二十三話
無理難題と戦っていると、夏祭りが近づいてきた。すずめの住む街の夏祭りは規模が大きく、屋台はもちろん打ち上げ花火も有名だ。となり街からわざわざやって来る人も多い。今年もたくさんの人たちが夏祭りを楽しみにしているだろう。エミに電話をすると、驚いた声が戻ってきた。
「あれ? もう夏祭りだっけ? 宿題で忙しくて忘れてたよ」
「時間って経つの早いしね。えっと、五時に神社の前で待ち合わせ……でいいかな?」
「いつもと同じね。夏祭りは柚希に会えるといいね」
もしかして、海に行った日からずっと、すずめを心配していたのか。申し訳なくなったが、逆に明るい口調で答えた。
「会いたいなあ。できたら浴衣も見てもらいたいよ」
「可愛い浴衣だもんね。ただし柚希はファンがいっぱいいるから」
「なかなかね。あたし村人だし」
「村人?」
「いや。何でもないよ」
苦笑しながら言い、電話を切った。
夏祭り当日は、朝からどきどきしていた。中学一年生の夏祭りに柚希を知り、恋に落ちた。生まれて初めての貴重な体験だ。あれからずっとずっと柚希に憧れ、片想いをしている。エミには教えたが母にも隠している秘密だ。もちろん柚希に好きだなんて告白できる勇気はなく、ただ遠くで眺めているだけだ。それで充分、満足できる。王子様と村人は、生きる世界がそもそも違うのだから、恋人になどなれるわけない。
三時には浴衣に着替え、何度も鏡でチェックをする。
「どこもおかしくないよ」
知世に言われたが、首を横に振った。
「でも、あたし高校生だし。大人だし。かっこ悪い思いはしたくないの」
すると知世はしみじみとすずめを見つめ、柔らかく微笑んだ。
「大人ね。そうだよね。十六歳なんだもの」
「でしょ? おしゃれするなら、完璧にしたいの」
エミみたいに女の子らしくなりたい。胸は小さいしセクシーとは呼べないけれど、可愛いくなりたい。羨ましいと願うだけではなくて、どうやったら魅力的に映るか勉強しなくては。
四時ちょうどに家を出た。待ち合わせの神社に向かう。周りにも浴衣を着た女の子が歩いている。友人と笑っている子。恋人と手を繋いでいる子。みんな浴衣を着こなし、優雅な雰囲気だ。幼稚で子供っぽい自分が恥ずかしくなって、すずめは俯いた。笑われたり悪口を言われたわけではないのに、どんどん自信が消えていく。穴があったら入りたい。
ようやく神社に辿り着いた。木に寄りかかり、エミが現れるのを待つ。屋台ではしゃいでいる女の子たちの可愛さが羨ましくて仕方ない。
「あの子、素敵だな。あ、あの子も……」
一人でぶつぶつと呟く。なぜ自分がここにいるのだろうと考えていた。さらに恥ずかしくなって、その場にしゃがみ込んだ。
「エミ……。まだかな……」
ため息を吐き、神社の奥に視線を移動する。そして目を丸くした。蓮が立っていた。遊びに来たのではなく、たまたま通りかかったという感じだ。
「れ、蓮くんっ」
慌てて彼の元に駆け寄る。蓮もこちらを見て、浴衣のすずめを頭のてっぺんから足の先まで眺めた。
「これ、何だ?」
「夏祭りだよ。ここのお祭りは有名でね。この後、打ち上げ花火もあるよ」
「ふうん……。夏祭りねえ」
もしかしてアメリカには夏祭りはないのだろうか。きょろきょろと見回している蓮に、緊張しながら質問してみた。
「ね、ねえ。似合ってるかな?」
「は?」
「この浴衣、新しいんだけど。ど、どうかな? 可愛いかな?」
両手を広げて、もう一度繰り返す。すると蓮はあまりにも冷たい言葉を投げかけてきた。
「俺に聞くなよ。自分でどうかわかるだろ」
ガーンとタライが落っこちてきた。男子からの意見を知りたかったのに。
「いや、もっとちゃんと」
「あれえ? 高篠じゃん」
後ろから、軽い口調の声が飛んできた。振り向くと柄の悪そうな男二人が並んで笑っていた。
「だ、誰? 蓮くんの知り合い?」
「さあ? 知らねえけど」
蓮が答えると、一人が距離を縮めてきた。
「おっと。知らねえとは言わせないぜ。忘れちゃったのかよ?」
にこやかに笑いながら、男は拳を作り蓮に殴りかかった。しかし蓮は交わし、鋭く睨みつける。不登校だった頃、喧嘩相手だった奴らだとすぐにわかった。
「最近、なかなか会えなくて寂しかったんだぜー。どこに行ってたんだよっ」
さらに勢いよくもう一人が攻撃する。それは当たり、蓮は苦しそうに顔を歪めた。
「け……喧嘩……なんて……。や……やめてよ……」
がたがたと体が震え始める。すずめが腕にしがみつくと、蓮は大声で怒鳴った。
「お前はどっか行けっ。邪魔すんなっ」
「どっかって……」
「逃げろっつってんだ。痛い目に遭いたいのか」
容赦なく男たちは蓮を殴る。すずめが動かないため、蓮は自分の背中に隠すように移動させた。
「やだ……。やだよ……」
ぼろぼろと泣きながら囁いても届かない。蓮と男たちの喧嘩が始まってしまった。どうすることもできず、立ち尽くすしかない。二対一で蓮の方が不利だが、負けそうではなかった。やがて、祭りに来た人たちが喧嘩に気づき、ひそひそ声が広がった。
「こんなところで喧嘩しないでよ」
「やだあ。ムード台無しじゃん」
「こわーい。あっち行こう」
白い目で見られているのは確実だった。いつまで続くかわからず、すずめはまた蓮の腕を掴んだ。
「お願いだからやめて。もう」
「触るなっ」
どんっと蓮に肘で胸を殴られ、すずめは地面に倒れた。ごほごほっと咳も出る。男子に本気で攻撃されたのだから当然だ。新しい浴衣も汚れてしまった。
「お、お前」
すぐに蓮はしゃがみ、すずめを抱き起こした。完全に戸惑っていた。まさかすずめを殴ってしまうとは考えていなかったのだろう。痛みのため涙が零れるとさらに蓮は狼狽し、その涙を拭った。
「……喧嘩……しないで……」
「ちょっと待て。まだ……」
「おいおい。なに女とイチャついてんだよっ。こっち見ろっ」
男の雄叫びが聞こえた。しかし拳が振り下ろされることはなかった。その前に誰かが阻止したからだ。
「もうやめろよ」
固く低い声の主は柚希だった。ぎろりと男を睨みつけている。
「なんだ? お前。放せよ」
「やめろって言ってるんだ。こんなに人がいる場所で喧嘩するんじゃない。危ないだろ。これ以上続けるなら警察を呼ぶぞ」
警察という言葉が怖くなったのか、舌打ちをしながら男たちは逃げていった。ふう、と息を吐いてから、柚希は蓮を睨みつけた。
「高篠くんも。頭に来たからって手を出すんじゃない。自分だけならいいけど、女の子がいるんだぞ。ちゃんと考えなかったから間違えて傷つけたんじゃないか。二人ともさっさと帰るんだ」
「でも、あたし、エミと約束してるのに……」
「エミ?」
「相沢エミ。水色の浴衣着てる、髪が短い子。神社の前で待ち合わせしてて」
「それなら、俺が相沢さんに伝えておくよ。とにかく二人は帰ること。いいね」
蓮が小さく頷き、すずめも仕方なく帰ると決めた。ぐいっと蓮に起こされて、ふらつきながらも立ち上がる。神社を後にし、黙ったまま歩く。すずめも蓮も相手にかける言葉は見つからなかった。ただ夏祭りになんか来なければよかったという空しさだけが体にのしかかっている。
「あ、あのさ」
蓮が口を開き、ぎくりとして冷や汗が流れた。
「うわわわわっ。殴らないでっ」
震えながら後ずさると、蓮は明らかに動揺した表情をしていた。そして、そのまま俯き走って行ってしまった。




