五十六話
デート当日。待ち合わせ場所に行くと、二十分ほど経ってから圭麻が駆け寄ってきた。これまで蓮や柚希の私服姿を見てきたが、圭麻はピアスや迷彩のシャツ、クラッシュデニムなど、いかにもアイドルっぽい格好で、どきどきが隠せなかった。完全に見惚れてしまい、すずめはしばらく言葉を失った。
「ヒナコ? どうしたの?」
はっと我に返り、掠れた声で答える。
「だって……。圭麻くんが……。かっこよすぎて……」
素直に伝えると、ぼっと圭麻は頬を赤くした。かなり照れまくっているようだ。
「そ、そうかな? 俺、そんなにかっこいい?」
「かっこいいよ。モデルみたいで素敵すぎるよ」
「大好きなヒナコに褒めてもらえて嬉しいよ。こんな体で産んでくれた母さんに感謝だな……」
すでに亡くなっている圭麻の母。可哀想という切なさが胸の奥に浮かんだ。
「じゃあ、さっそく行こうか」
「行くって言っても、どこにするの?」
「ヒナコが決めていいよ」
「え……。あたし、それほど知ってる場所ないし。圭麻くんが連れて行って」
慌てて返すと、圭麻も首を傾げた。
「そうだな……。ヒナコが好きそうなところは……」
考え込んでいると、後ろから女子の叫び声がした。
「ああああっ。圭麻っ」
振り向くと、圭麻の元カノが嫉妬に燃えた表情で睨んでいた。さらにすずめに指を差して怒鳴りつける。
「あんたのせいよっ。あんたが圭麻の弱みを握って、あたしたちは離れ離れになっちゃったのっ。圭麻が哀れで泣けてくるわ。こんなブス女と無理矢理付き合う羽目になったんだもの」
そしてすずめの頬を叩こうと手を挙げた。
「このブサイク女っ。あたしの圭麻を返せっ」
しかし手は振り下ろされなかった。圭麻が阻止したからだ。
「圭麻っ。どうしてこんな女を庇うのよ?」
「ブサイクなのはお前だろ。俺じゃなくて、俺の持ってる金が好きだったんだってわかってるんだぞ。わがままばっかり言って、お前に使われた金額がいくらか教えてやろうか?」
「な……何言ってんのよ? あたしは圭麻が大好きで愛してたわよ」
「ふうん……。でもそれって、俺が金持ってるって知ってたからだろ?」
先ほどとは違う冷ややかな口調に、すずめは驚いた。まるで蓮みたいな態度にぎくりとした。
「俺の彼女はお前じゃなくてヒナコだ。馴れ馴れしく名前呼ぶなって言ったよな? さっさとどこかに行けよ。二人でデートしてるんだから」
「……あ、あたしだって、すぐに彼女捨てる男なんか嫌いよ。愛してるって言ってたのは、全部嘘ってわけね」
「そうだ。ようやく気付いたのか。お前って性格も頭も悪いんだな。ろくでもない人間だな」
彼女は涙を流しながら走って行った。意外にも圭麻は怒ると怖いらしい。
「いいの? あの子……。泣いてたよ?」
「構わないよ。どうせ学校も変えちゃったし。二度と仲良くなるつもりはないから」
「けっこう綺麗な子だったけど」
「でも中身はどす黒いよ。さっきも話したけど、俺の持ってる金が大好きで、バッグだの服だのアクセサリーだの、たくさん買わされてさ。あの女のせいで失った金は二〇〇万くらいだよ」
「二〇〇万? それはさすがに使い過ぎだね。いくら彼女だとしても……」
あまりの金額に衝撃を受けた。確かに圭麻を愛しているとは思えない。
「ヒナコ、うちに来ない?」
そっと囁かれ、目を丸くした。
「え? 圭麻くんのお家?」
「どうせ誰もいないし。外にいたら、またうるさい奴が邪魔するかもしれないだろ」
にっと微笑む彼に、すずめはアイスのようにとろけた。
「うん。圭麻くんってどういう家に住んでるのかって見てみたかったし」
「よし決まり。割と近くだから」
手を握り締められ、全身が沸騰しそうになった。
金持ちと呼ばれていたが、家は普通の大きさだった。フローリングには埃ひとつ落ちていない。家具もぴかぴかに光っていた。
「男の子が暮らしてる家なのに、ものすごく綺麗でびっくり」
「姉さんが潔癖症で。片付いてないと怒られるんだ」
「そういえば、圭麻くんってお姉さんがいるんだよね。どういう人? 優しい?」
「弟想いなのはわかるけどキレやすくて。母さん似だったらよかったよ」
苦笑する圭麻を見つめて、改めて切なさが浮かんだ。すずめの気持ちが届いたのか、圭麻は自室に行き何かを持ってきた。写真立てのようだ。幼い圭麻を抱いている女性が写っている。
「へえ……。圭麻くんって、髪染めてるんじゃなくて地毛がこげ茶色なんだね」
「よく染めてるって聞かれるから、説明するのが面倒くさくてね。癖っ毛は父さん似」
横にいる圭麻の姿をじっと眺める。息子がこれほど美しいのだから、父も素敵な男性なのだろう。蓮や柚希も同じだ。高校生ですでにあの美貌なら、この後どこまで変身するのか。
突然、圭麻はすずめの髪に顔をうずめてきた。どきりとして質問する。
「な、何してるの?」
「いい匂い……。ヒナコって甘くておいしそうな匂いがするね」
「おいしそうな匂い? そ、そうかな?」
「チョコレートというか、甘いお菓子。食べたくなるよ」
ぽっと頬が火照る。かっこいい圭麻に褒めてもらえるとは。
「飲みたいものない?」
「あ、じゃあ、お茶」
「紅茶? 普通の?」
「というか、あたしが淹れるよ」
圭麻のとなりに行くと、コップを二つ用意した。
「俺は飲まないよ」
「え? 喉乾いてないの?」
もう一度繰り返すと、彼はすずめの唇を奪った。あまりにも素早く、かなり慣れている感じだった。
「な……。なななっ」
「やっぱり、ヒナコってお菓子の味がするんだね」
柔らかく穏やかな圭麻の笑顔に鼓動が速くなっていく。これで三人の王子様とキスを交わしたことになる。村人のすずめが、まさか王子様と口づけするなんて。
「こっちに来て」
手を握られ、そのまま部屋に連れていかれた。ベッドに勢いよく押し倒され、逃げられないように圭麻は馬乗りになった。
「もう我慢できないよ」
「が、我慢?」
すると服を脱ぎ始めた。冷や汗が噴き出し、体が震える。
「ヒナコ、食べてもいい?」
「食べる? どういう意味?」
まだ気づいていないフリをしたが、圭麻は真っ直ぐな眼差しで呟いた。
「……エッチなこと……。したい……」
ばくんと心臓が跳ね上がった。だがすでに時遅し。逃げられる状況ではない。
「ま……まままま……待って……。あたしたち高校二年生だし、早すぎる……」
「ヒナコ、俺が嫌い? 俺とエッチなんかしたくない?」
「好き嫌いじゃなくて、お腹に子供ができたら大変って話。妊娠したらまずいでしょ?」
「一回くらいなら平気じゃないの? 俺も子供ができるのは怖いけど、我慢できないんだよ」
上半身が露わになると、圭麻はすずめの耳たぶを軽く噛んだ。興奮しているからか息が荒く、すずめも大汗をかいていた。
「わ、わかった。一回だけだからね。今日だけだからね」
「うん。ヒナコも服脱いで……」
震えながら服のボタンに手をかけた。緊張してうまく外せずにいると、バシッと圭麻の頭が叩かれる音がした。
「いってえ。……って、有那っ」
「エロ男。何やってるの?」
大人の女性の声がした。慌てて起き上がると、腕を組んだ圭麻に雰囲気が似ている美女が睨んでいた。
「何って……。別に」
「彼女とエッチなことしようって考えてたんでしょ。お姉ちゃんに嘘なんて通用しないわよ」
「うるさいな。一回くらいなら」
「一回でも二回でも同じっ。さっさと服着て、お姉ちゃんにコーヒー淹れなさいっ」
バシっとまた頭を叩かれ、圭麻はぶつぶつと文句を言いながら部屋から出て行った。ふう、と息を吐いて圭麻の姉はベッドに座った。
「大丈夫? おかしなことされなかった?」
「平気です……。あの、圭麻くんの」
「そう。お姉ちゃんです。立川有那です。お姉ちゃんて言っても九歳も離れてるから、お母さんって感じだけど」
「九歳も? 姓も天内じゃないんですね」
「子供もいるしね。あなたの名前は?」
「日菜咲すずめです。圭麻くんにはヒナコって呼ばれてます」
「ヒナコ? 可愛いわねえ。あたしもヒナコちゃんって呼んでいい?」
「ど、どうぞ。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げると、圭麻が戻ってきた。
「コーヒー淹れたよ。全く、弟をパシリとしか見てない、人使いの荒い姉で疲れるよ」
「あらあ? またずいぶんと生意気な口叩くようになったわねえ。あたしの方も、圭麻が彼女と子供作ったらどうしようって眠りにもつけないわ」
「で? 今回はどんな用? 流那のお世話?」
ぱっと有那の目が明るくなった。
「おっ。よくわかってるじゃない。夏に大学の友だちの結婚式があるの。でも式場がハワイだから流那は連れていけないのよ。ただ行くだけじゃもったいないし、ちょっと遊んでこようってことになって。おみやげいっぱい買って来てあげるから、お願いだよー」
「流那? って誰?」
すずめが質問すると、圭麻は即答した。
「有那の子供で、俺の姪っ子」
「え? 圭麻くんって、もう姪っ子がいるの?」
おお……と尊敬の眼差しで見ると、圭麻はぶっきらぼうに言った。
「しょうがないな。わかったよ。ただし夏休みの間だけだよ」
「ありがとー。流那も圭麻に会いたがってるし、ちょうどいいから」
にっこりと笑って、有那は部屋から出て行った。




