三十九話
恐る恐る部屋の中に移動すると、蓮はベッドに横たわっていた。じめじめとしていて、健康な人も具合が悪くなりそうだ。とりあえず窓を全部開けて空気を入れ替える。ゲホゲホと咳き込む声が聞こえ、蓮の元に駆け寄った。
「蓮くんっ。大丈夫?」
熱に浮かされた目で、蓮は聞き返した。
「……真壁は?」
「帰っちゃったよ。それより平気? 頭とか喉とか痛くない?」
額に手を当てると、ものすごい熱さにぎくりとした。たぶん四十度はある。すぐに鞄からハンカチを取り出し水に濡らした。蓮の首の横に置いて囁く。
「どう? 気持ちいい?」
蓮が小さく頷いて、ほっと息を吐いた。
「お腹空いてない? 喉乾いてない?」
「……いい。いらない」
固いセリフが飛んでくる。だが、きっと何日も食事をしていないと想像した。
「あたし、いろいろと買ってくる。ちょっと待ってて」
すると、蓮に鋭く睨まれた。
「いらないって言ってるんだ。余計なお節介するなっ」
ぐさりと心に刺さり、その場に座り込んだ。いたたまれなくなって、涙が溢れる。ごめんと謝りたいのに言葉にならない。やはり蓮に嫌われていると改めて感じた。ゆっくりと立ち上がり、玄関へ向かった。しかし部屋を出る直前に、ある囁きに気づいた。
「え?」
「ほらな。最初から心配なんて、さらさらしてないんだろ」
はっと目が丸くなる。もしここから出たら、確かに蓮の言う通り心配していなかったことになってしまう。すぐに首を横に振って、ベッドに駆け寄った。
「心配してるよ。本当に……本気で心配してるんだから」
「でも今、帰ろうとしただろ」
「だって迷惑かけちゃうと思って……。風邪で辛いのに、あたしのせいでもっと酷い目に遭うかもしれないし」
「そうだな。俺もそれは嫌だ」
そっと蓮はすずめの方に腕を伸ばした。そのまま頬に触れる。
「いいんだぞ。帰っても。お前が好きなのは、あっちだしな」
「そりゃあ柚希くんには、ずっとずっと憧れてるよ。だからといって、蓮くんを置いてけぼりにはできない。そばにいたいの」
「お前って変な奴だよな。いつもにこにこしてるあいつと付き合えばいいのに。俺と関わったって」
「蓮くんに幸せになってもらいたい。蓮くんも、にこにこできるように」
遮って言うと、蓮は口を閉じた。小さく息を吐き、触れていた手を放した。
ごしごしと涙を拭うとキッチンに行った。すずめは料理をした経験がなかったが、携帯で調べて簡単なお粥を作ることにした。あまりおいしくはないだろうが、自分にできることはこれくらいしかない。
「お粥作ったんだけど、食べられるかな?」
ベッドに持っていくと、蓮はよろよろと起き上がった。しかしすぐに倒れてしまう。完全にふらふらだ。
「うわわっ。危ないよっ」
抱きかかえると、蓮は長いため息を吐いた。
「帰れよ」
驚いて心臓が跳ねた。すぐに言い返す。
「え? 帰れ?」
「もういい。お前帰れ」
「帰れないよ。こんな状態なのに。どうしてそんなこと」
「うつったらパーティーに行けなくなるだろ。放っておいてくれ」
だがもちろん、すずめは放っておく気などなかった。もう一度起き上がらせるとお粥を食べさせた。
「ほら食べて。これ食べないと薬が飲めないよ。全部食べるんだよ」
スプーンを口元に寄せると、蓮はお粥を食べ始めた。喉が痛いのか、いちいち目をぎゅっとつぶる。
「おいしくなくてごめんね。料理したことなくて」
答えるのも辛いのか、蓮は小さく頷いて食べ続けた。完食すると冷たい水で薬を飲ませる。
「市販のだけど、きっと効くと思う。明日も熱が酷かったら、病院に連れていくよ」
「明日も来んのかよ」
「そりゃあそうでしょ。心配だもん。しっかりと寝て休むんだよ」
お粥の皿洗いを済ませ開けた窓を閉めると、ふと囁きが耳に入った。はっとして振り返り、ベッドに近付く。
「蓮くん? 何か言った?」
しかし蓮は黙って目を閉じていた。イライラしているのだと思い、すぐに謝る。
「……ごめんね。蓮くん、あたしのこと嫌いなのに勝手に部屋に入って。でも、どうしても」
「うまかったよ」
「え? うまい?」
「だから……。……お前の作ったお粥、うまかったよ」
どきんと鼓動が速くなった。頬が火照っていく。
「そ、そう? ならよかった。初めてだったから」
えへへ、と笑うと、なぜか蓮の目が潤んでいるように見えた。まさか泣いたのかと驚いたが、「じゃあ帰るね」と早口で言い、走って家に向かった。
翌日、学校に行くと柚希に会いに行った。
「酷い熱だったよ。四十度はあったよ」
「そんな状態になるまで我慢してたのか。高篠くんって、本当に意地っ張りだねえ。でも、すずめちゃんのおかげでよくなるかな?」
「市販の薬だけど、一応飲ませたからね。それにしても、どうして中に入れてくれたんだろう」
疑問が浮かんだ。にっと笑い、柚希は即答した。
「すずめちゃんは嫌われてないって、これでわかっただろう?」
「そういうことじゃなくて。あたしと柚希くんが仲良くしてるのがイライラしたのかな? 自分はどうでもいいって思われたくなかったの? いつも一人にしてくれって話してるのに」
「一人にしてくれなんて、実際は考えてないよ。すずめちゃんを馬鹿だとかアホだとか悪口言ってたけど、あれだって本心じゃない」
「え? そ、そうなの?」
「不安にならなくていいよ。ただの口癖みたいなものだね」
「口癖かあ……。紛らわしい口癖で、こっちは誤解しちゃうよ」
ははは……と苦笑し、蓮の瞳が潤んでいたのも教えた。腕を組み、柚希はそっと答えた。
「熱に浮かされたからか、すずめちゃんの優しさに感動したからか……」
「か、感動? 蓮くんが、そんなちょっとしたことで泣いたりする?」
「だけど高篠くんだって人間なんだし、暖かな気持ちになったら泣いたりするんじゃない? あるいは反省したのか」
「反省って?」
「すずめちゃんに酷い態度とったから。面倒見てもらった人に、嘘つきだとか馬鹿だとか怒鳴って、後悔したんだよ」
蓮は素直に言葉が伝えられず、ストレスが溜まりすずめに八つ当たりしているらしい。もしそれが本当なら、冷たい言葉をぶつけた自分を責めて涙を流したのかもしれない。どちらにせよ、すずめには蓮の心の声は届かなかった。
「今日も放課後、マンションに行くの?」
「もちろん。具合が悪ければ、病院に連れていくつもり」
「一人でも平気? 俺もついていこうか?」
「大丈夫だよ。頑張るよっ」
ガッツポーズをすると、柚希はにっこりと微笑んだ。




