四十一話
日曜日の十一時に、ケーキを入れた箱とプレゼントを持ってマンションに向かった。すぐにドアが開いて、とりあえずケーキだけ渡す。
「これ、クリスマスケーキ。後で食べよう」
「ケーキ? 俺、甘いもの好きじゃないんだけど」
「買っちゃったから、ちゃんと食べてよ。あたしが二つ食べるなんて無理だからね」
「まあ、食えないってわけじゃねえしな」
せっかくのクリスマスなんだし、もっと嬉しそうな態度をとってほしいが、こういう性格なので諦めるしかなかった。蓮はクラシック音楽をかけて、部屋の中がロマンチックな雰囲気に包まれた。
「あたし、この曲好きだなあ。クリスマスにぴったりだね」
「だろ。俺も昔から気に入ってるんだよ」
「ふうん。蓮くんって、いつからクラシック音楽を聴いてるの?」
「さあ。覚えてねえな。子供の頃の出来事なんか、ほとんど記憶にないだろ」
「そう? あたしはしっかりと覚えてるよ。……何だか、小さい時の蓮くんについて知りたくなっちゃう」
ふふっと微笑むと、蓮は本棚から分厚いアルバムを取り出した。
「え? これって、蓮くんのアルバム?」
どきどきしながら開くと、蓮が一歳の時の写真が貼られていた。まだツリ目ではなく、男というより女の子っぽい。その愛らしさが、すずめの母性を揺らした。
「か……可愛すぎるっ。フランス人形みたいっ」
「フランス人形? そう言われたのは初めてだな」
「蓮くんって、もしかしてハーフ? 名前もそんな感じがするよね」
「いや、完璧日本人だけど」
「日本人なの? 男の子なのに肌が白くて羨ましいよ。いいなあ……」
さらにページをめくると、今度は美しい女性に抱きかかえられている写真があった。薄茶色の長い髪と純白のドレスは女神を連想させた。
「れ、蓮くんのお母さん? めちゃくちゃ綺麗っ。モデルさん?」
「モデルじゃなくて女優。もう辞めたけど」
「ということは、蓮くんってお父さんは外科医でお母さんは女優なの? すごい両親じゃない。お金持ちの息子なんだ」
「どうかな。ただ、家は馬鹿みたいにデカかったけど。兄弟がいないから、自分の部屋が二十個くらいあったな」
「す……すごすぎる……。そういえば蓮くんって兄弟いないんだっけ。あたしも一人っ子だけど、寂しいなあって思ったことはない?」
「別に。むしろいると比較されて嫌な気になるんじゃねえの?」
柚希が、妹ばかり可愛がられていると話していた。すずめにはよくわからないが、確かに比べられたら悔しくなるかもしれない。黙ったままページをめくると、蓮が二歳になった写真が貼られていた。だんだんと男の子っぽくなるが、可愛らしさは残っている。また、どの写真を見てもにこにこと満面の笑みだ。
「蓮くんって、よく笑う子だったんだね。今もいっぱい笑えばいいのに」
「全部作り笑いだ。無理矢理笑うように決められてたってだけだ」
「え? 決め……られる……?」
よく意味がわからない。もう一度蓮は繰り返す。
「幸せで嬉しそうな顔しろよってな。本当のことは誰にもバラすんじゃねえって」
「本当のこと?」
ぎくりとして心が冷たくなった。詳しく知りたかったが、もちろん質問できなかった。
あんな人間にだけはなりたくない。蓮は父をそう呼んでいた。母も、一緒にいたら病気になりそうと話していた。幸せで嬉しそうな顔をしろというのは、たとえ親に傷つけられても愛されているようにふるまえということか……?
次のページをめくると、写真は貼られていなかった。驚いて目が丸くなった。
「あれ? 二歳までの写真しか貼ってないの?」
「そうだ。三歳から、俺のためにカメラ使うなんて馬鹿らしいって考え始めたんだよ。俺のそばにいたくないってさ」
「馬鹿らしい? そばにいたくない? ど、どうして……」
蓮に口を覆われた。これ以上は教えられないという意味だ。本当は彼の過去について知りたかったが、しつこくしてはいけないと、すずめも我慢した。プライベートな内容だし、根掘り葉掘りはよくない。俯いていると蓮はアルバムを本棚にしまい、代わりにケーキを持ってきた。
「そろそろ食うか。腹減ってきた」
「あ、あたしも。お皿用意するね」
すずめも立ち上がり、キッチンの戸棚から二枚皿を取り出した。向かい合わせに座って食べる。蓮のケーキは甘さを控えめにしたので、あまり嫌そうではなかった。たぶん男だし、すずめと同じものにしない方がいいと選んだのだ。ちらちらと視線を向けると、蓮は手を止めて話しかけてきた。
「けっこううまいな。どこの店で買ってきたんだ?」
「よくクラスメイトと行くケーキバイキングのお店。蓮くんの口に合って、ほっとしたよー」
「男は甘いもの食わないし、そういう店には絶対入らないからな」
「でも、柚希くんは甘いもの好きだよ。妹がいるからかもしれないけど」
「ふうん……。妹ねえ。俺は姉も妹もいなくてよかったな」
「別にいたっていいじゃない。遊んだり勉強する時、兄弟がいたら楽しそう」
一人っ子では、どんなに願っても体験できない。ふむ、と蓮は考え込み、そっと答えた。
「お前には、兄弟は必要だったかもな。特に英語ができる兄でもいたら」
「ああ……。テストの時に、頼りになるしね」
性格も柚希みたいに穏やかで優しければ、尚いい。蓮みたいに意地悪で冷たい性格は嫌だ。いろいろと想像しても無意味なため、またケーキを食べた。
完食し、ふう、と息を吐いていると、蓮が聞いてきた。
「紅茶でも飲むか?」
「うん。あたしが淹れるから、蓮くんは座ってて」
「だけど、どこに何があるかわかんねえだろ」
「それはそうだけど。でも、こういうのって女の仕事だし、十六歳でお茶も淹れられないなんて恥ずかしいじゃない」
ちょっと偉そうな口調で言うと、蓮は小さく頷いた。外見だけではなく中身も女の子らしくするのも大切だ。料理で恋人をゲットしたという女性もいるくらいだし、家事はしっかり練習しておかなくてはと自分に言い聞かせた。ついでにケーキを乗せた皿やフォークも洗っておく。紅茶を持っていくと、蓮は椅子に座っていなかった。
「あれ? 蓮くん?」
リビングに向かうと、蓮はソファーで寝ていた。音を立てないように近づく。
「かっこいいなあ……」
うっとりとして独り言が漏れた。やはり蓮はイケメン王子だと、改めて気付いた。無表情で怒鳴ったり不機嫌になったり驚かされてばかりだけれど、彼の魅力はものすごい。もう少し笑って心優しくなれば、もっと他人と仲良くなれるはずだ。じっと見つめていると、ゆっくりと目が開いた。
「眠いの? きちんと睡眠とってないの?」
「いろいろと疲れてるんだよ。最近は酷い風邪もひいたし」
「ああ……。じゃあ、もしかしてクリスマスパーティーなんかしたくなかった? ごめん。勝手に決めちゃって」
しょんぼりと謝ると、蓮は起き上がって小さく笑った。
「したくなかったら嫌だって答えるし、けっこういい気分転換になってるぞ。クリスマスパーティーなんか生まれて初めてだし」
どくんどくんと鼓動が速くなる。蓮が喜んでくれたり笑ってくれたりすると、とても嬉しくなる。幸せが満ち溢れる。
「そ、そうだ。クリスマスプレゼントがあるの」
バッグから小さな箱を出した。蓮は受け取り、さっそく包みを破って呟く。
「……何だこれ? 体温計?」
「うん。持ってなかったし、蓮くんが好きなもの知らないから……。次に風邪ひいた時に使えると思って」
えへへ、と苦笑すると、蓮に頭を撫でられた。
「お前、マジで面白い奴だな。一緒にいると退屈しなくていいな。女ってうるさいししつこいしウザかったけど、お前はそうは思わねえよ」
ぽっと頬が火照った。たまに現れる蓮の柔らかく優しい言葉や態度に、胸が暖かくなった。
「あ、ありがとう……」
もう一度微笑むと、蓮は大事そうに体温計を机にしまった。
家に帰っても、頬はまだ赤かった。知世に「熱があるんじゃないの」と心配されたが、次第に元に戻っていった。かなり思い切って決めたクリスマスパーティーだったが、失敗に終わらず成功して満足だった。プレゼントも喜んでもらえたようだし、柚希の家のクリスマスパーティーも楽しめそうだと、胸が明るかった。




