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三十六話

 蓮の態度が明らかに変わったのは三日後だった。すずめがいつも通り空き教室に行くと、蓮の姿がなかった。どこだどこだと探しても見つからず、教室に戻ってきた蓮に囁いた。

「今日、どこに行ってたの? せっかくお弁当持ってきたのに」

「いらねえから」

「へ? いらない?」

「これからは、その弁当作らなくていいから」

「でも、お腹空いちゃうでしょ?」

「いいっつってんだよ。とにかくもう作るな」

 固い口調に戸惑った。仕方なく頷く。

 放課後も、さっさと昇降口に行って、すずめが話しかける余裕はなかった。ぎくりとして冷や汗が流れ、嫌な予感がした。そしてこれは毎日続いた。完全にすずめを避けている。口も聞かないし目も合わせない。なぜこうなってしまったのか理解できない。一人で悶々してもしょうがないので、ある日質問をしてみた。

「蓮くん……。怒ってるの?」

 だが蓮は知らんぷりをしていた。もう少し大きな声で繰り返す。

「黙ってたらわかんないよ。ねえ、怒ってるの? はっきりと教えて」

「うるせえな。お前に付き合ってるのが面倒くせえんだよ」

「め、面倒くさい? それだけ? 何か気に障るようなことしたんじゃないの? お願いだよ。どうして怒ってるのか」

 すると蓮は耳にイヤホンをはめた。お前の声なんか聞きたくないという意味だ。それでは、すずめも口を閉じるしかない。

 ちょっとずつだが、蓮とは距離が縮んでいた。たまに優しく笑ったり、おしゃべりをしたり。あれはただの演技だったのか。仲良くなっていると期待していたのはすずめの方だけだったのか。悲しくなって、一人で泣きながら帰った。ぼろぼろと涙の雫は落ち、全く止まらない。

「蓮くん……。どうして怒ってるの……? 寂しいよ……。また一緒にお弁当食べたいよ……」

 ぐすんぐすんと呟いていると、人の気配がした。後ろを振り返ると、蓮が立ち止まっていた。明らかに動揺していると感じた。顔色が悪く、汗を流している。

「……れ……蓮……」

 すずめが近寄ると、蓮は逃げるように走って行った。その背中を見て確信した。

「あたし……。蓮くんに嫌われてるんだ……」

 手で涙を拭い、これ以上関わるのは諦めるしかないのかと考えた。始めから相性がよくなかったし、話しかけない方がいいのか。やはり男の子の気持ちはわからない。突然笑ったり怒ったり、全く予想できない。ただ一つ、蓮はすずめを邪魔者扱いしているという事実は知った。

 とはいえ日頃から蓮を追いかけているため、昼休みは必ず空き教室に行った。蓮が一人でパンを食べていて、慌てて駆け寄る。

「こんなもの食べてたら栄養失調になっちゃうよ。またお弁当作るよ。一緒にいてほしくないなら、お弁当だけ渡せばいいでしょ。頼むから体に悪いことは」

 ぎろりと睨み、蓮が怒鳴り散らした。

「うるせえっ。ここから出てけ。お前の顔なんか見たくねえんだよ」

「ごめんね。あたしが蓮くんに気の障ることして怒ってるんでしょ? 理由はわからないけど、本当にごめん」

「いい加減にしろっ。馴れ馴れしく名前呼ぶなっ」

 立ち上がり、蓮は力強くすずめの胸をどついた。もろに衝撃を受けたすずめは、机に頭をぶつけ意識を失った。それからはずっと真っ暗な空間に浮かんでいた。




 目が覚めると、白い天井が見えた。ゆっくりと起き上がると、カーテンが開いて保健室の先生が微笑んでいた。

「日菜咲さん、気が付いたのね」

「あたし……。どうしたんですか……」

「机に頭をぶつけたのよ。脳震盪のうしんとうね。大丈夫?」

「ちょっと……。くらくらはしてますけど……」

 先生は笑い、詳しく説明してくれた。

「高篠くんが大急ぎで駆け込んできてね。意識なくなったって。病院なら俺が連れて行きますって。だから、軽い脳震盪だから平気よって言ったらベッドに寝かせて、さっきまでここに座ってたのよ。心配そうにね」

「れ……じゃなくて、高篠くんが?」

「日菜咲さんが羨ましいわあ……。あんなかっこいい男の子に大事にされてるんですもの。青春って素敵よね」

「い、いえ……。大事にされてるどころか、嫌われてるんですけど」

「え?」

「全然、大事にされてませんよ。いつも冷たくて意地悪されて睨まれて怒鳴られて。酷いですよ」

「嘘でしょ? あれは、好きな女の子に向ける顔だったわよー。もしかして恋人同士? って思ってたのに。学校だって、日菜咲さんに会うために通ってるんじゃないの?」

「ええ? そんなわけありませんっ」

 しかし、ずっと不登校だったのに真面目に通うようになったのは、すずめが一緒に勉強をしたい、となりに蓮がいないと寂しいと話したからだ。もしかして、会うために通っているのか。

「全然、嫌われてないわよ。むしろ好かれてるんじゃない? めちゃめちゃイケメンなんだから、恋人になっちゃえば?」

「さすがに恋人は……。あ、あたし、教室に帰ります」

 まだ痛みはあったが、無理をして保健室を後にした。授業の途中だったが、すずめは教室に入った。クラスメイトが心配そうに見つめる中、蓮のとなりに着席する。大丈夫か、と聞かれるかもしれないと思っていたが、視線も向けてはくれなかった。自分が傷つけたのだし、無視したいのはわかる。すずめも授業を受け、学校生活が終了した。

「すずめちゃん、倒れたんだって?」

「怪我しなかった?」

 クラスメイトが集まってきた。うん、と大きく頷いて答える。

「ただの脳震盪だから。あたしってドジだよねえ。転んで頭ぶつけるなんて」

 蓮が勢いよくこちらを向いた。驚いた表情をしていたが、すずめは嘘をついた。

「これからは気をつけるよ。あーあ。高校生のくせに転ぶなんて、恥ずかしいー」

 ははは……と苦笑すると、クラスメイトはほっとしていた。

 放課後、一人で歩いていると、後ろから腕を掴まれた。

「……れ……ん」

「さっき、どうして嘘ついたんだ?」

 どきりとしたが、素直に話した。

「だって、もしバラしたら暴力男だって噂されちゃうじゃん。そうしたら、また不登校になるかもって。あたし、蓮くんが喧嘩してるところなんか見たくない……」

 ぽろぽろと涙が零れた。蓮は目を逸らし、掴んでいた腕を放した。とてつもなく気まずい雰囲気になり、しばらく二人は固まった。その沈黙を破ったのは、すずめの方だった。

「あの……。ありがとう……」

「ありがとう?」

「意識がなくなったあたしを、蓮くんが保健室に運んでくれたんでしょ? 病院まで連れていくって。先生が教えてくれた」

「別に。あんな場所でぶっ倒れてたら迷惑だろ。仕方ねえから保健室に持って行ったってだけ」

 感情など一つもなく、面倒くさげに答えた。先生は、すずめが喜びそうな作り話をしたのか。

「そ、そっか。そうだよね。みんなもびっくりするしね」

「何度も言ってるけど、俺に関わるのやめろ」

 暗い言葉が胸にぐさりと刺さる。

「弁当もいらねえ。余計なお節介するな。これ以上つきまとうなら、アメリカに帰るからな」

「アメリカに? や、やだよ」

 はっとして冷や汗が流れる。慌てて蓮に手を伸ばすと、強く振り払われた。

「お前は馬鹿みたいにクリスマスパーティーではしゃいでればいい。俺には近づくなよ。わかったな」

 捨て台詞を吐いて、蓮は大股で歩いて行った。すずめはへなへなとしゃがみ、地獄に突き落とされた。

「……アメリカ……。そ……そんな……」

 やはり男の子の気持ちは理解できない。いきなり笑ったり、いきなり怒ったり。女だからわからなくて当然だが、こんなに態度がころころ変わるものなのか。

 とりあえず、言われた通り近づくのはやめると決めた。弁当も作らないし、「おはよう」すら声をかけなかった。もちろん蓮の方も、目を合わせなかった。お互いに透明人間扱いの日々が始まった。卒業するまで、ずっとこんな生活を続けていくのか。しかし蓮がアメリカに帰るのは、絶対に避けたかった。



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