四十八話
キッチンで一人悩んでいると、知世が入ってきた。
「後はお母さんが作るよ」
「だめ。ちゃんと全部自分で作らなきゃいけないの。もう高校生だし」
「だからって、バレンタインデーに間に合わなかったら大変でしょ」
「間に合わなかったら、できなかったって素直に謝るよ。とにかく、お母さんは手伝わないで」
柚希が食べたいのは、すずめが作ったチョコだ。すずめと母が作ったチョコはいらない。
「愛情も、いっぱい込めなくちゃいけないしね」
心配そうに見つめながら、知世はキッチンから出て行った。
形はよくないが、十三日にチョコは完成した。綺麗にラッピングし鞄にしまう。
「喜んでもらいたいな……」
呟き、淡い期待に胸を膨らませて眠った。
翌日、柚希がいるA組に行ってみた。すでに女子が集まり、チョコを渡していた。黄色い声が廊下まで響いている。その凄まじい恋心に、すずめは一気に自信を失くしていった。自分には無理だとB組に戻った。こんなド素人が作った形の悪いチョコなんてもらっても食べる気すらしない。諦めてチョコを鞄にしまうと、となりに座っていた蓮にバレてしまった。
「おい。それってチョコだろ」
「あ……。うん。まあ……」
「渡さないのかよ?」
「い、今はね。周りにいる女の子が多すぎて近づけないの。後で渡しに行くよ」
苦笑し、蓮は視線を逸らした。
しかし、結局すずめは渡すどころか、会いにも行かなかった。昼休みに空き教室で弁当を食べていると、蓮が聞いてきた。
「お前、いつになったらチョコ渡しに行くんだ?」
「ま、まだ」
「もしかして、あげるのやめたって考えてねえか?」
ぎくりとした。その動揺が隠せず、蓮に怒られてしまった。
「あいつ、ずっとお前が渡しに来るの待ってるはずだぞ。せっかく頑張って作ったのに、無駄にするのかよ」
「だって……。あたしにもらったって嬉しくないじゃん。あたしのチョコなんて、おいしくもないし形もよくないし喜ぶわけないもん」
「またそうやって妄想する。お前、あいつに憧れてるんだろ。なら逃げないで告白するくらいの勢いでぶつかれよ」
「告白なんか絶対にできないよ。柚希くんがどれだけモテるのか、蓮くんだって知ってるでしょ」
ぽろぽろと涙が零れた。弱くて情けない自分が嫌で堪らない。ふう……と息を吐いて、蓮はすずめの頭を撫でた。
「とりあえず、放課後まで時間はあるから必ず渡せよ。もし自分で食ったら、あいつにバラすからな」
はっとして蓮の腕を掴んだ。
「バラすなんてやめてよ。お願いだよ」
「バレるのが嫌なら渡すんだ。わかったな」
固い口調に、がっくりと項垂れた。これはもう勇気を振り絞るしかないようだ。
「わかった。渡すから、バラすのはやめて」
よし、というように蓮も大きく頷いた。
何度かA組を覗き、ようやくチャンスがやって来たのは廊下を歩いている時だった。柚希が肩を叩いてきたのだ。
「すずめちゃん。やっと会えた」
「ちょ、ちょっと待ってて」
慌てて言うと、教室に走って鞄からチョコを取り出した。そしてまた柚希の元に走って戻る。真剣な眼差しで差し出した。
「はい。チョコ。頑張って作ったよ」
柚希は驚いた表情をし、やがて明るく穏やかな笑顔に変わった。
「うわあ……。ありがとう。今日、朝からずっと待ってたんだ」
「待ってた?」
「早く来ないかなって。もしかして作るのやめちゃったのかなって思いもあったけど」
「やめるわけないよ。大事な柚希くんのためだもん」
大好きな柚希くん、と言いそうになってどきりとした。柚希はすずめの頭を撫で、満足そうに微笑んだ。
「本当に嬉しい。こんなに感動したバレンタインデーって初めてだよ」
そこまで喜んでくれるとはと、すずめも胸が高鳴った。ほっとしてにっこりと笑う。
「あんまりおいしくないかもしれないけどね。じゃあ、これで」
「うん。ごちそうさま」
手を振って柚希は歩いて行った。
「やればできるじゃねえか」
蓮の声が耳に入る。後ろを振り返ると、腕を組んで立っていた。
「いたの?」
「嘘ついてないか後つけてたんだよ。きちんと渡して偉かったぞ」
ぽろっと涙が溢れた。ずっと緊張していた糸が緩み、我慢していた想いが涙として流れた。
「あ、あたし……。怖かったよ……。蓮くんにバラされたら、柚希くんに嫌われちゃうって……」
「これからもあいつと仲良くできるぞ。よかったな」
泣き顔など恥ずかしくて柚希には見せられないが、なぜか蓮には平気で見せられる。悩みも愚痴も打ち明けられる。部屋にも泊まっているし昼休みは二人で弁当を食べているし、愛しているからではないがキスだってしている。もうエミや知世よりも近い存在だ。こうして無理矢理ではあるが背中を押してくれるし、男の子の気持ちについてアドバイスしたり頼りになる。もし蓮がいなかったら、絶対に自分で食べ、間に合わなかったと柚希に嘘をついていた。彼の喜ぶ姿は見れなかったのだ。
帰りは寄り道をした。ブランコがある公園に行き、泣いて赤くなった目を家族に見せないようにと蓮が言ったのだ。意外と優しい性格なのだと、だんだん謎が解けていく。
「今日、蓮くんはチョコもらわなかったんだ」
「もらってもしょうがねえし。捨てるだけだ」
「どうして捨てちゃうの? 女の子が可哀想じゃない」
すると背中を押された。ひいいっと叫び声をあげる。
「いきなり押すのやめてよー」
足で止めると、蓮は固い口調で答えた。
「俺は、本当に心の底から好きな女のものしかほしくねえんだよ。お前だって、俺からもらったものより真壁からもらったものの方が価値があるって考えてるだろ」
「本当に心の底から好きな人かあ……。確かに柚希くんが笑ってくれると幸せになるよ」
だが、すずめは蓮が笑ってくれても幸せになる。こうして二人きりでおしゃべりしているひとときだって宝物なのだ。
「……蓮くんが好きな人って、どこにいるんだろうね。いつか現れるのかなあ」
「現れたとしても、向こうが嫌がったら恋人同士にはならないしな」
「恋愛って難しいよね。だけど、蓮くんに告白されて断る女の子はいないとあたしは思うけど」
性格は問題ありだが、容姿は非の打ちどころがない。ふむ、と蓮は頷き、そっと呟いた。
「俺は彼女いらないって決めてるからな。告白は向こうからだろ」
「もったいないー。そんなにかっこいいんだから、自信持ちなよ」
「自信じゃなくて、相手の気分に合わせるのが面倒くさいってだけだ。金遣いが荒かったりわがままだったりしたら、ストレス溜まるだろ。そろそろ帰るか。七時半になっちまった」
「七時半? は、早く帰らなきゃっ」
慌てて公園から出ると、そのまま蓮を置いて走った。
部屋に入り、ベッドに寝っ転がった。蓮の言葉が蘇る。
「相手の気分に合わせるのが面倒くさい……」
金遣いが荒く、わがままな女とは、まさに初詣で出会った彼女だ。彼氏は彼女の自分勝手な言動に、いちいち謝っているとすずめは想像した。恋人に振り回され、全くいい気はしないだろう。できれば別れたいと願うはずだ。
「……あの王子様、偉いなあ。彼女が何しても我慢してるんだから」
たぶん蓮だったらすぐに捨てるに違いない。柚希は我慢するかもしれないが、母が黙っていない。
「また、あの優しい笑顔……。見たいなあ……」
しかし学校はもちろん、名前も何も知らないのだから再会はできないだろう。エミにも彼のかっこよさを教えてあげたかった。




