三十四話
土曜日に、さっそくドレスを買いにデパートに行った。まだ十一月だが、街の中はすっかりクリスマスムードだ。飾りを見ているだけでも心が明るく踊っている。子供の頃、サンタに会いたくて毎年夜更かしをして待っていた。けれどサンタがやって来る前に眠くなって、結局一度も会うことはできなかった。やがてすずめは成長し、サンタはプレゼントをくれなくなった。あの頃に戻りたい。朝起きて、枕元に大きな箱がそばに置いてあった、きらきらと輝くクリスマス……。
「あ、でも」
柚希の顔が浮かんだ。子供に戻ったら、柚希とおしゃべりができなくなる。お互いに他人同士で存在すら知らない状態だ。急に幼い柚希について知りたくなった。すずめが初めて出会ったのは中学一年生なので、それまでの過去は完全に透明なのだ。
金持ちの家の親は、とても口うるさくて厳格で、とにかく子供のしつけが一番大事という性格だと、すずめはイメージした。柚希の態度からはあまり想像しにくいが、蓮が話していたようにマナーから何から全てきっちりと叩きこまれているかもしれない。すずめが蝶よ花よと可愛がってもらっていた時、柚希は堅苦しい日々を送っていたのかもしれない。
「道の真ん中で立ち止まってると迷惑だぞ」
背中から声をかけられて、はっと振り向いた。私服を着た蓮が、じろりと見下ろしている。
「あれ? 蓮くん」
「またおかしな妄想してんのか。もしするなら家でしろよ」
「いや、ドレスを買いに来たのよ」
慌てて答えると、蓮はすずめの手を掴んで歩き始めた。すずめも黙ってついていく。
「どうしたの?」
「さっきから、周りにいる女たちに写メ撮られてるんだよ。逃げまくってんだけど、しつこく追いかけてきやがる。俺が何したってんだ」
あまり容姿が美しすぎても幸せではないらしい。長身なため目立つし、イケメンだから写真に収めたくもなる。
「あのさ」
蓮が戸惑いながら呟いた。
「なに?」
「今日一日、俺のそばにいてくれねえか?」
「へ? あたしが?」
驚いて目を丸くする。
「そうだ。お前がいれば寄ってこないんじゃないかって……。要するに、一日だけ恋人同士ってわけだ」
ぼっと頬が赤くなった。どきどきと鼓動が速くなる。
「もうすでに自分には彼女いるんだって?」
「ただし、今日だけだからな。ずっとじゃねえぞ。いいか」
すずめが返事をしていないのに、蓮は歩き始めた。
突然、俺の彼女になれと言われ、はいなりますと簡単に答える人はいない。これがそこらへんにいる平凡な男だったらまだいいが、蓮はイケメンの王子様なのだ。
「あたし、村人なのに」
「は? 村人?」
「……ううん。こっちの話」
「どうでもいいけど、早く来いよ」
「わ、わかった」
走って蓮の元に行く。すると、ぎゅっと手を握られた。
「うわわっ。蓮くん」
「手を繋いだくらいでびっくりするなよ」
「だけど、あたし男の子とデートしたことなくて」
「俺だってねえよ。お前の買い物に付き合ってやるから、お前も俺に付き合え」
だらだらと冷や汗が流れる。こういうのを浮足立つというのか。蓮は余裕なのか、眉一つ動かさない。ちらちらと視線を注いでいると、蓮もこちらを見た。
「腹減ったか?」
「お腹空いてないよ。あたし」
「そろそろ昼だし、どっかで食うか」
すずめの言葉など全く聞いていない。蓮の性格はすでに知っているため、今さら衝撃もなかった。
二人が入ったのは回転寿司店だった。好きなだけ食べられるし、客も少ない。向かい合わせに座り、さっそく皿を取る。毎日弁当を一緒に食べているので、ほとんど緊張しなかった。三皿食べ終わると、ふう……と息を吐いた。
「お腹いっぱい。満足」
「もういらねえのか」
「最初からお腹空いてなかったしね」
「じゃあ出るか」
蓮がバッグの中をごそごそと探す。同じようにすずめも財布を探すと、すかさず固い言葉が飛んできた。
「お前は払うなよ。俺が奢る」
「ええ? いいよ。蓮くんに迷惑かけちゃう」
「お前は俺の彼女なんだぞ。遠慮するな」
彼女と呼ばれ、胸がときめいてしまった。代理とはいえ、彼女扱いされると嬉しい。こくりと頷くと、蓮は立ち上がった。
それからドレスを買いに、またデパートに戻った。蓮は店の前に寄りかかり、すずめは一人でいろんなドレスを選ぶ。あまり待たせると悪いと必死に探したが、どれもすずめに似合うものはなかった。仕方なく俯いて蓮の元に行く。
「買わなかったのかよ」
「うーん。なかなかね……。とりあえず今日は諦める」
はあ、とため息を吐くと、ぎゅっと手を握られた。
「まだ時間はあるしな。もう帰るか」
「蓮くんは何しに来たの?」
「別に。暇つぶし」
「そうなの」
わざわざデパートに暇つぶしに来るのは不思議だったが、黙ったまま二人で歩いて行った。
電車から降りたら別れると思っていたが、まだ時間が早いため誰もいない小さな公園にやって来た。ブランコに腰かけ、もう一度息を吐く。
「あーあ。ドレスが決まらなかったら、パーティーに参加できないよ」
「普段着でもいいんじゃねえの?」
「無理だよ。柚希くんは有名会社の息子なんだよ? みんなおしゃれしてるはずだし、会場も豪華だろうし。恥だけはかきたくないの」
「へえ……。それほど金持ちなのか、あいつ」
「全然、気取ってないから忘れそうになるけどね。普通なら俺はすごいんだぞって自慢するのに。柚希くんって素晴らしいよ。かっこいい……。本当に王子様だよね」
柚希の柔らかな微笑みに、胸がキュンキュンする。すると、蓮が後ろから背中を押してきた。ブランコの鎖を握り、大声をあげる。
「うわあああああっ。あっ……危ないでしょっ」
足で止めると、蓮は不機嫌そうな表情で腕を組んでいた。
「お前は、彼氏と二人きりでいる時に、他の男の話をするのか」
「えっ?」
ぐいっとすずめの肩を掴み、蓮は低い口調で続けた。
「今日だけだが、お前は俺の彼女なんだぞ。俺のことだけ見て、俺のことだけ考えてろよ。言っておくけど俺は今日一日、お前のことだけ見て、お前のことしか考えてなかったぞ」
ばくんばくんと心臓が跳ね上がる。震えた声ですずめも呟いた。
「蓮くんのことだけ……」
「そうだ。彼氏の前で他の男を褒めたり、かっこいいなんて絶対にだめだからな。少しは男の気持ちも考えろよ」
「だけど、あたしは女だから男の子の気持ちなんてわかんないよ。何でそんなことで怒るのとか、どうすれば機嫌が直るのかとか……」
情けなく俯いてしまう。蓮は返す言葉がなかったのか、視線を逸らして話した。
「まあ、明日からは普通の関係に戻るけど。好きなだけ、かっこいいだの王子様だの褒めても構わないぞ」
「蓮くんだってかっこいいよ」
すかさず、すずめも言い返す。ツリ目の瞳が大きくなった。
「は?」
「蓮くんだって、柚希くんに負けないくらい王子様だし、かっこいいよ。ちょっと性格が冷たいってだけで」
素直に伝えた。嘘でも言い訳でもない本当の言葉だ。蓮は、柚希には持っていない大人っぽさとクールさが漂っている。
「ふうん……。そりゃあどうも」
にっと笑う蓮に、目が離せなくなった。動揺して体が震える。そのすずめを蓮はぎゅっと抱き締めた。完全に逃げる隙はなく、彼の広い胸にすっぽりとはまった。抱き合った状態で、二人の唇が重なる。さらに舌で舐め取られ、リップが消えていく。
「れ……れ……ん……」
「誕生日プレゼント。まだもらってなかったな。これからも、その甘いリップ付けてこいよ。真壁にもごちそうしてやれ」
「ご、ごちそうって……」
五時の鐘が鳴り、はっと体が離れた。そのまま公園を出ると、走って家に帰った。
洗面所に入り、鏡を見つめた。リップがほとんどなくなっている。つまり蓮と口づけを交わしたという事実が、はっきりと伝わった。
「れ……蓮……くんに……」
ぼっと頬が赤くなった。お仕置きという感じはしなかったし、今日のキスは柔らかく優しかった。どう考えてもキスで間違いないが、蓮は誕生日プレゼントと言っていた。
「……じゃあ、これもファーストキスってわけじゃないの?」
ふと疑問が生まれた。それだと嬉しくないが……。また、真壁にもごちそうしてやれというのは、柚希ともキスしろという意味だ。すずめが誰とキスしようが関係ないし構わないのか。
「うーん。やっぱり、男の子の気持ちってわかんない……」
悶々としていると、赤かった頬が元に戻っていた。悩んでも答えは出ないため、先ほどの出来事は忘れてしまおうと決めた。




