二十四話
最後に見せた、蓮らしくない驚いた表情が脳裏から離れなかった。そのため眠ってもうつらうつらしかできない。今頃、蓮はどんな思いでいるのか。夏祭りから一週間経ったある日、一人で散歩していると背中から肩を叩かれた。勢いよく振り向くと、柚希が笑っていた。
「ゆ、柚希くんっ」
「偶然だね。買い物? 散歩?」
「散歩。宿題終わったし、用事もなかったから」
「そっか。もしよければ俺も一緒に歩いてもいいかな?」
どきどきと鼓動が速くなり、頬が火照っていく。うん、と大きく頷いた。
「嬉しい。実は一人ぼっちで寂しかったんだ」
「よかった。じゃあ、さっそく行こうか」
「行くって? どこに?」
「日菜咲さんが決めていいよ」
相変わらず穏やかで優しくて、子犬みたいなタレ目にキュンキュンしてしまう。かっこよくもあるし可愛さもある。欲張りな王子様だ。とりあえず駅に向かってゆっくりと進んで行った。
「ところで、柚希くんに聞きたいんだけど」
「ん? なあに?」
「蓮くんのことなんだけど……」
動揺した蓮の姿を柚希に打ち明けた。いつもプライドが高く偉そうなのに、なぜあんな顔をしたのか。全て聞き終えると、柚希は深く考えてから答えた。
「ショック受けたんじゃないかな」
「ショック? どんなショック?」
「日菜咲さんに、すぐ殴る男だと思われたっていうショック。平気で暴力振るう人だって白い目で見られたっていう」
「え?」
理解できずに目を丸くした。柚希は続ける。
「高篠くんにとって、日菜咲さんは最も信頼できる存在なんだよ。家族も友人もいない。だけど日菜咲さんだけはそばにいてくれる。それなのに日菜咲さんにまで軽蔑されたら、味方がいなくなっちゃうだろ。天涯孤独みたいなものだよ」
「あ、あたし、蓮くんをそんなふうに思ってないよ? 平気で暴力振るう人だなんて」
慌てて言い返すと、柚希は柔らかく微笑んだ。
「なら、高篠くんに伝えなきゃ。このままじゃ、ずっと高篠くんは落ち込んだ状態だよ。高篠くんを助けてあげようよ」
「助けるって、どうしたら」
「簡単だよ。はっきりと気持ちを言葉にすればいいだけ。きっと高篠くんは、ほっとできるよ。普通に戻れるよ」
だが、蓮の家は知らないし、会っても緊張してうまく伝えられるだろうか。
「あたし……。弱虫だから、はっきりと言葉にできるかな……」
項垂れると、柚希は足を止めた。すぐにすずめも顔を上げた。柚希の視線の先にあったのはゲームセンターだった。真面目で優等生の柚希と縁のなさそうなゲームセンターは、子供たちで賑わっていた。
「柚希くんって、もしかしてゲーム好きなの?」
「好きってわけじゃないけど。あ、あった」
UFOキャッチャーに飛びつき、中に置いてあるぬいぐるみを指差した。
「日菜咲さん、ほしいものある?」
ざっとぬいぐるみを見ると、残念ながらすずめのぬいぐるみはなかった。一番取りやすそうなのは猫だったので、すぐに答えた。
「あの猫、可愛いなあ。でも、UFOキャッチャーってめちゃくちゃ難しいよ」
「頑張るよ。猫でいいんだね」
コインを機械に入れ、柚希はUFOを動かした。ちょうど引っかかる場所があったらしく、ゆっくりと狙いを定めて下ろしていく。たった一回で猫は穴に落っこちた。
「す……すごーい。柚希くん、天才っ」
「妹にお願いされてるうちにコツ掴んでね。特技がUFOキャッチャーなんてかっこ悪いけど」
「かっこ悪くないよ。一発でゲットしたの初めて」
興奮したすずめに、柚希は猫を渡した。
「これで、少しは元気になれるかな?」
すずめがしょんぼりとしていたのを心配していたみたいだ。ぬいぐるみを抱き締めて、ぺこりと頭を下げる。
「ありがとう。大事にするよ。家宝にするっ」
「家宝? 面白いねえ。日菜咲さんって」
王子様の贈り物は、たとえ安物のぬいぐるみでも死ぬほど嬉しいのだ。感動に浸っていると、柚希は聞いてきた。
「すずめちゃんって呼んでもいい?」
一瞬、体が固まった。頬が真っ赤になる。
「すずめ? う、うん。どうぞ」
「せっかく仲良くなったんだし。これからは、すずめちゃんの方で」
アイスのようにとろけそうだった。こういうのを天にも昇る想いというのだろう。
「じゃあ、次は何か食べようか。すずめちゃんの好きな食べ物は?」
「え、えっと……。甘いものなら何でもいいよ。そういえば、新しいクレープ屋ができたんじゃないかな」
「そっか。よし、二人で探してみよう」
柚希が歩き出し、すずめもついて行った。
三十分ほどしてクレープ屋が見つかり、柚希が奢ってくれた。申し訳なかったが、柚希が「男が払うのが普通だろう」と受け取ろうとしなかった。テラス席に向かい合わせに座り、おいしいクレープをいただく。
「柚希くんは、お菓子とか甘いもの好きなんだね」
「うん。妹がいると、何となく好きになるのかもしれないね」
「優しいお兄ちゃんで、桃花ちゃんが羨ましいなあ。勉強も教えたりするの?」
「頼まれたらね。わがままで自分勝手で、振り回されてばっかりだけど」
「いいなあ。あたしは一人っ子だから、そういう経験ができなくてつまらないよ」
「俺は、比較されない一人っ子の方が楽しそうだけどな」
穏やかだった笑顔が苦笑に変わった。
「比較って?」
「母さんって、俺には勉強しろって口うるさくてさ。桃花には説教しないのに。お前はお父さんの跡取りなんだから、あれもしなさいこれもしなさいってね。それがストレスとプレッシャーになってるよ。けっこう辛いんだ」
「桃花ちゃんばっかり可愛がられてるって意味? 酷いね。柚希くんに立派になってもらいたいっていう気持ちもわかるけど、あんまり期待されると苦しいよね」
むっとして話すと、柚希はすずめの頬に触れた。どくんどくんと鼓動が強く響く。
「柚希くん?」
「ほっぺたにクリーム付いてるよ」
「あっ、ご、ごめん」
慌てて心臓を落ち着かせた。柚希のかっこよさは半端なく、少し触れられるだけでも痛いくらいどきどきするのだ。緊張して、持っていたクレープを落としてしまった。
「すずめちゃんっ。大丈夫?」
「いいの、いいの。お腹いっぱいになったから」
「もう一つ買って来るよ。ちょっと待ってて」
「ううん。気にしないで。そろそろ別の場所に行こうよ。いつまでもここにいてもしょうがないし」
椅子から立ち上がり、柚希の腕を引っ張った。諦めたのか、柚希も黙って歩いた。
横にいる柚希の顔を、ちらちらと盗み見る。どこからどう見ても、王子様としか言いようがない。頭もいいし性格もいいし体型もいいし素晴らしい。非の打ちどころがない。
「ねえ、すずめちゃん」
「な、何?」
「電話番号、交換しない? メールアドレスも」
ずっと願っていたことだった。嬉しすぎて、ぴょんぴょんと跳ねる。
「うんっ。もちろんっ」
バッグから携帯を出し、柚希に教えた。同じく柚希も話してくれた。
「これで、いつでも連絡できるね」
「うわあ……。柚希くんから電話が来たら、感動して泣いちゃう」
頬に触れると、かなり熱かった。風邪をひいているみたいだ。柚希も満足そうに頷く。
「平日はだめだけど、休日はいつでもかけてきていいからね。必ず返信するよ」
特別扱いされていると想像した。ふわふわと体が宙に浮かんでいる。
「あたしも、柚希くんだったら絶対に返信する」
「ありがとう。すずめちゃんって、優しくていい子で素敵な女の子だね。まだ十六歳なのに母性で溢れてるし」
褒められて、夢なのか現実なのかわからなくなってきた。くらくらと目が回り、すずめは意識を失いその場に倒れた。




