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二十話

 土曜日に、数学の教科書やノートをバッグに入れて図書館に行った。部屋より図書館の方がやる気が上がる。エミに付き合ってもらおうかと考えたが、いつも頼ってばかりで迷惑をかけてしまうとやめた。一人でもテスト勉強はできる。英語と同じく数学も相当苦手なので、ペンが止まったり答えが出ずいらいらしてしまう。しばらくして、今日はこれくらいでいいと諦め、図書館を後にした。完全に数学もテストも忘れ、街中をぶらぶらと散歩した。特に買うつもりはなかったが、電気屋に辿り着き入ってみた。まだ使えるが、新しい携帯のモデルを見て欲しくなった。

「うわあ……。このピンクのカバー、可愛いなあ……」

 呟いていると、遠くに背の高い男子が立っていた。

「あれ? 蓮くん?」

 電気屋に何の用だろうと不思議になり近寄ると、音楽プレーヤーの棚を見つめていた。

「蓮くん」

 呼ぶとすぐにこちらを振り向いた。意外だったのか、ツリ目の瞳が大きくなる。

「なあに? イヤホンでも買うの?」

「この前、派手に転んだ時に壊れたんだよ。お前が喧嘩に飛び込んできた時」

「そんなのあったっけ?」

「あっただろ。お前が犯されそうになったのを、俺と真壁が助けて」

 むくむくと記憶が蘇る。はっと目を丸くした。

「そういえば。最近いろいろとあって、すっかり忘れちゃった」

「忘れる方がおかしいだろ。ズボンのポケットになんか入れておかなきゃよかった」

 後悔の口調で呟き、一番新しいタイプの音楽プレーヤーを手に取った。

「へえ……。けっこう高いけど。蓮くんのお小遣いっていくらぐらいなの?」

「俺の金を知って、お前はどうするんだ? 盗むのか?」

「ただの質問だよ。盗むとか犯罪とかじゃなくて。ところで、蓮くんってバイトしてるの? してないよね? 稼がないと、いつかお金なくなっちゃうよ」

 もしするとしても他人と会話することは不可能だ。美貌を活かしてモデルなどはできそうだが、長続きはしないだろう。面倒くさかったのか、蓮は黙ったまま音楽プレーヤーを持ってレジに向かう。「ありがとうございました」と言った女性店員は、顔がきらきらと輝いていた。柚希と同じくらいのイケメンなのに、あまり蓮はちやほやされないのは、無表情だからか。着ている服も黒や紺が多く、他人の陰に隠れるためにあえてこの色を選んでいるのかもしれない。夜は闇に同化してほとんど見えない。

 二人で電気屋から出ると、蓮の横に並んで歩いた。つきまとうのはやめろと文句を言われそうだったが、すずめはまた聞いた。

「蓮くんって、どんな音楽を聴いてるの?」

 これには答えてやってもいいかと考えたのか、蓮は間をおいてから口を開いた。

「クラシック音楽」

「クラシック? すごーい。かっこいいね」

「クラシック音楽って脳に効果あるんだぞ。活性化してくれるしリラックスもするし。お前も聴いた方がいいぞ」

「脳? な、何か急に医学的な話になったね。蓮くんって、そういうの調べるの好きなの?」

「俺じゃなくて、俺の父親が好きだったんだよ。外科医でもあるしな」

 目が点になった。予想していない言葉だった。

「ええ? 蓮くんのお父さんって外科医なんだ?」

「外科医で悪いか」

「悪くないよ。外科医なんて憧れちゃう……。だって、人の命を救うんだもんね。こんな風にやるんでしょ?」

 すずめが両手を胸にかざし「手術開始」のポーズをすると、蓮は小さく笑った。

「俺は、実際に手術してる場面は見てねえけどな。ただ、外科医ってなるのものすごく難しいよな。命を預かるわけだし、一歩間違えれば死ぬし。時間が長引いても集中が途切れないようにとか、度胸と体力がないと絶対に無理だ」

「蓮くんは、お父さんの跡を継いで外科医になる気はないの?」

 試しに言うと、蓮はすずめをじろりと見下ろした。

「俺が、誰かの命を救える男だと思うか? 途中で嫌になって他人に丸投げして、もし死んでも難しい手術だったって誤魔化しそうだろ」

「い、いや……。さすがにそれはないと……」

 苦笑すると、蓮はどこか遠くを睨みつけながら答えた。

「それに、俺はあいつを尊敬したことは一度もない。あんな人間だけにはなりたくねえな」

 ふと母親について聞いた時を思い出した。蓮は母親も「あの女」と呼んでいた。蓮の両親は、どちらもだめな親なのか。だがもちろん質問できなかった。素直に教えてくれるわけがない。

「さて。俺は帰るけど」

「えっ? 帰っちゃうの?」

「お前とおしゃべりするために来たんじゃねえよ。新しい音楽プレーヤーも手に入ったし。お前はどこかに行くのか?」

「あたしも暇つぶしに散歩してただけだよ。用事はないよ」

 テスト勉強は頭から消えていた。それを蓮が引き戻した。

「バッグに数学の教科書が入ってるぞ」

「えっ? あっ……。そういえば、テスト勉強しに図書館に行ったんだ」

「へえ。一人で?」

「一人でだよ。あわわわ……。また図書館に行ってくる。サボっちゃだめだっ」

 冷や汗を流し、図書館へ走った。つい遊んでしまう自分の欠点を蓮にバレて恥ずかしくなった。いらいらしながら教科書とにらめっこし、六時になって図書館から出た。

 早く帰ろうと考えていたが、CDレンタル店の前で足を止めた。店に入り、クラシック音楽の棚に移動する。有名な作曲家のCDを手に取り、レジに持って行った。

「脳にいいってことは、脳を休めるって意味だよね」

 勝手に妄想し、疲れた頭を癒そうと決めた。

 父のCDプレーヤーを借りて、さっそく聴いてみる。興味がないため、どこがどう効いているのかわからなかったが、確かにいらいらは消えていた。また、久しぶりに熟睡した。

 翌日も図書館に行った。さらにCDプレーヤーもバッグに入れた。たまに休憩をしてクラシック音楽を聴き、ほっと息を吐く。蓮からとてもためになるアドバイスをもらったと嬉しくなった。月曜日にそのことを伝えると、蓮はツリ目の瞳を大きくした。

「すぐに試したのか。お前って単純だな」

「別に単純でもいいでしょ。ああ、あたしも音楽プレーヤー欲しいなあ。お父さんにおねだりしちゃおうかなあ」

「数学のテストでいい成績とったら買ってもらえば?」

 はっとして、蓮に視線を向ける。だとしたら、もっともっとテスト勉強しなければならない。

「ちょ、ちょっとそれは心配だな。勉強で使うって話せば、買ってくれるかな……」

「遊ぶためじゃなく、勉強のためって?」

「うん。あたしのお父さんって親バカで子供に甘いの。欲しいって言えば、何でも買ってくれるんだ。逆にお母さんは厳しい。まあ、基本的にはどっちも甘やかすタイプだけど」

 えへへ、と笑うと、蓮は俯いて黙ってしまった。明らかに不機嫌になったと感じた。お前の両親はいいな。何の問題も悩みもなく、のうのうと暮らせて。ぎくりとして、すずめも俯く。

「……ごめん……」

「ごめん? どうして謝るんだ?」

「だって、自慢してるみたいだったでしょ」

「そうか? 俺はそう思わなかったけどな」

 ふん、と蓮が抑揚のない口調で答えると、昼休み終了のチャイムが鳴った。あまり、家族について話をするのはやめようと決めて、俯いたまま教室に戻った。

 蓮の謎は深まるばかりだ。しかし何となく浮かんだのは、両親があまり子供想いではなさそうだということだ。大体、家事ができない息子を一人暮らしさせるというのもあり得ないし、蓮も嫌っている。

「普通、外科医なら尊敬するよね……。父親が他人の命を救ってるんだから」

 柚希は、有名会社の社長である父を尊敬していた。将来は父の跡を継ぎたいと夢見ている。外科医は、なるのが難しいのは当然だが、蓮の胸には父への誇りと憧れのような光は宿っていない。

「あんな人間って、どんな人間だろう……」

 疑問でいっぱいで、いつかこの謎は解けるのかと想像した。蓮が自分の過去について教えてくれる日はあるのだろうか。



「あともう少しで、夏休みだね」

 クラスメイトが楽しそうに騒ぎ始めて、数日後に夏休みがやって来ることに気づいた。最近は頭が蓮で埋まっていたせいか、暑くても汗などかかなかった。季節が変わったのだと知り、一人だけ春の状態だった自分に驚いた。放課後に蓮と二人きりになると質問した。

「蓮くんは、夏休みの予定はあるの?」

「夏休み?」

「海とか旅行とか、いろいろと遊べるじゃん。一カ月以上も休みがあるんだよー」

 夏休みの素晴らしさにうっとりする。蓮は首を傾げ呟いた。

「一カ月の休みねえ。俺にはどうでもいいけど」

「そんな風に考えちゃだめだよ。あ、もしかしてアメリカに帰るの?」

 腕を組んで、蓮は即答した。

「アメリカには帰らねえよ。海にも旅行にも行かねえ。ずっと部屋で飯食ったり寝たりする」

「ええ? 長い休みなのに、家にいるの? もったいないー」

「じゃあ、お前は予定があるのか?」

「あたし? あたしは、まずエミと海に行って買い物に行ってお祭りにも行って……。新しい水着と浴衣も欲しいなあ」

「ふうん……。自由気ままに遊びほうけるのか」

 呆れた口調の蓮に、むっとして言い返す。

「遊んでばっかりじゃないよ。宿題だって、きちんとやるもん」

「まあ、俺には関係ねえから。好きなように過ごしてくれ」

 ひらひらと手を振る蓮に、どきどきしながら聞いてみた。

「……蓮くんも、一緒に来なよ」

 すぐに蓮は反応した。驚いたように目を丸くしている。

「俺が? お前らと出かけるって?」

「う、うん……。海なら、男の子もいっぱいいるし」

 続けると、呆れた表情で蓮は呟いた。

「嫌に決まってるだろ。面倒くさすぎる」

「盛り上がるじゃん。水着持ってないなら、普通のTシャツでも構わないよ」

「俺は、盛り上がるどころかうんざりするんだよ。暑い日に、もっと暑くなることするなんて馬鹿じゃねえの」

 お弁当で少しは距離が縮んだと感じていたのは、すずめだけだったのか。もっと努力しなければ、蓮の心の扉は開かないのか。

「だけど、夏休みにいつも通り部屋で過ごしてるのは、やっぱりもったいない。できれば外に出た方がいいよ」

 もう一度話したが、蓮は無視をして歩いて行ってしまった。

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