一三七話
九時のスーパーマーケットは客の数が少なかった。から揚げの材料を蓮と並んで選ぶ。色や鮮度のいいものを見極めてかごに詰めていると、そっと蓮が呟いた。
「お前、けっこう成長したんだな」
「うん。全部圭麻くんのおかげだよ。料理だけじゃなくて他の家事も教えてくれたの」
「へえ……。あいつ確か母親が死んだんだよな。だから家事が得意になったのか」
「男の子なのに尊敬するよね。……尊敬と言えば、圭麻くんって蓮くんのこと憧れてるみたいだよ」
蓮のツリ目が丸くなった。かなり驚いているようだ。
「俺に憧れてる? どういう意味だ?」
「詳しくは知らないけど、大人っぽくて常に冷静でいるのが羨ましいんだって。圭麻くん、甘えん坊で泣き虫なところがあるでしょ? 弟だからか、わがままな態度とったりするし」
「だけど、まさか憧れてるとは思ってなかったな。顔合わせれば喧嘩する仲だろ」
「あたしもびっくりしたよ。どう? 同い年の男の子に尊敬されて。嬉しい?」
じっと覗き込んで質問したが、蓮は素っ気なく即答した。
「別に。俺には関係ねえし。嬉しくも何ともねえよ」
「またぶっきらぼうだねえ。すぐに暗くなるの、治した方がいいよ」
「偉そうなこと言うな。あと足りないものは?」
はっとした。そういえばから揚げを作るのだと胸に蘇った。かごの中を確認し、大きく頷いた。
「これで大丈夫だよ。買ってくるから、蓮くんは出口で待ってて」
にっこりと笑ったが蓮は黙ってかごを奪い取った。そしてまっすぐにレジに向かう。
「蓮くんっ。あたしがお金払うからっ」
「いい。大体、お前そんなに金持ってないだろ」
そっと口を閉じて俯いた。実は自分の小遣いで買えるだろうかと不安になっていたのだ。蓮に見透かされていたのかとどきりとした。すずめを取り残し、蓮はさっさと会計を済ませて商品を袋に入れて戻ってきた。
「ごめん。お金使わせたくなかったんだけど」
「もう終わったんだから謝っても意味ないだろ。ほら、早く帰るぞ。から揚げ作ってくれ」
「わ、わかった。頑張っておいしいから揚げ食べさせてあげるっ」
力を込めて、しっかりと誓った。
買い物袋は、ずっと蓮が持っていた。たぶんすずめが持つと話しても無駄だろうと、あえて声をかけなかった。となりで歩きながら、蓮の手を繋ぎたいとどきどきしていた。いつの間にか距離が縮んでいて触れてしまったと嘘をつけば、蓮も怒ったりはしないのではないか。また、転んだフリをして体にもたれかかりたいという気持ちも浮かんでいた。たった一ミリでもいいから近寄りたい。そばにいたい。ただそれだけで、すずめは天にも昇るくらいに幸せになれる。妄想していると、ふとめまいが起きた。地面に倒れるすんでで、蓮が素早く腕を伸ばした。
「何ぼうっとしてるんだよ。打ちどころが悪かったら死ぬぞ」
「ご、ごめん。大丈夫だよ」
しかし、まだ足取りはおぼつかない。ふらふら状態のすずめを、蓮はぎゅっと抱きしめた。
「うわあっ。は、離れてっ」
「落ち着くまで、しばらく支えててやるよ。やっぱりついてきて正解だったな。一人だったら倒れてそのまま死んでただろうな」
心臓が痛いほど跳ね上がって止まらない。さらになぜか涙が溢れてきた。慌てて目をこすったがバレてしまった。
「どうして泣くんだよ。別に怒ってないぞ」
「違うよ。頭がおかしくなってるの。こんなふうにおかしくなるくらい、蓮くんが大好きって意味だよ……」
お互いの体はぴったりとくっついていて隙間はほとんどない。それなのに蓮とは両想いになれないという切なさが涙となって表れたのだ。背中を軽く叩き、蓮は呟いた。
「頭おかしくなるくらい大好きねえ……。誰かを気が狂うほど愛するのって、お前はすごい奴だな」
「……それって褒めてるの?」
「そうだよ。俺には絶対にできないことだ」
手を放し、また蓮は歩き始めた。すずめも慌てて追いかける。
「蓮くんだって、大好きな子が現れたら愛せるよ。今は出会いがないけど、もっと大人になれば……。探してみようよ」
「いや。俺は恋人わざわざ探す必要はねえよ。そんなの時間の無駄だ」
「彼女いらないって? もったいないなあ。自分の良さがわかってないんだね」
性格は問題ありだが、それ以外は完璧なのに。告白しても振られるだけと以前話していたが、全く不安になったり怖がったりしなくていい魅力に溢れている。蓮に好きだと言われて断る女子などいない。
「そういう意味じゃねえよ。さっさと帰らないと真夜中になるぞ」
「あっ。そ、そうだね。蓮くんお腹すいてるんだもんね」
「よし。ちょっと走るぞ」
ぎくりとした。蓮の方が足が速いので、すずめは追いつけない。焦ったが、ぐいっと手を掴まれた。そして飛ばされるようにマンションに向かう。たどり着くと、荒い息でしばらく言葉が話せなかった。
「は……速すぎ……。心臓止まっちゃう……」
「めちゃくちゃゆっくり走ったつもりだけどな」
「あれでゆっくり? 本気だと、どれくらいのスピードなのよー」
「じゃあ、から揚げ作ってくれ。俺はソファーで待ってる」
しっかりと頷いた。愛する蓮のために最高の料理をごちそうすると決心した。材料を買ってくれたのも、代わりにうまいものを食わせろという想いからかもしれない。さっそく台所に入り作業を開始する。圭麻に習った通り手を動かし、ついでに米も炊いた。おかわりされても困らないよう、大量に用意した。
「いい匂いだな」
いつの間にか蓮が台所にやってきた。蓮と結婚したら毎日こうやって料理をするのかなと妄想しながらにっこりと笑った。
「もうちょっとで完成だよ。できたら呼ぶから待ってて」
だが蓮はリビングには行かず横に立っていた。じっと見つめられて緊張の糸が絡みついてくる。
「ど、毒入れたりしないよー。見張ってなくても」
「見張ってるんじゃねえよ。それとも俺がそばにいたら嫌なのか」
「嫌ってわけじゃ……。あっ。できあがりだよ」
火を止めて、から揚げを皿に盛る。おかずが一品だと物足りないので、冷蔵庫にあった野菜で簡単なサラダも作りテーブルに並べた。
「はい。どうぞ食べて。おいしいかな?」
椅子に座り、蓮はできたてのから揚げを口に放り込んだ。途端に目がキラキラと輝き穏やかな微笑みに変わった。
「うまい。すげえうまい。プロ並みだな」
「プロ並み? えへへ……。嬉しいよ」
「やっぱり大好物だと得意料理になるんだな。手際もすごくよかったし」
「まあ大好物っていうのもあるけど、一番は蓮くんに食べてほしくて。蓮くんの喜んでる顔が見たいからとにかく練習して頑張ったの。ごちそうしたくてね」
「大好きな俺に?」
「そう。本当に愛してるから……」
突然、涙がこぼれた。すずめがこれほど好きだと伝えても蓮には響かない。空しさと寂しさで、嬉しいというより悲しいという想いが増えていく。すると、いきなり蓮は立ち上がりすずめの腕を掴んだ。ソファーに腰かけて涙を指で拭う。
「え? 何?」
「めそめそ泣くなよ。前はびっくりするくらい強かっただろ」
「あの時は蓮くんが好きだってわかってなかったから怒鳴ったりできたの。今はイライラしてアメリカに飛んでいくんじゃないかって怖くて」
「イライラしてもアメリカには行かねえよ。二度とアメリカには行かない。だから怖がる必要なんて一切ないんだよ」
ほっと安心した。真剣な表情から、嘘をついているとは思わなかった。そもそも蓮にとってアメリカは嫌な場所でしかない。
「ずっと日本にいるの?」
「日本にいる。間違っても海外に住んだりしない。日本って暮らしやすいし、やっぱり日本人は日本が合ってるしな」
「遠くに行ったりしない? 信じていいの?」
「引っ越す金もないし、遠くに行っても意味ねえから。それにお前が妊娠しないように注意しないと」
また女には理解できない話になった。そっと質問してみる。
「ねえ、蓮くんは自分の子孫を残したいって考えてるの? もし残すなら女の子に産んでもらうしかないでしょ? ということは……恋人探さないとだめじゃない」
「まあそうなるよな。けど今は勉強が先だ。大学に合格するのはもちろんだし、そのあとも目が回るくらい忙しくなるんだ。彼女作る余裕はないぞ」
抑揚のない口調に、すずめも無意識に俯く。横に視線を移動し、山積みになっている分厚い本を指さした。
「ちょっと読んでもいい?」
「いいけど汚すなよ」
「平気だよ。えっと……。じゃあ」
一番上にあった本の表紙をめくり頭にタライが落ちてきた。全て英文で書かれていた。
「ええ……。これじゃあ読めないよ。蓮くんは読めるの?」
「読めない本買ってどうするんだよ。さっさと返してくれ」
むっとしながらも素直に渡した。もしすずめにこっそり読まれても内容がわからないよう、あえて英語の本を選んだと直感した。
「蓮くんって秘密主義だよね。少しくらい、どういう勉強してるのか教えてくれたっていいじゃない」
「知りたいなら必死に英語の勉強すればいいだろ。よし、またさっきの続きだ」
「嘘? まだやるの?」
冷や汗が流れた。たぶん蓮は寝かせるつもりがないと伝わった。から揚げを完食し、恐ろしい地獄が再開した。




