表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/146

十八話

 月曜日に学校に行くと、廊下からクラスメイトの騒めく声が漂っていた。不思議な思いでドアを開けると、その理由がわかった。すずめの席のとなりに高篠が座っていた。高篠くん、と呼ぼうとしたが、その前に肩を叩かれた。振り向くとエミが囁いてきた。

「放っておけって約束したでしょ」

「……そうだけど。やっぱりとなりにいるのに知らんぷりは」

「いいの。知らんぷりでも。仲良くしたくないって高篠くんも言ったんでしょ」

 お前たちみたいに何不自由なく暮らしてきた奴なんか大嫌い。ならこちらも無視すればいいじゃないかという感じだが、すずめはどうしても気になってしまう。なぜ嫌いになったのか。彼の過去にはどんな出来事が隠されているのか。高篠は謎が多すぎる。

 一歩も動けないまま立ち尽くしていると、担任が教室に入ってきた。散らばっていた生徒たちは着席し、すずめも緊張しながら高篠のそばに行った。エミに心配をかけたくないため、なるべく知らんぷりを続ける。高篠も話しかけてこないし視線すら合わせようとしない。お互いに透明人間扱いをしていた。

 昼休みになって、ようやく高篠と接触できた。誰もいない空き教室で、彼はパンを食べていた。すずめもドアを開け、ゆっくりと近づく。教室と同じようにとなりに座り、弁当の蓋を取って高篠に差し出した。

「ほら。食べていいよ」

「は?」

「から揚げ、おいしかったんでしょ? 今日は二つあるから、一つどうぞ」

 高篠は驚いた表情をしていたが、やがてから揚げをつまんで口に放り込んだ。

「うまいな。味が染みてる」

「柚希くんもおいしいって喜んでたよ。高篠くんは、いつも買ったものばかりだね。お母さんに作ってもらわないの?」

「一人で暮らしてるから、作ってくれる奴がいないんだよ」

 勢いよく彼の横顔を見た。アメリカからやって来たが、一人で来たのだとは思っていなかった。

「じゃあ、家事は全部自分でやってるんだ」

「適当にな。とりあえず、食えるもん用意して腹いっぱいにしてるってだけ」

「おいしいものや好きなものは食べられないって意味?」

「昔からそうだったしな。お前はうまいもの食えて幸せだろ」

 知世がすずめの好きなものを作ってくれる。いろんな料理をごちそうしてくれる。高篠の母は、そういう性格ではないのか。子供のためにご飯を作ってあげようという愛情は持っていないのか。

「あたし、高篠くんのお弁当、用意しようか?」

 無意識に口から漏れた。高篠のツリ目っぽい瞳が大きくなった。

「俺に?」

「お母さんにお願いしてみる。もう一人分のお弁当なんて、簡単に用意できそうだし」

「そんなことしなくても、俺は死なねえよ」

「ご飯を、おいしいなって食べてほしいの。食べられるものをお腹に入れるんじゃなくて。高篠くんも、おいしいもの食べて幸せになってもらいたい」

 どんな生き物も、大好物やおいしいものを口にすれば元気になれる。高篠が心を歪ませているのは、そういう嬉しいという思いが生まれない暮らしをしているからかもしれない。

「子供が二人いるお母さんは、嫌でも二つ作ってるでしょ。もう一人、息子ができたと考えてってお願いしてみるよ」

 戸惑っていたが、高篠は曖昧に頷いた。

「……なら、頼もうかな」

「うん。きっといいよって答えるはずだよ」

 にっと笑うと、昼休み終了の鐘が鳴った。

 家に帰り、ただいまの前に母に伝えた。

「ねえ。明日から、お弁当もう一個作って」

「え? どうして?」

「クラスメイトに、一人暮らししてるからお弁当が作れないって子がいるの。可哀想だから、その子のために作ってあげて」

 母は口を半開きにしていたが、ゆっくりと頷いた。

「そうなの。それは可哀想だね。わかった。頑張って作るよ」

「ありがとう」

 感謝を告げて微笑むと、さっそく母は弁当の中身を作り始めた。




 翌朝、リビングに行くと弁当箱が二つ置かれていた。どうやら女子だと予想したらしく、ピンク色の花柄の弁当箱だった。嫌がられないか不安だが、鞄にしまい登校した。教室のドアが開き高篠がとなりに座ると、こそこそと囁いた。

「お弁当、持ってきたよ」

「えっ」

「女の子だって勘違いしたみたいで箱はピンクなんだけど、味は変わらないから」

「そうか」

 あっさりとした答えに、少しどきりとした。もっと冷たい槍が飛んでくると身構えていたため、拍子抜けしてしまった。

 昼休み。空き教室に移動すると、すでに高篠が椅子に座っていた。用意した弁当を渡す。

「おいしいかどうかはわからないけど」

 素直に受け取り、高篠は蓋を取った。から揚げをつまんで口に運ぶ。ツリ目は丸くなり、それから呟いた。無表情だった顔に笑みが浮かぶ。

「……うめえな。手作りの弁当って」

 柚希ほど柔らかくないが、確かに高篠は笑った。衝撃で、すずめは立ち上がった。

「あ……あわわわ……わわ……」

 震えながら彼を指差し、さらに後ずさる。

「た……高篠くんが……笑った……」

「何だよ。笑っちゃいけないのかよ」

「いやいや。いいんだよ。むしろ、どんどん笑った方がいいよ。でも、びっくりして……。あっ。ちょっと待ってっ。教室から携帯持ってくる」

「は? 携帯?」

「高篠くんが笑った姿を写メに残したいっ。初めて笑った記念写真」

 高篠の笑顔は消え、呆れた声で馬鹿にされた。

「記念写真って……。赤ん坊じゃねえんだぞ」

「でもさあ。転入してから、ずーっと笑わなかったんだよ。あたし、すっごく嬉しいの! 急いで戻ってくるから、また笑ってよ」

 走って教室に行き携帯を掴むと、空き教室に向かった。だが、残念ながら高篠が笑ったのは、おかずを口にした時だけだった。

「せっかく携帯持ってきたのに。笑ってよー」

「うるせえな。それより、さっさとお前も弁当食わねえと、昼休み終わるぞ」

 その通りなため、諦めてすずめも弁当を食べた。大好きなから揚げは、あまりおいしく感じられなかった。

 放課後エミと別れると、高篠が現れた。

「一人で帰ればいいのに」

「お前に聞きたいことがあるんだよ」

「聞きたいこと?」

 想像していなかったので意外だった。首を傾げると、高篠は真剣な眼差しを向けてきた。

「名字、何だ?」

「名字? ……日菜咲だけど……」

「漢字は?」

「日曜日の日に、菜っ葉の菜に、花が咲くだよ」

「へえ……。けっこう変わってるな。で、下がすずめか」

「そう。すずめはひらがなね」

 下はどうでもよかったらしく、高篠は黙っていた。

「……ねえ。高篠くんの下の名前は?」

 緊張しながら質問してみる。すると彼はツリ目の瞳を大きくした。

「知らなかったのかよ?」

「だって、教えてって言ったら、鳥女だからって答えてくれなかったんだよ」

「そうだっけ? よく覚えてねえや。……れんだよ」

「レン? 高篠蓮くん?」

「あんまり他人にバラしたくねえんだよ。女みたいだし、漢字もレンコンの蓮だぞ。かっこ悪いったらねえよ」

 しかし、すずめはそう感じなかった。首を横に振って言う。

「かっこ悪くないよ。響きがよくて綺麗な名前だと思うけどなあ。レンコンが嫌なら、ハスって例えればいいじゃん」

「ハス? あれってハスとも読むのか」

 初めて知ったという驚きの口調だった。ようやく高篠の苦手が見つかった。彼は漢字が不得意なのだろう。ずっと英語の世界で生きていたら、漢字を書く機会もほとんどない。とはいえ、漢字のテストで高篠が酷い点数をとったことは一度もないので、テスト対策がしっかりしているのも同時に伝わった。

「名前は、お父さんとお母さんからのプレゼントだよ。蓮なんて素敵な名前つけてもらって感謝するべきだよ。あたしも、すずめって名前とっても大事にしてるもん」

 そのおかげで鳥女というあだ名をつけられてしまったが……。すずめが鳥なのは間違っていないが、女の子に鳥女はあまりにも失礼すぎる。

「明日も弁当、作ってくれるのか?」

 高篠の言葉に、こくりと頷いた。

「お母さんにお願いするよ。必ず、から揚げも入れるよ」

「そうか。頼んだぞ、日菜咲」

 高篠が小さく笑った。驚いて目が点になった。

「へ? ひ……な……」

「じゃあな。俺は先に行く。お前も気を付けて帰れよ」

「なっ。ちょ、ちょっと……」

 衝撃が強すぎて、体が動かない。待って、と言いたいのに言葉にならない。その場に立ち尽くし、高篠の背中が消えるのを眺めた。彼に名字で呼ばれたのは初めてだった。さらに、うっすらと見えた笑顔。柚希とは違う、ちょっとぎこちない……。けれど穏やかな……。

「うわあああああっ。高篠くんが笑ったあああああっ」

 どきどきして一目散に走り出す。弁当で距離が縮んだのか。突然の高篠の態度に、ばくんばくんと胸が速くなる。きゃあああっと頬が熱くなった。

 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ