四十話
放課後、マンションに寄った。インターフォンを押すと、だいぶ楽そうな蓮が現れた。
「大丈夫? 少しはよくなった?」
「薬が効いたみたいだ。朝起きたら熱がほとんど消えてた」
「よかった……。じゃあ病院は行く必要はないかな?」
「とは言っても、病み上がりだから、完全に元気ってわけじゃねえけど」
話し方も普段に戻っている。安心で涙が零れた。
「蓮くんが可哀想で……。柚希くんも心配してたよ」
頭をかきながら蓮は視線を逸らした。謝りたいけれど謝れないという表情だった。
「……泣いてたよね?」
ふと口から疑問が漏れていた。
「泣いてた? 俺が?」
「泣くっていうか……。昨日、帰る時にうるうるしてたから」
「いや、泣いてねえけど」
「あ、そうなの……。あたしには、泣いてる風に見えたんだ。違ったの」
「ちょっとびっくりはしたけどな」
あっさりとした口調で遮った。驚いて目が丸くなった。
「びっくり?」
「お前が、あまりにも馬鹿すぎて」
これは蓮の口癖で、気にすることはないと自分に言い聞かせながら首を傾げた。
「もし風邪がうつったら、クリスマスパーティーに行けなくなるのにって?」
「それ以外にも、俺と関わるとろくな目に遭わないって知ってるのに。あいつと二人でイチャイチャして、はしゃいでればいいって俺も話してるのに」
「蓮くんをほったらかしにして柚希くんとイチャイチャなんて絶対にしないよ。というか、柚希くんとはそういう仲じゃないし」
「ふうん……。まあ、熱が消えたから、一安心だな」
「そうだね。後で電話しておくね」
「電話?」
なぜか蓮は反応し、じっと見つめてきた。
「あいつと電話番号交換してんのか」
「うん。前に二人で出かけた時」
すると蓮は携帯を手に取って、むっとしながら答えた。
「どうしてあいつとだけするんだよ。あいつとするなら俺とも交換しろ」
「え?」
「俺にも教えろよ。というか、俺の方が先なんじゃねえの。すぐ近くにいるんだし」
「ご、ごめん。そうだよね」
急いですずめも鞄から携帯を取り出し、お互いの番号を交換した。蓮は満足そうに小さく笑っている。
「あたしなんかと番号交換しても得しないよ?」
聞くと蓮は即答した。
「真壁だけっていうのが気に食わねえんだよ。これからも、あいつにしたことは俺にもしろよ。嘘ついたり誤魔化したりすんなよ」
やけに子供っぽい考えに、ぽっと頬が火照る。つまり柚希と同じ立場でいたいということか。
「う、うん」
答えると、蓮も大きく頷いた。
家に帰って柚希に電話をかけた。
「治ったんだ。よかったね」
「一人だとお粥も作れないしね」
軽く笑うと、柚希の口調が固くなった。
「お粥? すずめちゃんが作ったの?」
「そうだけど。それがどうしたの?」
「じゃあ、俺にも今度食べさせてくれないかな?」
よく意味がわからない。さらに柚希は続ける。
「もし俺が風邪ひいたら、看病しに来てくれる?」
「でも、柚希くんには家族がいるし」
「高篠くんはいいのに、俺は嫌なの?」
「嫌ってわけじゃ……」
「なら、俺の看病もしてほしい。高篠くんだけなんてずるいじゃないか」
つい先ほど蓮が話した言葉とそっくりだ。「わかった」と伝えると電話は切れた。
「な、何だろう? 急に……」
男は独占欲があると胸に浮かんだ。蓮と柚希も、独占欲があるのだろうか。自分の好きなことや大事にしていることは、誰にも奪われたくない。取られたくない……。
「……もしかして」
すずめが柚希とクリスマスパーティーで盛り上がっていたら、遠くから蓮が睨んでいた。そしてそれから態度が変わった。まさか柚希にすずめを取られたといらついたのか。
「いや。ないない。あたしはただの村人だし……」
大体、蓮にも柚希にも好きだと告白されていないし、死ぬまで好かれることはないし、王子様と村人は違う世界で暮らしているのだ。蓮はわからないが、柚希はお見合い結婚だと決まっている。自分に言い聞かせて、ふう……と息を吐いた。
次の日もマンションに行った。かなり回復し、蓮はクラシック音楽を聴きながらソファーでくつろいでいた。
「学校は? いつから来るの?」
「とりあえず来週からだな。無理してもしょうがねえし」
「ようやく制服の蓮くんに会えるんだね」
にっこりと笑うと、蓮は不思議そうな顔をした。
「制服の俺?」
「陽ノ岡って、制服がかっこいいって有名なんだよ。蓮くんや柚希くんは背が高くてスリムだから、モデルに大変身しちゃうの」
「へえ……。俺にはよくわかんねえけど」
どれだけ可愛いかっこいいと褒められても、自分の良さや魅力は残念ながら感じられない。クラシック音楽を止めて、蓮は冷蔵庫から何か取り出した。
「これ、お前好きだろ」
持ってきたのは、すずめのお気に入りのオレンジジュースだ。二人にとっては間接キスジュースでもある。受け取ってさっそく飲んだ。
「おいしーい。わざわざ買っておいてくれたの?」
「まあな。お前にはいろいろと世話になってるから」
「ただのお節介だけどね」
ははは……と笑うと、蓮に頭を撫でられた。どきどきして頬が火照る。
「え? な、なに?」
「俺が気付かないとでも思ってるのか」
「へ?」
記憶が蘇ってきた。空き教室で、すずめが弁当を食べていた時。蓮が腕を伸ばしてジュースを一気飲みした。すずめは蓮が新品だと勘違いして飲んだと考えていたが、明らかに蓋は緩んでいたし何よりとなりの席で飲んでいる姿を目撃している。
「まさか……。わざと……」
「わざとなのか偶然なのかはお前の想像にお任せだな。でもまあ、新品じゃないのは飲む前から気付いてたけど」
「や、やだあ……。恥ずかしいよー」
ばしばしと胸を叩くと、何もないのに転んでしまった。うわあっと前のめりに倒れそうになったが、蓮が抱きかかえた。
「気を付けろよ。ドジだなあ。お前は」
「ご、ごめん」
よろよろと立ち上がったが、まだ蓮は抱き締めたまま離れようとしない。さらにぎゅっと力が強くなり、どくんどくんと心臓が跳ね上がる。
「れ……んく……」
逃げる隙はなく、しばらくその状態で立ち尽くした。何となくだが、蓮から「ありがとう」と言われている気がした。口では伝えられないから、抱き締めることで感謝を告げる。そんなイメージだ。ようやく離れると、熱くなった全身をオレンジジュースで冷やした。蓮は小さく笑い、また頭を撫でた。
「これでクリスマスパーティーにも行けるな」
「そうだね。ドレスが無駄にならなくてよかったよ」
ふと、蓮はクリスマスをどう過ごすのか疑問が生まれた。
「蓮くんは、クリスマスにどこかに行くの?」
「いや。特に予定はねえけど」
やはり普段通りなのか。緊張しながら、もう一度聞く。
「じゃあ今度の日曜日、二人でクリスマスパーティーしない?」
「は? どこで?」
「この部屋で。ちょっと早いクリスマスってことで」
嫌だとか面倒くさいとか断られそうだったが、蓮は柔らかく答えた。
「別にいいけど。俺はクリスマスツリーでも買っておくか?」
「ううん。待ってるだけで構わないよ」
「そうか。今度の日曜日だな。もし来なかったら怒るぞ」
「必ず行くよ。忘れないよ」
じっと見つめると、蓮は大きく頷いた。
家に帰ってから、自分がとんでもない約束をしてしまったと確信した。着て行く服はどうしよう。プレゼントは何にしよう。だらだらと冷や汗が流れていく。どうか蓮を不機嫌にさせない暖かい一日になるように心の底から願っていた。




