一四一話
「ところで、蓮くんってどんな勉強してるの?」
ふと質問してみた。恋人同士になれば教えてくれるかもしれないと考えたのだ。予想通り、蓮は即答した。
「医者になるための勉強だよ」
「医者? 外科医?」
「お前が外科医になれって話しただろ。偉そうなこと言うなって最初は馬鹿にしてたけど、どうしても記憶に残ってて。だんだん外科医になりたいって将来の夢ができたってわけだ」
「やっぱり息子は父親を尊敬するものなんだね。虐待されてるのに助けてくれなかったって憎んでたけど、お父さんを許したんだ」
「違えよ。あいつは関係ないし、死んでも許せねえよ。全部お前のため。俺が外科医になったら喜ぶだろ。その姿が見たいってだけ」
どきりと心臓が跳ねる。すずめのために努力していたのかと嬉しくなった。
「ただ、勉強が難しすぎる。他人の病気治す前に俺が病気になりそうだ。実際、ぶっ倒れたし。本に書いてある通りに行かないからな」
「え? どういう意味?」
目を丸くしたすずめの髪に触れ、蓮は答えた。
「その治療法で、治る人もいれば悪くなる人もいる。人それぞれ体の中は違うんだよ。まあ、まだ手術ができるレベルじゃないけどな。まずは医大に合格して、研修医になって……。とにかく道のりが長すぎる」
だから自信がなくなってしまったのか。高すぎるハードルを乗り越えるのは無理だと、さすがの蓮も怖気づいたのかもしれない。だが、すずめは力強く叫んだ。
「大丈夫だよ。きっと立派な外科医になれるよ。あたしは信じてる。そもそもお父さんが有名な外科医なんだもん。その血を引き継いでるんだから、ネガティブに考えちゃだめ。いつもの堂々とした蓮くんはどこに行っちゃったのよ」
少し驚いていたが、すぐに蓮は微笑んだ。
「本当、俺のこと愛してくれるんだな。そうやって背中押してくれるの、お前だけだ」
「何だってするよ。大好きな蓮くんのためなら」
「蓮って呼べよ。蓮くんじゃなくて。もう彼氏と彼女なんだし」
はっとした。確かに、ずっと蓮くんなのは嫌かもしれない。こくりと頷いた。
「わ、わかった。慣れてないけど、なるべく蓮って呼ぶようにする。じゃあ、蓮もすずめって呼んで」
すると蓮は俯いた。うーんと唸ってから、そっと顔を上げた。
「すずめって呼びづらいんだよな。鳥の名前だし、周りから変な人って見られたりするだろ。すず……じゃだめか?」
「すず? 可愛い。すずでOKだよ」
柚希はすずめちゃん。圭麻はヒナコ。そして蓮は、すず。新しいニックネームを作ってもらう度に、胸が暖かくなっていく。そしていつか、日菜咲という姓から高篠になるのだ。
「俺の子、産んでくれるよな?」
耳元で囁きが聞こえる。ぎゅっと手を握りしめた。
「うん。産むのは痛いし怖いけど頑張る。……蓮が、あたしが妊娠しないように注意してたのって、自分の子孫を残してほしかったから?」
柚希と圭麻は他にも彼女を見つけて産んでもらえるかもしれないが、蓮はすずめしかいない。もしすずめが誰かの子供を身ごもったら愛の結晶を抱きしめられない。少し首を傾げてから答えた。
「そういうわけじゃないけど。もしかしたら無意識に嫌がってたのかもしれないな。とりあえず、すずは俺のものだ。離れ離れになったり別れたりは絶対にないぞ。世界一幸せにしてやる。たくさん護って助けてくれたすずを、今度は俺が護って助けてやるんだ」
「嬉しい。本当……。夢みたいだよ……」
飛び込むように抱きつく。そしてあることに気が付いた。
「どきどき……してる……」
微かだが、蓮の速い鼓動が感じる。
「わかるのか?」
「うん。恋してる心臓の音って、服の上からでも聞こえるんだね」
つられて、すずめもどきどきした。生まれてきてよかったと、初めて思った。命を与えてもらった両親に、ありがとうと伝えたい。蓮と会わなければ辛い目に遭わないのにと落ち込む夜もあったが、全て正しかったのだ。感動の涙を流すすずめを、蓮は柔らかく抱きしめた。
すっかり外は真っ暗闇になってしまった。ずっとそばにいたいので、マンションに泊まることに決めた。
「このまま二人暮らししたいね」
すずめが話すと、蓮は視線を逸らした。
「結婚は、まだかなり時間がかかるぞ。さっきも言ったけど、医者になるのって死ぬほど難しいんだ」
「まあ、仕方ないよ。でも必ず結婚するんでしょ?」
「もちろん。しなかったら幸せにするって約束破るって意味だからな。ただ……本当に何年後になるかわからないんだよ」
固い口調に、すずめも項垂れた。まず医大に合格をするというのも大変そうだし、頭がいい蓮でも怖気づくのだから相当辛い道だと想像した。だが、外科医になることをすすめたのはこっちで、将来の夢を諦めさせたくない。立派な外科医になったら、より一層蓮はかっこよくなるだろう。
「そっか。ちょっと残念だね。おばあちゃんになる前には結婚したいな」
「俺もそのつもりだ。特に高齢出産は避けたい。早すぎも遅すぎもだめだよな。二十代後半くらいで産むのがちょうどいいんじゃないか?」
聞かれたが、返す言葉がなかった。あまりにも飛躍しすぎていてわけがわからなかった。少し頷くと、蓮は時計に視線を移した。
「寝るか。疲れただろ。驚いたり泣いたりして」
「そうだね。せっかくだから一緒に寝る?」
「いや。あのベッドは狭すぎるだろ。新しくダブルベッド買わないとな」
「ダブルベッドかあ……。うわあ……。どきどきしちゃう」
照れて頬が赤くなる。その仕草が可愛かったのか、蓮は優しく額にキスをした。
布団の中に潜り込むと、すぐに睡魔はやってきた。久しぶりに夢を見た。純白のウエディングドレスを着て、きらきらと輝く世界にいる。遠くには蓮が腕を広げて待っていた。周りでは拍手をしている人々がいた。柚希、圭麻、エミ、両親。担任教師と保健室の先生まで祝ってくれている。
「みんな、ありがとうっ。いつも応援してそばにいてくれて……。本当にありがとうっ。あたし、蓮と幸せになるねっ」
叫ぶと、さらに歓声が激しくなった。すずめも満面の笑みで駆け出し、蓮の胸に飛び込む。不安も悩みも完全に消えたのだと確信した。そのまま抱きしめられながら、ゆっくりと目を閉じた。




