三十七話
十二月に入り、街はクリスマスで盛り上がっていた。けれどすずめは落ちこんで、俯いてばかりだった。やがて蓮は学校に来なくなった。まさかアメリカに帰ってしまったのかと心配したが、どうやら風邪をひいているらしい。ある日職員室に呼ばれ、担任に頼まれた。
「日菜咲さんって、高篠くんと家が近いんでしょ?」
「あ……。はい……」
「なら、お見舞いに行ってあげて。これ、高篠くんのお家の住所」
メモを渡され、冷や汗が噴き出す。
「いや……。たぶん、あたしが行っても役に立たないと思います。他の人にお願いしてください」
「高篠くんって一人暮らしだから、心細いんじゃないかな。苦しい時って誰かにそばにいてほしいでしょ」
確かにそういうものだが、だからといってすずめが見舞いに行ったら完璧に不機嫌になるだろう。門前払いを食らうかもしれない。もしかしたら、それだけでアメリカに帰ると怒鳴るかもしれない。
「よろしくね。日菜咲さんにしか頼めないの」
担任に強引に押し付けられ、すずめは断れずに頷くしかなかった。
一応あった方がいいと風邪薬を買ってから、メモの通りに蓮のマンションに向かった。ドアの前で深呼吸を繰り返し、えいやっとインターフォンを押す。ピンポーンという音が微かに聞こえたが、その後は一つも変わりはない。ベッドに寝たきりなのか、単に留守なのか。あれこれと妄想したが二十分経ってもドアは開かなかった。
「……だから言ったじゃん。あたしが来たって意味ないって……」
独り言を漏らし後ろを振り向くと、ガチャっとドアが動いた。はっとして足が止まる。
「お前……」
蓮は全身から汗を流し、息が荒かった。酷い風邪だと、すぐにわかった。
「……何でここにいるんだよ」
「せ、先生から、お見舞いに行けって頼まれただけだよ。大丈夫かなあって……」
「ふん。風邪で苦しんでる俺を笑いに来たってわけか」
相変わらず不愛想な口調だ。むっとして、すずめも言い返す。
「笑うなんて、そんなことしないよ」
「どうでもいいけど、さっさと帰ってくれねえか。立ってるのもやっとなんだから」
ゲホゲホと咳をする蓮が可哀想になってきた。
「あの、これ。風邪薬なんだけど。もしよければ」
「俺に構うなって言ってるだろ。クリスマスパーティーで、はしゃいでればいいって」
風邪をひいているため普段よりは弱めだったが、蓮は睨みつけてきた。すずめは首を横に振って答えた。
「あたし、行かない」
「え? 行かない?」
「蓮くんの風邪が治らないなら、クリスマスパーティーに行かない。風邪を治す方が大事だから」
蓮のツリ目の瞳が大きくなる。かなり動揺している。
「……行けよ。準備もできあがってるんだぞ」
「嫌だ。行っても、蓮くんが風邪で辛いんだって考えちゃって、全然楽しくないよ」
ぼろぼろと涙が零れ、地面に落ちていく。すずめの思いが少しでも届けばいいと願っていたが、蓮は舌打ちをして吐き捨てるように怒鳴った。
「マジで女ってうぜえな。本当はそんな気さらさらねえくせに。とっとと帰れよ」
ドアを閉めようとする蓮に、慌てて叫んだ。
「ま、待って。とりあえず風邪薬は受け取って……」
大きな音を立ててドアは閉まった。二度とここに来るな。そう書かれているみたいだった。涙を拭い、とぼとぼと家に帰った。
一体どこで歯車がこじれてしまったのか。なぜ蓮は怒っているのか。学校に行って、となりに蓮が座っていないのを見るだけで胸がチクチクと痛む。かなりふさぎ込んでいるすずめに声をかけてきたのは柚希だった。
「すずめちゃん? どうかしたの?」
「柚希くん……」
泣きながら蓮に怒鳴られたことや睨まれたことなどを全て打ち明けると、柚希は即答した。
「今日、一緒に高篠くんのマンションに行こう」
「だめだよ。あたし嫌われてるんだもん。ただ怒鳴られるだけだよ。お前の顔なんか見たくないって」
きつい目つきの蓮の姿が蘇る。ぼろぼろと涙が溢れて止まらない。
「最初から、蓮くんと相性よくなかったし。いつも俺に構うなって怒られてるし。めちゃくちゃ嫌われてるんだよ。しつこくしたらアメリカに帰っちゃう……」
「俺は、ちょっと違うと思うよ」
「え?」
優しく柚希は微笑み、すずめの頭を撫でた。
「俺の予想でしかないけど、高篠くんはすずめちゃんのこと嫌ってはいないよ。自分の気持ちをうまく伝えられなくて、そのせいでいらいらしてつい怒鳴っちゃうんだよ。高篠くんってひねくれ屋なところがあるからね。後からごめんって謝れたらいいけど、それも素直に伝えられない。どんどんストレスが溜まっちゃうんだ」
「そうなの? いらいらして怒鳴ってるだけ?」
「高篠くんの性格は、すずめちゃんが一番よくわかってるだろう? しかも相手は男じゃなくて女だから、余計どんな風に返事をすればいいのか困るんだ。傷つけて泣かせたりするんじゃないかって」
「でも、あたしはこれでもかってくらい蓮くんに傷つけられて泣かされてるよ? いつも冷たい態度だし、悪口だってたくさん……」
「じゃあ、一人でいる時に後悔してると思うよ。こんな言い方しかできない自分が嫌だって」
はっきりと柚希は断言した。どきりとして聞き返す。
「後悔……してるの?」
「自己嫌悪に陥るほどね。すずめちゃんに優しくしたいのに逆に酷いことをしてしまった。怒鳴って睨んでしまった。かといって謝る勇気もない。そんなの情けないし、かっこ悪いよね。嫌いなのは、すずめちゃんじゃなくて自分の方。すずめちゃんは不安にならなくていいんだ」
とても信じられないが、柚希が話しているのなら少しは当たりなのかもしれない。嫌いなのは自分なのにすずめに怒鳴り散らすなんて、やはり男の子の気持ちは意味不明だ。
「ね。だから今日は一緒に会いに行こう。俺がいれば怖くないだろう?」
「う、うん」
柔らかな声に、いつの間にか涙は消えていた。柚希の言葉は、すずめを地獄から這い上がらせてくれた。




