一四五話
デート当日になった。蓮はすずめがコーディネートした服を着てやってきた。すずめも約束した通り、ロングスカートで靴はスニーカーだ。それに合わせて、シャツも小学生が着そうなイラストがプリントされているものにした。
「うわあっ。蓮かっこいいっ。とっても素敵だよっ」
「すずも子供っぽい格好、似合ってるな」
可愛いと直接褒めるのは恥ずかしいのだろう。だが、これでも充分満足だ。うるさい、しつこい、魅力の欠片さえない。あの頃と比べたら、だいぶ性格が変わった。とげとげの心を丸くしたのは、すずめの愛情の深さだ。何度も好きと聞かされたら誰だって嬉しくなるし気持ちも変化する。
「手、繋いで歩きたいな……」
照れながらお願いすると、蓮は即答した。
「手じゃなくて腕組んで歩けよ。そっちの方が恋人っぽいだろ」
「えー? 腕組んで? やったあっ」
ぎゅっと腕に抱きつき、体にもたれかかるように歩いた。
行きたい場所はなく、ただ足の向く方に進んでいった。途中でベンチに座って休憩したり、喫茶店でお茶をしたり、ロマンチックな雰囲気が続く。人のいないところで、そっとキスをした。二人きりの世界に入ろうとしたが、直前で声をかけられた。
「おおっ。熱々だねえっ。何? またデート?」
「すずめちゃんも高篠くんもよかったね。やっと恋人同士になったね」
柚希と圭麻が笑っていた。すずめは全身が熱くなったが、蓮は動揺しなかった。
「そうだ。デートしてるんだから、邪魔しないでくれ」
「邪魔って酷いなー。もしヒナコと蓮が別れたら、俺が彼氏に」
「別れたりしねえよ。残念だけど天内にも真壁にも、すずは渡さない。他の女と付き合え」
圭麻は悔し気な表情になったが、柚希は穏やかに微笑んでいた。仕事も結婚もイギリスでと話していたし日本にも戻ってこないので諦めているのだろう。
「きっと天内くんの前にも可愛い女の子が現れるよ。俺たちは、すずめちゃんと高篠くんが幸せになるのを祈ってあげよう。自分勝手なわがままはいけないよ」
「わかってるけどさあ……。やっぱり無理矢理でもヒナコと結婚しちゃえばよかった」
「だめだって。じゃあ、俺たちはこれで。デート楽しんでね」
そして柚希と圭麻は歩いて行った。姿が完全に消えてから、蓮は呟いた。
「天内、すずのこと未だに好きみたいだな。嫉妬してる目つきだった」
「嫉妬? あたしはそう見えなかったけど」
「いや、俺を憎んでるんじゃないかな。大事な物を奪い取られたって」
「うーん。まあ確かに告白も柚希くんはなかったけど、圭麻くんは二回目があったから。でもあたしは蓮と離れ離れにはなる気ないし、別れたら一生独身を貫くよ」
ふと蓮は視線を逸らした。何となく緊張と焦りが感じられた。
「そういや、両親に挨拶しないといけないんだよな。すずを俺にくださいって」
「ああ……。結婚の挨拶ね」
蓮が家にやってきたら、知世たちはどう反応するか。無口で無表情な奴なんて信用できないと断るか。それとも深く愛し合っているのならと許すのか。すずめまで冷や汗が流れる。
「心配しなくても大丈夫だよ。お父さんもお母さんも厳しくないし」
だが蓮は俯いて返事をしなかった。耳に届かなかったのかもしれない。日本でもアメリカでも他人に白い目を向けられ嫌われてばかり。すずめの両親からも悪い印象を持たれてしまうのではないかと不安でいっぱいなようだ。どんな言葉をかけても暗い気持ちは消えない。仕方なくデートはそこで終わらせ、腕を組みながらゆっくりとマンションに帰った。
リビングのソファーに腰かけても蓮は黙っていた。元気づけるために一人で買い物をし、鶏のから揚げを作った。おいしいものを食べれば、きっと柔らかな微笑みを見せてくれるはずだ。途中で蓮が台所に入ってきた。
「……から揚げか」
「うん。お腹すいてるでしょ? もうちょっとでできるから待ってて。たくさん食べてね」
「うまそうだな。……これも俺のために?」
「もちろん。落ち込んでる蓮が明るくなるようにね」
「そうか……」
できたてのから揚げを大皿に盛ってテーブルに置いた。蓮は十分ほどで全て平らげ元気を取り戻した。
「本当、すずは俺にとってかけがえのない存在だ。ありがとな」
「えへへ。喜んでもらって嬉しい」
「世界一……。いや、宇宙一幸せにしてやる」
耳元で囁かれ、どきどきと鼓動が速くなった。
その夜、すずめは生まれて初めて自分の裸体を家族以外の人間に見せた。とはいえパンツだけは穿いていた。蓮も同じ格好で、狭いベッドで抱き合った。恥ずかしいという想いはなく、驚くほど心の中は静かだった。胸に触らないようにしている蓮の手を掴み、無理矢理押し付ける。
「遠慮しないで。嫌がったりしないから」
「だけど……」
「身も心も捧げるって言ったでしょ。命だってあげられる。何をされても構わないよ。もっと……もっとあたしのこと……知ってほしい……」
ほっと息を吐いて、蓮は腕の力を強くした。キスも舌を入れるディープキスで、なぜか涙が溢れた。
「愛してる……。愛してるよ……。ずっとそばにいてね……」
掠れた口調で囁くと、蓮もしっかりと頷いた。
まるで夢を見ているようだが、これは現実。幻のように消えたりしない。しばらくして朝日がカーテンの隙間から差し込み、ベッドの下に落ちている服を着た。
「こうやって、一つ一つ大人になっていくんだな」
すずめの髪に触れながら、ぼそっと呟いた。驚いて目が丸くなる。さらに蓮は続けた。
「自分の体も心も相手に見せて、いつか新しい命が生まれるんだな。俺の場合は、だいぶ時間がかかるけど」
「ねえ。先に子供産むことはできないの? あたし、一人でも子育てできるよ。頑張るから……」
「一人で子育てなんか無理だ。金がなさすぎる。食べるものも着るものも買えなくて、いつか親子もろとも死ぬぞ。それに家もこのマンションじゃ狭すぎるだろ。俺がまともに仕事できて、ある程度金が貯まって一戸建てを手に入れるまでは我慢だ」
「そんなあ……。じゃあ結婚は? 結婚はできるよね?」
「結婚はできるかもしれないけど、豪華な式は挙げられないぞ。指輪も高いものは買えない」
「豪華じゃなくても構わないよ。指輪も安くていい。とりあえず結婚しよう。ずっと恋人同士は嫌だもん。結婚できるのは、女は十六歳で男は十八歳だよね」
ぐっと両手を握りしめると、蓮も小さく微笑んだ。