四十七話
二月に入ると、女子も男子もどきどきするイベントがやって来る。バレンタインデーだ。さっそくチョコ作りを始めている子もいるし、すずめのように友だちだけのチョコを用意している子もいるし、みんなバラバラだ。当然、ファンクラブのメンバーは柚希宛てに手作りチョコと決めており、教室内は甘い雰囲気で賑わっていた。
「蓮くんって、バレンタインデーのチョコってもらったことある?」
昼休みに眠気と戦っている蓮に聞いてみた。
「は? 何か言ったか?」
「……いや。別に……」
むっとして横を向くと、勢いよくすずめに寄りかかってきた。今日はズシッと重く、耐えきれずに床に倒れた。上に蓮が乗っかって、じたばたと暴れる。
「蓮くん、起きてっ。どいてよー」
逃げる余裕はなくそのまま抱き合った状態でいると、ドアが開いた。ぎくりとして視線を向けると柚希が目を丸くして立っていた。
「すずめちゃん? 何してるの?」
「い、いや。おかしなことしてたんじゃないよ。蓮くんがあたしに寄りかかってきて、重くて床に倒れちゃって……」
慌てて説明したが、柚希はきょとんとしている。
「……とにかく、蓮くん……。どかして……」
弱々しく伝えると、柚希は蓮の腕を掴み降ろしてくれた。ふう……と息を吐いて、汗を拭う。
「柚希くんが来てくれてよかったよ。というか、どうしてここに?」
質問の返事はせず、柚希は優しく微笑んだ。
「ねえ、俺も寄りかかっていい?」
「え?」
「高篠くんみたいに。すずめちゃんの肩で寝たいなあ」
ぼっと頬が赤くなった。鼓動が速くて全身が熱くなる。
「構わないけど、あたしの肩なんか寝心地悪いよ?」
「悪くても、すずめちゃんのそばで寝てみたいんだ。あんまり重くならないように気をつけるから」
穏やかな笑顔と言葉に、こくりと頷いた。並んで床に座ると、柚希は頭を乗せてきた。やがて寝息が聞こえる。母からのストレスやプレッシャーで、かなり疲れているのかもしれない。蓮と同じく柚希も少年の顔で眠っていた。
「可愛いなあ……」
そっと手を伸ばす。さらさらと藍色の髪に触れると、ばくんばくんと胸が跳ねた。高校生だし、すずめの体にも母性が宿り始めているのだと感じる。
その時、もう片方の肩も重くなった。蓮が寝ぼけながら寄りかかったのだ。男子二人の体重を支えられるほど、すずめには力はない。あわわわ……と冷や汗を流しながら、また倒れてしまった。はっと目を覚まし蓮と柚希は同時に答えた。
「あ、ご、ごめんね。重すぎちゃったかな?」
「痛えなあ。おい。ちゃんと座ってろよ」
言葉は正反対だが、どちらも腕を掴んで起こしてくれた。
「だって……。蓮くんと柚希くん一緒にはきついよ……」
ふと蓮が柚希に目線を向ける。いつからいたのかという疑問と、せっかく二人きりでいたのにという少し不快そうな目つきをしていた。軽く笑いながら、柚希は答えた。
「そうだよね。わがまま言ってごめん。ところで、すずめちゃんに質問したいんだけど。バレンタインデーのチョコ、誰かにあげるの?」
「あたし? 友だちにはあげるって約束してるけど」
「そっか。男にはあげないんだ?」
「うん。これまで一度もあげたことないし」
「なら、俺にくれない? ぜひともすずめちゃんの手作りチョコ食べてみたいな」
緊張で体が固まった。男子のために作った経験はないし、大好きな柚希からお願いされるとは……。
「無理ならいいよ。断ってくれても」
「断るなんて。頑張って作るよ」
慌てて答えると、「ありがとう」と微笑んで柚希はドアから出て行った。
「……で? お前、作れんのかよ」
取り残されたすずめに蓮が聞いてきた。
「毎年、買ってるだけだから……。お母さんに手伝ってもらえば」
「お前の手作りチョコって言ってたぞ? お前が一人で作らなきゃだめだろ」
うっ……と項垂れた。痛いところを突かれてしまった。
「できるかなあ。生まれて初めての手作りだから自信ないよ……」
「本読みながら試してみれば?」
「本の通りに作れば、それなりのチョコになるかなあ? 十四日に間に合わなかったらどうしよう」
「あいつに謝れば終わりだ。それに嫌ってほどもらってんだろ」
柚希の人気はものすごい。わざわざすずめがあげなくても充分ではないか。
「……蓮くんは? ほしくないの?」
ツリ目の瞳を大きくして、蓮は即答した。
「別に。甘いもん嫌いだし」
「あたし、作ってあげようか?」
「……でも素人の作ったチョコなんかうまくねえだろ」
「こういうのって、おいしいかどうかじゃなくて気持ちなんだよ。どうもありがとうっていう思い。せっかく初めてのチョコだから、蓮くんにも」
「いらねえよ。あいつのだけ作れ」
ふわあ……と大あくびをして、蓮はぼんやりとどこか遠くを眺めていた。
土曜日にデパートに行き、チョコの材料を買い集めた。店の中は若い女の子でごった返しており、目が回りそうだ。本に書かれていたものを探していると、こちらを見つめる視線に気付いた。顔を上げると、初詣でぶつかってきた彼女が睨んでいた。
「何よ。あんたって彼氏いるの? ブスのくせに」
「ち……違う……。友だちのためだよ」
「ふうん……。まあ、当たり前よね。あんたみたいなブスに彼氏なんかできるわけないもんね」
きゃははっと笑っている彼女に、そっと質問をしてみた。
「あの……。あなたの恋人って、ずいぶんとイケメンだよね」
「でしょ? イケメンなだけじゃなくて持ってるお金もすごいんだから。ほしいって言ったら何でも買ってくれるのよ? バッグもアクセも服も。いい男ゲットしちゃったっ」
「それって、本当に彼氏が好きって意味なの?」
彼女の笑顔が消える。むっとして、じろりと睨みつけてくる。
「好きに決まってんでしょ。あんた馬鹿なの?」
「今の話聞いてたら、あなたって彼氏というより彼氏の持ってるお金が好きみたいに感じるよ」
「はあ? わけわかんない。これだから恋人いない女は呆れるわ。あたしがどれだけ愛してきたのか、あんたには理解できないのね。馬鹿で馬鹿で可哀想になってくる」
悔しかったが、確かに恋人はいないため黙るしかなかった。これ以上会話をしたくないと、さっさとその場から立ち去った。
しばらく歩くと、今度は桃花に会った。
「あれ? ブス女じゃん」
「も、桃花ちゃん」
「チョコ売り場なんか来て何してんの?」
「いや……。初めての手作りチョコ……」
「まさか彼氏いるの?」
「いないよ。友だちのためにね。桃花ちゃんには恋人いるの?」
「一応いるけど彼氏じゃなくて、ゆうちゃんのために作るんだよ」
「ゆうちゃん?」
「お兄ちゃんのこと。柚希だから、ゆうちゃん」
家庭内でのニックネームに心が暖かくなった。ふっと笑みがこぼれる。
「ゆうちゃんって……。可愛いねえ……」
「バレンタインデーは、ゆうちゃんの誕生日でもあるんだよ」
驚いて目が丸くなった。そういえば柚希の誕生日など調べていなかった。
「へえ……。だったらあたし、柚希くんに誕生日プレゼント贈りたいなあ。桃花ちゃんは、柚希くんの欲しがってるものとか好きなものとか知らない?」
「キス」
「へ? キス?」
「ゆうちゃんが好きなのはキスだよ。あんた、ゆうちゃんがキス魔だってことも知らなかったの?」
「キス魔? 柚希くんが?」
焦って、だらだらと冷や汗が流れる。無意識に後ずさった。
「そうだよ。寝ぼけてる時だけね。でも恋人いないから相手はあたししかいないけど。モテるんだから恋人作ればいいのに。そろそろ仕方なくキスの相手してあげてるこっちの身にもなってほしいよ」
クリスマスパーティーの朝が蘇った。桃花と間違えて、柚希はすずめにキスをしていた。あれはキス魔だったからなのか。真面目で女の子に優しくて王子様の柚希からは考えられなかった。
「朝が弱いんだけど、部屋に行くと必ず抱き付いてくるから猫パンチで起こしてるし。寝相が悪すぎて服も脱げちゃう。どうやってボタン外してるんだろ。とにかく寝ぼけてるゆうちゃんは他人の女の子には見せられないんだよ。じゃあ、あたし向こうに行くから」
そこまで言うと、桃花は立ち去った。村人の相手をするのが面倒になったようだ。
「……あたし、見ちゃったんだけど……」
独り言を漏らし、自分の本来の目的が何だったか思い出した。すぐにチョコ売り場に戻り、また材料を探し始めた。




