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十七話

 それから一週間は、高篠にも柚希にも会わずエミやクラスメイトと過ごした。学校生活もそんなに問題はなかった。また、高篠が学校に来たのを口にする人は誰もいなかったため、すずめも余計な話はしなかった。ただ、高篠に伝えたことは嘘ではなく本心だった。高篠が喧嘩をしているのを想像するだけでも辛い。白い目を向けられたとしても、高篠には学校に通ってほしかった。みんな怖がっているが、すずめや柚希のように待っている人だっている。正体を知る前はちやほやしていた女子は、現在は柚希のファンクラブに入っていた。裏切りとまでは行かないが、すずめはそれが許せなかった。高篠が他人と関わるのを嫌がったのは、もしかしたら自分の性格で相手を傷付ける恐れがあったからではないか。イラつくと怒鳴るから、近寄らないでくれ。さり気なく高篠は周りに注意していたのかもしれない。その忠告も知らず無理矢理彼と仲良くしようとした。もしそれだったら、悪いのはこっちだ。それなのに高篠を白い目で見ているのが頭に来た。

 高篠を尾行するのもやめた。犯罪めいたことはしたくないし、危ないヤクザのたまり場にわざわざ飛び込んで、本当に酷い目に遭ったら大変だ。すずめだけではなく、両親も傷付く。エミもきっと立ち直れない。高篠が今どうしているのか気になっても我慢し、学校に来るまで待っていた。

「それにしても」

 泣いて家に帰ろうとしたら、「泣き止むまでここにいろ」と手を掴んできた。さらに、ずっと横に座っていてくれた。あれは彼の優しさだったのではないか。馬鹿とか変な奴とかは言っていたので相変わらず冷たいが、自分がすずめを泣かせてしまった罪悪感が生まれたから、ああいう態度をとったのでは。

「優しいのか優しくないのか、わからないな……」

 すずめは女だから、男の考えや気持ちについて理解できない。これは当然だ。同じように高篠もすずめの考えが理解できない。しかも高篠は、感情を表さないのだから余計わけがわからない。彼の心の扉を開くのは、きっとできないのだろう。

 とりあえず、その日にできることをきちんとやり通す。勉強も遊びも精いっぱい取り組み、後悔しないように気をつけた。

 事件が起きたのは、翌週の土曜日だった。いつも通り散歩に出かけると、突然どこからか不気味な男の声がした。図太く轟に似た声だ。逃げればいいのに、体が勝手に動いて声が聞こえた方に歩いてしまう。そっと陰から覗くと、太った大男と痩せた男がいた。痩せた方は、すでに地面に突っ伏している。高篠は大男を鋭く睨んでいた。

「また喧嘩……」

 かなり高篠は度胸があり喧嘩も強いと知った。しかし大男はどう考えても一人では勝てそうにない。

「だめっ。やめてえっ」

 慌てて、すずめは高篠の元に走っていた。はっと高篠は振り向き、目を大きくして叫んだ。

「お前っ。こっちに来るなっ」

 すずめに気をとられたせいで、高篠はもろに大男の拳を頬に受けた。地面に叩きつけられ、うっと苦しそうに呻く。

「ほらほら。よそ見してるといけないぜ?」

 威力が強かったせいか、高篠はよろよろと起き上がるも、また倒れ込んだ。

「高篠くんっ。しっかりしてっ」

 すずめが泣き叫ぶと、大男はいやらしく笑いながら、すずめに話しかけた。

「うひょー。女がいるじゃん。最近、女と遊んでなくてつまんなかったんだよなあ。ちょっと、こっちに来いよ」

 大男に肩を触られ、ぞくぞくと血の気が引いた。後ずさったが、大男に腕を握られてしまった。

「一緒に遊ぼうぜ。可愛い子ちゃん。めちゃくちゃ楽しいぞ」

「や……やめて……。放して……」

 逃げたいのに足が固まって動けない。大男は、すずめに抱き付こうと両手を広げた。

「怖がらなくてもいいんだぜ。ほーら。パーティーの始まりはじま……」

 言い終わらないうちに、大男は前のめりに倒れた。驚いて顔を上げると、柚希が立っていた。珍しく睨みつけている。

「ふざけるな。日菜咲さんを犯したら絶対に許さないっ」

 冷たい言葉に衝撃が走った。今まで穏やかで柔らかな態度しか見せなかった柚希が、大男を倒したのか。

「ゆ……ゆ……ず……」

 驚いてしまって震えていると、また手を握られた。痩せた方の男が起きたのだ。

「へへへっ。女は俺がいただきっ。あんまり胸ねえけど、それでも」

 ゴッと鈍い音がして、痩せた男は地面に投げ飛ばされた。ようやく立ち上がった高篠が殴ったのだ。男の血が飛び散り、すずめは全身から力が抜けそうだった。本気を出せば、こうして自分よりも体が大きい相手だって気絶させることができる。実は男とは恐ろしい生き物なのかもしれない。

「日菜咲さんっ。大丈夫?」

 柚希が駆け寄る。ゆっくりと頷いて、かすれた声で答えた。

「あたしは平気。だけど高篠くんが」

 高篠は殴られた頬をこすり、俯いていた。油断してしまったのを恥じているようだ。柚希は高篠に質問する。

「大丈夫? 痛みは?」

「どうってことねえよ」

「怪我してるじゃないか。手当てしないと」

「いい。ほっとけば」

「だめだよっ。治らないよっ」

 すずめが割り込み、高篠と柚希が同時にこちらを見た。

「治らないよ。あたし、薬局でいろいろ買って来る。すぐに戻るから待ってて」

「日菜咲さん、俺が行くよ」

「柚希くんは、高篠くんが勝手に帰らないように見張ってて。じゃあっ」

 すぐに振り返り、大急ぎで薬局に向かった。消毒液と絆創膏を買い、二人が待つ空き地に戻った。

「ここは危ないから、ちょっと移動しよう」

 未だに倒れている男を見ながら柚希が言う。すずめも怖かったので、近くの公園に歩いて行った。ベンチに座り、高篠の怪我の手当てを始める。痛そうな表情をしたが、文句は一度もなかった。絆創膏を貼って手当ては終了した。

「はい。もう喧嘩しないでよ」

「お前が来なきゃ殴られなかったんだよ」

「どうしてあたしのせいなのよ。むしろ、手当てしてくれてありがとうくらい言ってもいいじゃない」

「ほっといても治る」

「くううっ。ムカつくっ」

 すずめと高篠のやりとりに、柚希が軽く笑った。

「楽しそうでいいね。何だか癒されるなあ」

「い……癒される……かな?」

「うん。日菜咲さんってお母さんみたいだね」

「えええっ?」

 驚いた。柚希はにっこりと微笑んで続ける。

「そうやって怪我をしたら手当てして、時々お説教もして。きっと日菜咲さんは、いい母親になるよ」

「でも、これって普通じゃ」

「普通じゃないよ。だって、みんなが怖がって目も合わせない高篠くんに、そういうことしてるんだから。愛情に溢れてないとできないよ。素晴らしいよ、日菜咲さんは」

 ぽんっと頬が火照った。えへへ……とにやけてしまう。

「素晴らしいなんて……。嬉しいなあ……」

 アイスのようにとろけそうだ。しかし高篠が固い言葉を口にした。

「あんまり褒めると、調子に乗るからそこらへんでやめておけよ」

 柚希はきょとんとし、すずめに聞く。

「え? そうなの?」

「ちょ、調子なんて」

 首を横に振ったが、高篠に口を覆われた。無理矢理手を外し、高篠を睨む。

「勝手なこと言わないでよ。あたしがいつ調子に乗ったの?」

「いつも乗ってるだろ」

「乗ってませんー」

 べーっと舌を出すと、柚希はまた楽しそうに笑っていた。

「手当ても済んだし、そろそろ帰ろうか」

 柚希が話し、少し残念な気になった。もうちょっと柚希とおしゃべりしていたかった。もちろん、わがままはやめて素直に頷いた。

「さっきの二人が追いかけてきたら危ないし。日菜咲さんは、俺が家まで送るよ」

 またぽっと頬が赤くなる。うっとりして宙に浮かんでいるみたいだ。

「いいの? 迷惑じゃない?」

「女の子を一人にしちゃだめだもんね。女の子を護るのが男の役目だし」

 かっこいい王子様は、考えることも紳士的だ。きゃあああっと感激していたが、すぐにもう一人の王子に却下された。

「いい。俺が連れていく」

「高篠くんが?」

「こいつと帰り道が一緒なんだよ。真壁は反対だろ」

「まあね。一緒なら、ちょうどいいね。じゃあ俺はこれで」

「えええっ? 柚希くんっ。待ってっ」

 呼び止めたが、柚希の背中はどんどん小さくなっていった。ああああっと嘆き、高篠を見上げる。

「もうっ。余計なことしないでよー。せっかく柚希くんと帰れると思ってたのに」

「別に誰と帰ったっていいじゃねえか」

「よくないっ。どうして高篠くんと帰んなきゃいけないのよーうっ。柚希くんと家の方向が一緒だったらよかったあっ」

「くだらねえこと言ってないで、さっさと帰るぞ」

 くうっと悔しかったが、立ち尽くしていてもしょうがないので、歩き始めた。

「お前って、ああいうなよなよしてる男が好みなのか」

 途中で話しかけてきた。むっとしながら言い返す。

「柚希くんはなよなよしてないよ」

「そうか? 俺にはなよなよしてるイメージだったけどな」

 確かに、高篠と比べると力はないかもしれない。体つきも高篠は固くてがっしりとしているし、柚希は喧嘩の経験も少ない。とはいえ、背も高いしスポーツ万能だし、文武両道なのだ。

「それに、さっきも大男を殴って、やっつけてたじゃない」

「あいつは殴ったんじゃなくて蹴ってたぞ」

「へ? 蹴ってた?」

 ふと柚希の中学の部活が陸上部だったのを思い出した。マラソン大会にも必ず参加しているらしい。

「そっか。柚希くんは、足の力が強いんだな」

 呟くと、高篠はすずめの手に触れた。じろじろと観察している。

「どうしたの?」

「いや。汚れてねえかなって」

「汚れ?」

「さっき大男に触られてただろ」

「ああ。平気だよ。高篠くんと柚希くんが助けてくれたからね」

 にっこりと笑うと、高篠は手を放した。黙っていたが、どこか安心したような表情だった。

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