四十二話
学校が冬休みに入り、刻一刻とクリスマスパーティーが近づいてくる。知世も毎日話してくるし、不安と期待が同時に押し寄せてくる。ついにクリスマスイブがやって来ると、朝からドレスを着てメイクも念を入れて準備をした。いつもはそのままにしている髪は、レースが付いたリボンでサイドテールにした。バッグもクリスマスのイメージに合ったものを選んだ。
「すずめ。素敵なクリスマスになるといいね」
母の暖かな言葉に、じんわりと涙が流れた。
「お母さんもね。いつもありがとう……」
ぎゅっと抱き締めると、知世は涙を拭ってくれた。
柚希に言われた通り駅前で待っていると、五時ちょうどに黒い大きな車が止まった。中からグレーのスーツを着た柚希が出てきた。
「ごめん。遅くなって」
「ううん。それよりこの車……。柚希くんのお家の車なの?」
「父さんが車大好きでね。他に四台あるよ」
「四台? すごすぎるっ」
「じゃあ乗って。どうぞ」
「お、お邪魔します」
柚希に促されて、すずめも車に乗った。シートはふわふわで大人十人が軽く収まるスペースだ。柚希が声をかけて発車した。
「もしかして、お抱え運転手さん?」
こそこそと耳元で囁くと、柚希は頷いた。
「そう。英語しか話せないから厄介だよ。父さんの言うことしか聞かないし。最近は俺の言うことも少しは聞いてくれたりするけど」
「柚希くんのお父さんって、英語ペラペラなんだ」
「まあね。世界中の人たちと関わるわけだから。俺も頑張らないと……」
ははは……と苦笑する柚希を見つめながら、蓮の姿が頭に浮かんだ。蓮は日本語よりも英語が得意だ。幼い頃は英語しか話せなかったのではないか。よくよく考えたら、ものすごい男なのかもしれない。
「それにしても、すずめちゃんお姫様みたいだね」
「えっ? お姫様?」
「すごく可愛いよ。クリスマスにぴったりのドレスだね。本当に……お姫様だよ」
褒められて、ぼっと頬が赤くなった。
「柚希くんだって王子様みたいだよ。めちゃくちゃかっこいいよ」
「そう? 嬉しいなあ。ありがとう」
柔らかく穏やかな口調は、すずめの不安や心配を軽くさせてくれた。
「あ、着いたよ」
車が止まり自分でドアを開けようとしたが、その前に運転手が開けてくれた。そのすずめを見て、柚希は苦笑した。
「すずめちゃん、何もしなくてもいいんだよ。待ってればいいんだ」
「ええ? 車のドアも自分で開けないの?」
「全部やってくれるからね。桃花なんか、服だって着せてもらってるよ」
あまりの世界の違いに驚きが隠せなかった。外に出ると大きな門があり、その奥にビルのような建物があった。周りは広い庭で噴水まである。自分の部屋が二十個あったという連の家も、これくらいだろうか。すでに屋敷には数え切れないほどの人たちで賑わっている。みんなが優雅で美しく、天井のシャンデリアのせいかきらきらと輝いていた。
「すずめちゃん、飲みたいものは?」
柚希に聞かれ、はっと目を丸くした。
「えっと……。お茶かオレンジジュース」
「ごめんね。お茶もオレンジジュースも用意してないや。紅茶ならあるけど」
「あ……。じゃあ、それで……」
パーティーに参加した経験がないとバレたのが恥ずかしかった。置いてある飲み物さえ知らないとは……。しかしこれは仕方ない。すずめは村人だし、こんな大きなパーティーなど参加するチャンスなどないのだから。柚希が奥へ走って行き、早く戻ってくるのを祈りながら邪魔にならないように隅に移動した。他人の影に隠れるように身を潜めていると、誰かがこちらに歩いてくる気配を感じた。顔を上げると、厳格そうな女性と腰まで長いウェーブ髪の少女が並んで立っていた。
「あなた、お名前は?」
「えっ? 名前?」
「そうよ。確かあなたは招待してないはずよね?」
あまりの圧力に動揺した。完全に蛇に睨まれた蛙状態だ。
「え、えっと……」
「母さんっ。桃花っ」
慌てて柚希が駆け寄る。かなり焦っている表情だ。
「お、お母さん?」
すずめが二人を交互に見ると、母は柚希に質問をした。
「柚希、あなたが誘ったの?」
「うん。最近よく話してる日菜咲すずめさん」
「え? この子が?」
片目を吊り上げて、母はすずめを睨みつけた。
「……柚希が仲良くしてるなら、きっと素敵なお嬢様だと思いきや……。これほど地味で普通の娘だったなんてびっくりだわ。やはり柚希の婚約者は私たちが決めます。あなたに任せたら、どんな田舎くさい子を連れてくるかわからないもの」
ガーンとタライが落っこちてきた。確かに自分は村人だし可愛げもなく女の子らしさもないが、こんなにもきつい言葉を浴びせられるとは。
「あんた、お小遣いどれくらいもらってんの?」
桃花が聞いてきた。ぎくりとし、緊張しながら答える。
「え……。も、もらってない……」
すると桃花は衝撃を受けたように目を丸くした。
「嘘でしょ? お小遣いもらってないなんて信じられないんだけど。あたしは毎月二十万もらってるのに」
「に、二十万?」
「普通は二十万くらいはもらうでしょ。ママ、こいつお小遣いもらってないんだってー。貧乏でかわいそー」
「あら、哀れねえ。そのドレスも安物なんでしょうね。お父様は、どんなお仕事をされてるのかしら」
「きっと働いてないんだよ。きゃははっ」
「なっ……。母さんも桃花も失礼すぎるだろっ。何てこと言うんだっ」
柚希が横から怒鳴るが、母は無視をしてすずめを鋭く睨んだ。
「帰っていただける? ここはあなたのような田舎暮らしをしている人間が来る場所ではないの。自分で気づかないなんて愚かな子ね。これから柚希に近付くのもやめなさい。柚希は将来世界で活躍する素晴らしい息子なの。あなたに邪魔されたくないわ。もし話しかけてきたら親を呼びますからね。絶対に仲良くしようなんて馬鹿げたことは考えないこと。わかった?」
「そうだそうだ。さっさと立ち去れ。ブス女」
二人の冷たいセリフが心にぐさりと突き刺さる。これで嫌だと反論はできず、すずめは力なく頷いた。
「……すみません。あたし、帰ります……」
そして後ろを振り向き、走ってその場から逃げた。
「すずめちゃんっ。待ってっ」
柚希が追いかけてくる。男子の方が足が速いため、すぐに手を掴まれた。
「どうして行っちゃうんだよ」
「だって、ここはあたしの居場所じゃないし。お母さんもあたしのことなんか見たくないだろうし」
「あの二人は、いつもああなんだ。お金持ちじゃない子は、全員だめ人間って決めつけるんだよ。すずめちゃんに限ったことじゃないよ。だから気にしないで」
首を振り、すずめはもう一度繰り返した。
「いいの。柚希くんも、あたしといるとろくな目に遭わないよ。ちょうどよかった。これを機に別れよう」 ぼろぼろと涙が零れる。しかし生まれつきすずめと柚希は違う世界の住民なのだから仕方ない。
「おかしいよっ。そんなのっ」
「おかしくないよ。放して。今までどうもありがとう。優しくしてくれて……嬉しかったよ。これからも、いろんな女の子に優しくしてあげて。あたしはもう帰る。さよなら、柚希くん……」
掴まれた手を振りほどこうとしたが、鋼のように固くびくともしない。
「お願いだから放して」
「嫌だ。すずめちゃんと別れるわけにはいかないよ」
「どうして? そうやってあたしに気遣いするのも疲れるでしょ? 柚希くんに迷惑かけたくないよ。ストレスとプレッシャーでいっぱいなのに」
腕を大きく動かすと、慣れないブーツのせいで足をくじいてしまった。さらに勢いよく柚希の広い胸に倒れ込む。
「ご、ごめん」
慌てて立ち上がるとズキンと鈍い痛みがした。ぐっと顔を歪めると、柚希に抱きすくめられた。
「すずめちゃん、ちょっと落ち着こう。怪我しちゃったみたいだし」
「怪我なんかしてないよ。大丈夫。一人で歩ける」
また痛みが走る。ううっと声が出てしまった。
「俺の部屋においで」
どくんと胸の奥が響いた。柚希の自室に入るなど、奇跡でも起きない限りありえない。
「待って。あたしが柚希くんの部屋に行けるわけないよ。もしお母さんにバレたらどうするの?」
「バレないよ。母さんは俺の部屋には、めったに入らないから。ベッドで休んで」
「……でも」
「じゃあ行こうか」
柚希は遮って歩き出した。すずめも抱きかかえられた状態でついて行った。
賑やかな音がどんどん遠ざかっていく。やがて何も音はしなくなり、一つの部屋の前に辿り着いた。ドアを開くと中は予想以上に広く、ベッドの大きさも半端なかった。パソコンはもちろん、テレビやソファーまである。部屋というよりリビングと呼んだ方がよさそうだ。ゆっくりとベッドに寝かされて、怪我をした足を見てもらった。
「けっこう赤くなってるね」
「ブーツなんか履かなきゃよかった。かといってスニーカーは無理だし」
「冷やしておこう。何もしないよりはいいから」
そして柚希は部屋から出て行った。取り残されたすずめは、きょろきょろと周りを観察してみた。高い天井には豪華なシャンデリアが輝いている。ベッドにはカーテンがかけられていて、まるでお城のようだ。床は大理石で壁にもいくらするかわからない油絵が飾られている。男というよりどちらかと言うと女っぽい部屋だが、とにかく全てが美しかった。ここで毎日過ごしていたら、感覚がマヒしそうだ。
「ううっ……。痛い……」
少し足を動かすだけで強い痛みが走る。項垂れると柚希が戻ってきた。
「ドライアイスをタオルで包んだものだよ。マシになるかな」
話しながら、赤くなった部分にタオルを当ててくれた。ひんやりとして、すずめは苦笑した。
「ありがとう。すごく気持ちいいよ」
「よかった。温くなったら取り替えるから言ってね」
「高校生なのに転ぶなんて馬鹿だよね」
すると柚希に軽く頭を叩かれた。
「だめだよ。そんな風に自分を馬鹿にしてちゃ。思っても口に出すものじゃないよ。さっきは本当にごめんね。俺から母さんと桃花に注意しておくよ。お金持ちじゃないと認めないなんて狂ってるよね。大事なのはお金じゃなくて心なのに。俺はあんな人間にはなりたくないな」
これと同じ言葉を蓮からも聞いた。立派な職業についている両親を尊敬できない。あんな人間には絶対になりたくないと。男の子はみんなこう考えるものなのだろうか。
「今夜はゆっくりと休んで。しっかりと寝れば、怪我の痛みも消えるはずだよ」
「ありがとう。お世話ばっかりかけてごめんね」
小さく呟いてから、すずめは目を閉じた。




