十五話
事件が起きたのは、それから三日後の水曜日だった。朝クラスメイトと話をしていると、ガラッと勢いよく教室が開いた。顔を上げると、高篠が立っていた。その瞬間、クラスメイト全員が石像のように固まった。やがて、どこからともなく囁きが耳に入ってくる。
「げっ。高篠じゃん」
「何しに来たんだよ」
「目、合わせたら殴られるよ」
「二度と会わないって安心してたのに」
ざわざわとどよめきが起きたが、すずめは無視をして聞こえないフリをした。
「た、高篠く……」
駆け寄ろうとしたが、後ろから手を掴まれた。
「やめとけって。日菜咲」
「自分から殴られに行くんじゃねえよ」
「そうだよ。ほっておきなよ。あんな野蛮な人」
「関わったら、酷い目に遭うんだよ」
みんながすずめを心配している。ちらりと高篠に視線をやり、次にクラスメイトの方に目をやる。
「でも……」
「いいじゃん。無視すれば」
「すずめちゃんが怪我するなんて嫌だよ」
掴む力が強く、すずめは動けなくなってしまった。高篠はずんずんと真ん中を突っ切り、すずめのとなりに座った。黙って窓の外を眺めている。やがて担任も入ってきた。高篠の姿に、明らかに不快そうな表情をした。
「……高篠くん。お久しぶりね……」
苦笑でそれだけ言うと、後はずっと透明人間扱いだった。
昼休みに、高篠が教室から出て行くのを見た。すずめも弁当を持ち、彼を探しに行った。高篠は、初めて会話をした空き教室に座っていた。ドアを開け、ゆっくりと近づいていく。
「高篠くん。また学校に通う気持ちになったんだね」
「別に。ただの暇つぶしだ」
「暇つぶしでもいいよ。学校に行こうっていう心が大事だよ」
「迷惑みたいだったけどな」
クラスメイトの冷たい態度が蘇った。首を横に振り、固い口調で言う。
「みんな酷いよね。高篠くんはアメリカで暴走族のリーダーしてたわけでも、名前呼んだり目を合わせても殴ったりしないのに。狂ってるんだよ」
「そうか? もしかしたら本当に暴走族のリーダーだったり、平気で人を殴れる奴かもしれないぞ」
「高篠くんも、そうやってひねくれてるからだめなの。もっと自分の良さを伝えたくないの?」
「良さ? 俺のどこに良さなんかあるんだか。お前だって害虫男って呼んでたじゃねえか」
「あ、あれは……。カッと来たのよ。本気でそう思ってるわけじゃない」
汗を流しながらも答えた。高篠の横に座り弁当の蓋を開けると長い腕が伸びてきた。鶏のから揚げをつまんで、そのまま高篠は口に放り込んだ。
「な……。ちょ、ちょっと……」
「お前が食うと共食いになるからな」
「ひどーいっ。あたし、から揚げ大好きなのにっ」
「うめえな。母親が作ってんのか」
わなわなと怒りが沸いてくる。勝手に横取りされたのが信じられない。
「よくも、あたしの一番の楽しみをっ」
「家で作ってもらえばいいだろ。それに、さっきも言ったけど」
「あたしは鳥じゃないっ」
ガタンと音がした。振り向くと、柚希が立っていた。
「日菜咲さんと高篠くん……」
「ゆっ……」
驚いて、すずめも立ち上がる。どきどきと鼓動が速くなっていく。高篠は座ったままで、じっと柚希を見ていた。
「お前が、真壁柚希か」
「俺の名前、知ってたのか。嬉しいな。俺も高篠くんとしゃべってみたかったんだ。ずっと不登校で、それも心配してたし。また学校に通えるようになったんだ」
「ただの暇つぶしだ」
「……じゃあ、来たり来なかったり?」
質問をすると、高篠は俯いた。柚希はさらにそばにより、手を差し出した。
「俺、高篠くんと仲良くなりたい。だめかな」
「仲良く? お前と?」
「うん。友だちに。実は俺って友だちが少ないんだ。彼女取られたって恨まれちゃってね。よければ高篠くんと長く付き合ってほしいな」
確かに柚希が男子とおしゃべりしている姿はほとんど見ない。常に女子に囲まれている。柚希としては、男同士の会話の方が楽だし、恋人がいない高篠はちょうどいい相手なのだ。高篠は何も答えず、ただ柚希を見つめていた。この男がどういう性格なのかと想像しているようだ。その無表情に、あわわわ……と、すずめは冷や汗を流していた。もしかしたらまた高篠が怒鳴り散らすのではないかと緊張で震えた。柚希は笑っているが、喧嘩が始まりそうな雰囲気で、がたがたと恐怖が襲ってくる。
「な……殴ったりしないでよ……」
こそこそと高篠の耳元で囁いた。柚希に合わせていた視線をすずめに移動し、聞き返す。
「殴る?」
「だって、殴りそうな感じがしたから……」
もう一度囁くと、柚希は苦笑して謝った。
「ごめん。二人でおしゃべりしてたのに、邪魔しちゃって。いきなり友だちになってなんて自分勝手すぎるよね。じゃあ、俺はもう出て行くね」
「えっ? ま、待って……」
呼び止めたが、柚希はドアを閉めて走って行った。残された高篠のとなりにしゃがみ、ため息を吐いた。
「あああっ。高篠くんがいると、ろくな目に遭わないわ……。柚希くんも行っちゃうし」
「俺のせいにするな。さて、そろそろ俺も」
「待って」
立ち上がりかけた高篠の腕を掴み、すずめは呟いた。
「だめだよ。高篠くんはここにいて。あたし、まだお弁当食べ終わってないの」
「どうして俺が付き合わなきゃなんねえんだ。一人で食えよ」
「寂しいこと言わないで。一緒にいるくらいいいでしょ」
「女って面倒くせえ……」
嫌な顔をされたが、高篠は座り直した。どうやら残ってはくれるみたいだ。ふと高篠の持っていたものを見た。パンのゴミが入ったビニール袋だ。
「ねえ、高篠くんは、お母さんにお弁当作ってもらわないの?」
聞くと、高篠は視線を逸らした。
「高篠くんにもお母さんがいるでしょ? パンなんか食べてちゃだめだよ。体によくないよ」
「あんなの母親じゃねえ……」
「え? どういう意味?」
驚いたが、高篠は黙ってしまった。何か過去に暗い出来事があったみたいだが、すずめには想像できない。やがて弁当が空になると、二人で教室に戻った。
それから放課後までは、一度も彼と会話しなかった。クラスメイトからの目もあるし、先ほどの質問で高篠が不機嫌になっているのは伝わった。母親との仲がよくないのか。あんな母とはどんな母だろう。
校門を出てエミと別れると、高篠が現れた。
「明日は学校にくるの?」
「暇だったらな」
「なるべく毎日通った方がいいよ。クラスメイトは怖がってるけど、あたしや柚希くんみたいに待ってる人もいるから」
「迷惑なら迷惑だって言えよ。本当はお前もあいつらと同じなんだろ」
「同じじゃないよ。同じだったら、お昼一緒に食べたりしないでしょ」
「二度と学校にくるなって怒鳴ったのは、どこの誰だったかな」
ああ言えばこう言う。だが、すずめはすっかり免疫力が備わっていた。
「柚希くんみたいになれって言っても、高篠くんは変われないよね。でも、せめてもう少し思いやりを持ちなよ。他人も、悪いところを探すんじゃなくて」
「俺は悪口を言ってるんじゃない。ありのままを素直に言ってるだけだ。うるせえからうるせえ奴って言うし。馬鹿だから馬鹿だって言ってる」
「言っていいことと悪いことがあるの。高校生なんだし、常識を知ろうよ」
「なら、俺も話すけど。もう俺に近付くのはやめろ。俺につきまとうのは非常識だから」
「へ?」
驚くと、高篠は固い表情をしていた。
「お前まで、周りの奴らに白い目で見られるようになるって意味だ」
冷たいセリフにどきりとした。ぐっと身構えて、すずめも言い返す。
「それはそうだけど。あたしは、高篠くんが一人で浮いた状態になるのが嫌なの」
「嫌? もしかしてお前は、自分が俺を救えるとか思ってんのか?」
思っていない。だが救ってあげたいのだ。
「違うよ。だ、だけど」
ぐいっと腕を掴まれ、さらにどきりとした。汗が額に滲む。
「高篠く……」
「とにかく、俺のためにとか、俺が可哀想だからとか考えるな。お前はお前の好きなことだけしてろ」
「好きなこと?」
「そうだ。楽しいことだけやれ。わかったな」
掴まれていた腕を放され、軽く胸をどつかれた。尻もちはつかなかったが、よろけて後ずさった。俯いて、ぼそっと呟く。
「……わかった。好きなことをすればいいのね」
高篠は黙って後ろを振り返り歩き始めた。これ以上相手をするつもりはないようだ。そのまますずめも家に走って帰った。




