一四〇話
本格的に受験が始まった。すずめも蓮のことばかり考えてはいられず、自分の進路について悩んでばかりいた。とはいえ将来の夢も大人になった時の姿も想像できないし、志望校だって曖昧だ。参考にしようと柚希と圭麻に質問をすると、ショッキングな答えが返ってきた。
「俺はイギリスに行くよ。父さんと二人でいろいろな国を旅して世界を知ろうって決めたんだ。英語もまだペラペラじゃないし」
「ええ? イギリスに行っちゃうの? 日本には戻ってくる?」
「たぶん戻ってこないと思う。仕事も結婚もイギリスで、になるんじゃないかな」
「そんなあ……。柚希くんに会えなくなるなんて」
「ごめんね。だけど父さんの会社を継ぐために、できることは何でもやってみたい。距離は離れちゃうけど、すずめちゃん達のことは忘れないし、暇な時は手紙送るから」
にっこりとしていたが、すずめはがっくりと項垂れた。ふと圭麻の方に視線を向けた。
「圭麻くんは? 海外に行ったり……」
「俺は日本にいるよ。ただし、今住んでる家からは出ていく」
「何で……?」
「有那から、仕事も家事も子育ても一人でやるのは無理ってメールが届いてさ。調べたら俺の志望してる大学と有那のマンションがめちゃくちゃ近くて。流那も俺がいると大喜びだしね。卒業したらすぐに引っ越すつもり」
つまり柚希とも圭麻とも会えなくなってしまう。寂しさに耐えきれず、ぽろぽろと涙がこぼれた。
「二度と再会できなくなるってわけじゃないよ。またいつだって会えるって」
「そうそう。落ち込んでるヒナコなんか見たくないよ」
「だけど、忙しくてそんな時間ほとんどないでしょ。悲しすぎる……」
その場にへなへなと座り込んだすずめを、二人は暖かく包み込んでくれた。
勉強をしなくてはいけないのに、家に帰らず小さな公園に寄った。周りは暗く女子が一人でいたら危険だが、とりあえずこの想いがリセットされなくては笑顔もぎこちなくなってしまう。知世に心配されるのは嫌だった。
人それぞれ、進む道が違っている。抱えている願いや叶えたい夢もばらばらだ。それはすずめにもわかっているし仕方がないと諦めている。けれどあまりにも柚希と圭麻が優しすぎて、別れを告げられてショックを受けてしまった。高校を卒業しても近くにいる。毎日顔を合わせて声を聞ける。圭麻なら大丈夫かもしれないが柚希はイギリスなので絶対に不可能だ。ぐすんぐすんと泣いていると、突然背中から話しかけられた。
「また落ち込んでるのか。何があったんだよ」
振り向かなくても蓮だとわかる。掠れた口調ですずめも即答した。
「今は一人にして。放っておいて。本当……辛くて寂しいの……」
「辛くて寂しい? 詳しく教えろよ」
やけに柔らかい返事で少し意外だった。柚希と圭麻の将来について話すと、ふむふむと蓮は頷いた。
「へえ……。じゃあお前を可愛がったり抱きしめたりする奴が消えるってわけだな」
「そうだよ。あたしも大学で忙しくなると思うけど、せめて電話でおしゃべりくらいはしたい」
「天内は平気かもしれねえな。真壁は手紙のやり取りしか方法はないか」
「あたし、独りぼっちになりたくない。柚希くんと圭麻くんがいなくなったら、どうやって暮らしていけばいいの?」
胸にぽっかりと穴があいているみたいだ。弱々しく泣くすずめを見つめながら、蓮はまっすぐ質問をした。
「お前って、未だに俺が好きなのか?」
なぜそのことについて聞くのか謎だったが、素直に答えた。
「好きだよ。大好きだよ」
「真壁と天内は?」
「柚希くんと圭麻くんも好きだけど、友だちとして。恋人同士になりたいとは思ってないよ」
「他の男に誘われても、部屋にあがったり仲良くしたりしないんだな」
「うん。蓮くん以外の男の子は興味ないもん」
ベンチに座っていた蓮が勢いよく立った。つられてすずめも無意識に立ち上がる。
「よし。決まりだ。これからは俺が可愛がってやるぞ」
「え? 蓮くんが……可愛がる?」
「そうだ。俺が彼氏になる。恋人に」
「こ……恋……って……」
目が点になり、足から力が抜けていく。あまりにも衝撃が強すぎて、すずめは意識を失った。
ゆっくりと目を開くと、白い天井がぼんやりと見えた。はっと起き上がり、すぐ横に座っている蓮に驚いた。
「あれ? あたし公園にいたはずじゃ……」
「意識失ってぶっ倒れて、しょうがないから連れてきたんだよ。覚えてねえのか」
「そうだっけ? どうして意識失ったのかな?」
記憶を遡っても、靄がかかっていてはっきりとしない。俯いているすずめに蓮は呆れた表情で話した。
「俺が彼氏になるって言って、びっくりしたんだろ」
どくんと心臓が跳ねた。緊張で冷や汗が流れ始める。
「彼氏に……なる? 恋人同士になるって意味?」
「そうだ。ただし俺と恋人同士になったら他の男とイチャイチャするのは禁止だぞ」
きらきらと周りが眩しく輝く。まさか……まさか蓮の口から恋人同士になるという言葉が出てくるとは……。
「本当? 本当に? 嘘じゃなくて?」
「嘘じゃねえよ。大体こんなことに嘘ついたって得しないし」
「し……信じられない……。蓮くんの彼女になれるなんて……」
奇跡が起きた。感動で自分が何をしゃべっているのかよくわからない。ぽろぽろと涙を流すすずめの頭を蓮は優しく撫でた。
「俺も、お前が彼女になるなんて思ってなかった。大喧嘩して縁まで切ったくらいなんだぞ。それが数ヶ月後には恋人同士って関係なんだから、どんな未来が待ってるか想像できねえよな」
「う、うん。夢みたい。叶うわけないって諦めてたのに」
目をこすりにっこりと笑うと、蓮も小さく微笑んだ。この蓮が一番好きなのだ。魅力に溢れている愛しい姿だ。
「ただ、さっきも言ったけど他の男とイチャつくのはだめだぞ。二人で出かけたり手繋いだりするなよ」
「大丈夫だよ。柚希くんと圭麻くんは友だちだから。きっと蓮くんの彼女になったって聞いたら、幸せになれって応援してくれるはず」
「そうか。なら心配しなくてもいいな」
ほっと蓮も息を吐き、すずめもしっかりと頷いた。
「……でも、どうしてあたしのこと好きになったの? あんなに嫌ってたのに」
蓮は首を傾げたが、無視はせずに返事をした。
「やっぱり、俺のためにっていうのが一番だな。怪我の手当てや看病。昼休みの弁当も用意して、虐待する奴は体張って庇ってくれたよな。綺麗に部屋片づけたり、ごちそうしようと料理の練習。夢の中でだって泣いてる俺を助けたくて探したんだろ? いつも俺のために頑張ってたよな。だんだんお前が近くにいると胸が熱くなって、逆に真壁や天内と仲良くしてるとイライラしだして。こんな気持ちになったのは初めてだから、恋に落ちたんじゃないかなって思ったんだよ。……まだはっきりと好きなのか……ぼんやりしてるな」
「ぼんやりしてるの? 自分のことなのに」
呆れたように言うと、額を小突かれた。
「お前なんか、真壁と天内と付き合って、ようやく俺に惚れてるって知ったんだろ。どれだけ時間かかってるんだよ」
「ま、まあ……。かなり遅いけど」
「おまけにカッとして縁切ってその後わかるなんて。もし俺がアメリカに行ってたら失恋だったんだぞ」
「そういえば、そんな出来事があったなあ。あの頃のあたしに、蓮くんの彼女になれたよって教えてあげたい」
たくさん泣いて悩んで不安に襲われていた。しかし意外と早く幸せはやってきてくれた。柚希と圭麻とは離れ離れになってしまうが、蓮がそばにいてくれればまっすぐ前を向いて歩いて行ける。いつか、蓮のぼんやりとしている気持ちも明らかになるだろう。そっと広い胸に顔をうずめると、ぎゅっと抱きしめられた。




