが本名なのかわからなくなってしまうだろう。

「ヒナちゃん?」

「うん。あ、これ。お菓子……」

 バッグからクッキーを取り出すと、流那の瞳が輝いた。

「もしかして、クッキー?」

「圭麻くんから聞いたの。流那ちゃんって、クッキー大好きなんでしょ?」

「うんっ。やったあっ」

 バンザイをしている流那の姿に、すずめもほっと息を吐いた。

「わざわざ持って来なくてもよかったのに」

 背中から圭麻に声をかけられた。ぶんぶんと首を横に振った。

「手ぶらで遊びになんていけないよ。喜んでもらって、あたしも嬉しいし」

 流那はすでに蓋を開けてクッキーを食べていた。さらに、すずめと圭麻にも差し出す。

「圭ちゃんとヒナちゃんも一緒に食べよう」

「こら、ヒナコお姉ちゃんだぞ」

「構わないよ。むしろヒナちゃんの方がお友だちみたいだし。圭麻くんは、圭ちゃんって呼ばれてるんだね」

「高校生で叔父さんは嫌だしね。圭麻叔父さんなんて」

「そりゃあそうだよ。圭ちゃんなんて可愛いねー」

「ヒナコも、圭ちゃんって呼べば?」

 にっと笑った圭麻に、苦笑して答えた。

「いやいや。あまりにも馴れ馴れしいし。蓮くんにも怒られそうだから」

 はっとして口を閉じた。二人きりでいる時は、他の男について考えてはいけないと注意された。頭の中に浮かんでいるのは自分だけだと思いたいのに、別の名前が出てきたら絶対に傷つく。案の定、圭麻から笑顔が消え、視線を逸らした。

「流那、全部食べたらお腹痛くなっちゃうぞ。今日はここまで」

 缶の蓋を閉め、流那は「はーい」と答えた。

「圭麻くん……。ご、ごめん……」

 謝ったが、圭麻は冷たい言葉を返してきた。

「ごめん? どうしてごめんなんて言ってるの?」

「だって、気分悪くさせちゃって」

「気分悪くなってないけど。ヒナコ、おかしな妄想でもしてるの?」

「妄想……じゃなくって……」

「ねえ、流那、お外歩きたーいっ」

 凍り付いていた空気が、流那によって穏やかになった。

「散歩に行きたいの?」

「うん。だめ?」

「別にいいけど。ヒナコもついて来てくれる?」

「もちろん。ちょっと体動かした方がいいかもね」

 ぎこちなかったが笑顔を作ると、圭麻と流那は玄関へ行った。

 歩きたいと言っていたが、流那はずっと圭麻に抱きかかえられたままだった。少し不思議になって聞いてみた。

「流那ちゃん。自分で歩かないの?」

「俺に抱っこされるのが大好きなんだよ。遊びに来ると、ずっとこの状態なんだ」

「圭麻くんは背が高いから、遠くまで見えるしね。あたしもお父さんにおんぶしてもらうの大好きだったなあ」

 こんなにイケメンな王子様に抱っこしてもらえる流那が羨ましかった。というか、これほどかっこいい叔父が世の中に存在しているとは驚きだ。

「ねえねえ。ヒナちゃん」

「ん? なあに?」

 流那に話しかけられ、視線を移動する。少し頬を赤くしながら、流那は微笑んだ。

「あのね、流那、圭ちゃんと結婚するの」

「え? そうなんだ」

「うん。圭ちゃんのお嫁さんになるの。早く圭ちゃんと結婚したいなあ」

 ははは……と苦笑しながら、圭麻が横から口を出した。

「いやいや。さすがに叔父と姪っ子は無理だからね」

「やだっ。流那は圭ちゃんがいいのっ」

「いいのって言ってもね……。それに俺は」

「流那ちゃんと圭麻くん、お似合いのカップルだと思うよ。いいねえ。結婚するなんて」

 遮ってすずめが話すと、瞳を輝かせて流那はにっこりと笑った。

「でしょ? ほらほらっ。ヒナちゃんもそう言ってるよ。結婚しようね、圭ちゃん」

「最近は年の差カップルもあるし。叔父と姪っ子が結婚することもできるんじゃないの?」

 調べていないからわからないが、もしできるなら流那の夢を叶えてあげたい。

「……まあ、まだ五歳だからね。もっと大人になってから考えよう」

 頭をかきながら圭麻が話すと、突然遠くから声が飛んできた。

「お、おいっ」

 振り向くと、蓮が駆け寄ってきた。かなり衝撃を受けた表情だった。

「あれ? 蓮くん?」

「こいつ……。ま、まさか」

「ああ、流那ちゃんだよ。圭麻くんの姪っ子。髪や目がそっくりでしょ?」

「姪っ子? ……何だ。そういうことか」

「どうして焦ってるんだよ?」

 圭麻も少し驚いている。ふう、と息を吐いて蓮は呟いた。

「本当に子供が産まれたのかと思った」

「子供? う、産むわけないでしょっ」

「もしかして妊娠してたのかって考えたんだよ。びっくりした……」

 もう一度息を吐いて蓮はその場から立ち去ろうとしたが、流那に呼び止められた。

「お兄ちゃん。抱っこして」

 くるりと振り返り、蓮は目を丸くした。

「は? 抱っこ?」

「うん。抱っこしてもらいたーい」

 子供の無邪気さに、すずめはある意味恐ろしくなった。五歳児の女の子に冷たいセリフは飛ばせなかったのか、曖昧に頷いて蓮は流那の背中に腕を回した。

「け、けっこう重いんだな」

「俺の可愛い姪っ子だから、大事に持ってくれよ」

「わ、わかってる」

 慣れていないせいか、危なっかしい手つきで蓮は流那を抱きかかえた。流那は怖がるどころか、嬉しそうに喜んでいる。

「うわあ……。蓮くん、お父さんみたいー」

「へえ……。急に優しそうな奴に見えてきたぞ」

 からかうと、すぐに蓮は流那を降ろした。

「もういいだろ。俺は暇じゃねえんだよ」

 そして黙ったまま走って行った。

「意外にも、子供苦手なのかな? あんなに戸惑ってる蓮って見たことないな」

「でもいつか自分の子供が産まれたら、毎日抱っこするんだろうけど」

「自分の子供……。蓮には好きな子ができるのかね?」

「さあ? 本人はいらないって決めてるけど」

 首を傾げると、流那を抱っこしながら圭麻は呟いた。

「実は、すでにいるけど恥ずかしいから誤魔化してたり、恋愛経験がないから好きだって気づいてなかったりってこともあるけどね」

 どきりとして鼓動が速くなった。

「でも、蓮くんって恋人どころか友だちも一人もいないんだよ? どうやって出会うチャンスがあるの?」

「いろいろだよ。クラスの中で、可愛いなって思う子が一人くらいいるかもしれない。俺だって、たまたまヒナコに会って、大好きになったんじゃん」

 よく考えたら、そういえば蓮に会ったのも柚希に会ったのも圭麻に会ったのも、たまたまだった。蓮はデパート。柚希は夏祭り。圭麻は初詣。みんな偶然どこかで出会って、今はこんな関係になっている。

「そっか……。これから見つかるかもしれないしね」

「人間なんだから、好きな人はできるよ。きっと」

「圭ちゃん、ヒナちゃん。帰りたいー」

 流那のわがままが聞こえ、帰ろうかと圭麻に言われた。すずめも行く当てはなく、素直に頷いた。




「ところで、有那さんは何時ごろ帰ってくるの?」

 質問すると、圭麻は即答した。

「明日の五時。今日は戻って来れないって」

「ふうん……。お仕事?」

「デザイナーなんだ。けっこう人気で、いつも忙しくしてるよ」

「デザイナーか……。素敵な職業だね」

 うっとりと憧れの眼差しを向けると、また即答した。

「人使いの荒い、弟をパシリと考えてるような奴だけどね」

「おしゃれで綺麗なお姉さんなのに、そうやって悪く言っちゃだめだよ」

「まあ、小さい頃は母親として育ててくれたしね。感謝しなきゃいけないな」

「そうそう。いっぱいお礼しないと」

 二人で話し合っていると、流那はソファーで眠っていた。柔らかな寝顔に、また母性が揺さぶられた。

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