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五十三話

 月曜日になり、登校していると横に蓮がやって来た。これまで蓮に「おはよう」と言われたことはなく、必ずすずめから声をかけている。

「蓮くん、おはよう」

 聞かされた過去の出来事は完全に忘れてしまったという明るい笑顔を向けると、いきなり後ろからぎゅっと抱き締められた。

「ヒナコ、おっはようっ」

 慌てて振り返ると、圭麻が見つめてきた。

「お、おはよう。圭麻くん」

 すぐに答えると、すずめに抱き付いたまま圭麻は蓮に視線を移した。

「……羨ましいなら、蓮も抱き付けばいいじゃん」

「羨ましい? 俺は女好きとは違うんだよ」

「ふうん……。俺には羨ましがってるふうに見えたんだけどなあ」

 蓮の気が障りそうな言葉をストレートにぶつける圭麻に、冷や冷やしっぱなしだ。

「……くだらねえな」

 呟いて、蓮は先に歩いて行ってしまった。少し声を荒くし、すずめは圭麻を睨んだ。

「あんまり蓮くんをイライラさせないでよ」

「え? 俺はありのままを話しただけだよ」

「言っていいことと悪いことがあるでしょっ」

 まだ朝なのに、すっかり疲れてしまう。ため息を吐くすずめの頬に触れ、圭麻はにっこりと笑った。

「それに、俺はヒナコと二人きりになりたいんだ。蓮に邪魔されるのは嫌なんだ」

「……だからって、喧嘩になりそうなことはしないでよ」

 もう一度息を吐き俯いた。圭麻はその頭を優しく撫でてくれた。

 教室に入ると、圭麻の笑顔は消え真顔に変わる。もちろん理由は蓮がすずめのとなりに座っていて、自分は後ろの席だからだ。透明の火花がバチバチと燃え上がっている。ふと、これまで全く考えていなかったあることが浮かんだ。くるりと振り向き圭麻に質問した。

「そういえば、圭麻くんって全然モテないよね。ファンクラブもないし。何で?」

「え? ああ、それは俺がすでにヒナコの名前を知ってたからだよ。つまり、俺には好きな子がいるから、わざわざ告白したり仲良くしようとしても無理ってわけ」

「ええ? みんなに恋人同士だって見られてるって意味?」

 ぽっと頬を赤くすると、じろりと蓮の睨む視線が飛んできた。冷や汗が流れたが、圭麻は勝ち誇ったように蓮を見つめた。

「こーんなに可愛い女の子とお付き合いできるなんて、俺は幸せ者だなあ。ねえヒナコ。俺たちってラブラブカップルだよねえ」

「いや、あたしはまだ恋人同士とは」

「ヒナコのこと大好きだよ。ヒナコは俺のこと好き?」

 うまく答えられず、冷や汗が噴き出す。蓮はイヤホンを耳にはめて窓の外を眺めた。馬鹿馬鹿しくなったらしい。




 休み時間に圭麻を連れて廊下の隅に移動した。

「いい加減にしてよ。蓮くんが不機嫌になることしないで。いつ喧嘩が始まるか、あたし怖くて堪らないんだよ」

「大丈夫だって。イライラはするかもしれないけど、ヒナコが泣くから乱暴はしないよ」

「蓮くんって一年生の頃、不登校で喧嘩ばっかりしてたの。もし本当に頭に来たら殴るかもしれないよ」

 さらに蓮の過去についても話した。腕を組んで圭麻は聞き、終わってから息を吐いた。

「へえ。虐待ね。意外だったな」

「これからは心安らぐ日々を送ってほしいのよ。お願いだから挑発するような態度はやめて」

 強く固い口調で言ったが、圭麻は曖昧に頷いた。

「別に、俺はあいつに挑発してるわけではないよ。ただヒナコと仲良く楽しく過ごしてるだけ。あっちが勝手に睨んだりイラついてるってだけで」

 確かに、蓮が無視して気にしなければいいのだ。しかし現在はいちいち反応している。爆発するのは時間の問題だ。

「頼むから、これ以上蓮くんをイライラさせないで。約束して」

 素早く伝えると教室に戻った。

 次の休み時間は、柚希に会いに行った。二人がまずい方向に進んだらどうしようという相談だ。しかし柚希は首を傾げて、いいアイデアを教えてはくれなかった。

「それは俺にも予想できないし、止めることもできないよ」

「うう……。そうなんだよね。クラスメイトが乱暴者って噂流すかもしれないし、そうしたらまた不登校になるかも……」

 項垂れて呟くと、柚希がすずめの両手を握り締めた。かなり力が強く、放したくないという言葉がはっきりと感じられた。

「柚希くん? どうしたの?」

「昨日、また母さんがうるさく叱ってきてさ」

「叱ってきた? どんな風に?」

「結婚についてだよ。俺はお見合いなんか嫌だって反抗したら、わがままな子ね、だってさ。桃花なんか、わがままの塊みたいなのに。どうして俺ばっかりうるさく怒鳴るんだろう……。すずめちゃんのお家に逃げたかったよ」

 家出をしたくなったらうちに来い、と話したことがある。王子様が村人の家に住むなどありえないが、彼を助けたくてそう伝えたのだ。

「有名会社の一人息子も大変だね。世界で活躍するんだもんね」

「でもね。俺、会社の跡継げなくてもいいやって考えてる」

「え?」

 驚いて目を丸くすると、柚希は柔らかく微笑んだ。

「他に夢ができたから。もっともっとほしいものがね」

「ほしいもの? 何?」

「詳しくは言えないよ。ごめんね。……すぐ目の前にあって毎日必ず見るんだけど、絶対に俺だけのものにはならないんだ。手を伸ばせば届くのに、かといって自分のものにはならないんだよ」

「ふうん……。じゃあ、いつか柚希くんだけのものになるといいね」

「そうだね。もし手に入ったら、きっと俺は幸せになるだろうな」

「それがあると、柚希くんは幸せになるの?」

「もちろん。みんなに自慢しちゃうよ。俺以外にもほしがってる人がいるからね」

「けっこう人気なんだ。あたしも見てみたいなあ」

 すぐ目の前にあって手を伸ばせば届くのに自分のものにはできないとは何だろう。お金はたくさんあるから買えないというわけではなさそうだし、すずめには想像できなかった。

「……そうだ。日曜日に二人で歩かない?」

 大好きな柚希に誘われ、蓮と圭麻の喧嘩をすっかり忘れてしまった。

「うんっ。行く行くっ」

「よかった。待ち合わせは? すずめちゃんが決めていいよ」

「十一時に図書館の前で。どうかな?」

「わかった。楽しみにしてるよ」

 嬉しくて、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。柚希も満足そうに笑っていた。


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