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一三六話

「ヒナコの家庭教師になれたらよかったんだけどな……」

 学校で残念そうに圭麻が話した。驚いて目が丸くなる。

「え? 家庭教師?」

「前にヒナコとテスト勉強した時、酷かっただろ? 説明もめちゃくちゃ。もっとうまく教えようって頑張っても伝わらなかったもんな」

 そういえば、そんな出来事があった。まだ蓮と縁を切らず、圭麻と付き合っていた過去が蘇ってくる。あれからもう一〇〇年以上経っている気がする。

「大丈夫だよ。〇点とったけど、次のテストはせめて五十点くらいはとれるようにしておく。でもまさか〇点とるなんて、あたしも思ってなかったな。生まれて初めてかもしれない」

「俺も〇点のテスト見たのは初めてだったよ。ちょっとびっくりしたな」

 暖かく柔らかな口調は圭麻の優しさだ。もし蓮だったら、呆れた顔で言葉も嫌味たっぷりだろう。

「一人でも勉強できるなら、俺も安心だよ。お互いにいい点とれるように頑張ろう」

 にっこりと微笑む圭麻を見つめて、うん、と大きく頷いた。

 しかし心の奥では圭麻に頼りたいと思っていた。説明がわかりづらくても構わないから、とにかくそばに誰かがいてくれないとサボろうと考えるのだ。遊んだらだめだと叱ってくれる人がいないと、頭から〇点のテストが消えていく。どうでもいいやと自分に甘くなる。

「ああっ。あたし受験があるのにっ。もっと真面目に勉強しなきゃいけないのにっ。どうして集中できないんだあっ」

 無意識に大声をあげてしまう。周りに人はあまりいなかったが、少し恥ずかしくなった。

「大体、海外に住むわけじゃないんだし英語なんか必要ないでしょ。何のためにもならないのに……」

 嘆いても愚痴っても意味はない。けれど本当にすずめにとっては時間の無駄でしかない。ぐぐぐ……と教科書とにらめっこを始める。

 すると突然、となりに誰かが座った。さらに声が飛び込んでくる。

「そこ、間違えてるぞ」

「え?」

 顔を上げて、どきりと鼓動が速くなった。蓮がじっとこちらに視線を向けていた。しかも漆黒のブレザーにグレーのネクタイ。新しく転入した学校の制服を着た蓮は、さらに大人っぽく魅力に溢れていた。ぽっと頬が赤くなる。

「い、いたの?」

「そうだ。新しく本が欲しくなって図書館に置いてあるかもしれないって考えたんだけど、やっぱりねえな。仕方ないから帰ろうとしたらお前が叫んでて」

「そ、そっか。実はあたし、テストで〇点とっちゃってね……」

 ははは……と苦笑すると、蓮は驚愕の表情に変わった。

「〇点? 英語のテストで?」

「う、うん。英語……苦手だから。初めてだよ」

「それってある意味すごいことだぞ。俺もテストで〇点とったって奴、お前が初めてだ」

 そしてすずめの手をぎゅっと握りしめた。耳元で囁きが聞こえる。

「よし。今夜は俺のマンションに泊まっていけ。もう〇点なんかとらないようにビシバシ鍛えてやる」

「ビシバシって? 蓮くん厳しいから怖いよー」

 だが、蓮の部屋に泊まれるということや、ずっと二人きりになれるのは嬉しかった。テーブルに広げていた教材を鞄に入れ、並んで図書館から出た。

「蓮くんは、その新しい本はどうするの? 本屋さんに寄っていくの?」

 ふと質問すると、蓮は首を横に振って即答した。

「本はいつでも買いに行けるだろ。それよりお前に勉強教える方が先だ。めちゃくちゃ難しい問題も一人で解けるまで、ずっと続けるからな」

 浮かれていた気持ちがすっと薄れ、ぎくりと冷や汗が流れた。悪口を言われるのは確実だし、どんな酷い目に遭うか恐怖でいっぱいになった。

「あ、あんまりきつくしないでね……」

 小声で伝えたが蓮の耳には届かなかったらしく、黙って歩いて行ってしまった。




 すずめがいないと片付けられないと以前話していたが最近はきちんと整理整頓しているようで、ゴミも埃もなかった。ただ、本の数が増えているのに驚いた。

「本当に大変な勉強なんだね。しかもまだ足りないなんて……」

「お前だったら、とっくに疲れ果てて死んでるかもな」

 小馬鹿にする口調で、むっと言い返した。

「子供扱いして……。あたしだって努力すれば、どんなこともできるよ」

「ふうん。じゃあ英語のテスト一〇〇点もとれるってわけだな。さっそく始めるぞ」

 余計なことを言ってしまったと後悔した。もう少し蓮とおしゃべりしていたかったが、仕方なく鞄から教科書を取り出す。三分ほどで、すぐに怒られてしまった。

「だから、それは間違ってるってさっきも説明しただろ。何度言えばわかるんだ」

「だって……。忘れちゃうんだもん……」

「忘れるって、どれだけ記憶力ないんだよ。まじで鳥と同じ知能しか持ってねえのか」

 辟易とした態度に、ぽろぽろと涙がこぼれる。もっと優しくしてほしいという想いで胸が張り裂けそうだ。柚希と圭麻は絶対にこんな言葉を投げつけたりしない。冷たくて短気な蓮に惚れるとは夢にも思っていなかった。三時間くらいで、やっと休憩が許された。はあ、と深く長いため息を吐く。

「どうして英語ってこんなに難しんだろう……。覚えること多すぎ……」

「だけど日本語の方が難しいってよく聞くぞ。ひらがなもカタカナも漢字もあるし、ことわざとか四字熟語とか同音異義語とか、覚える数が多すぎる。俺もアメリカで日本語に苦しめられたからな」

「え? そ、そうなの? 日本語の方が難しいんだ。じゃあ日本語がしゃべれるって実はすごい?」

「日本人だから日本語話せるのは当然だけどな。海外の人から見れば、すごいんじゃないか」

 ぱっと胸が明るくなる。落ち込んでいるすずめを励ますための蓮の優しさだと感じた。うまく言い表せないので、遠回しに行動で励ます。この性格も、とてもかっこいいのだ。どきどきと鼓動が速くなっていく。

 ふと時計に視線を移動した。針は九時半を指し、腹が減っているのに気付いた。

「……何か食いてえな」

 蓮の呟きに同じく空腹だと知った。勢いよく立ち上がり胸を張って叫ぶ。

「あたし、夜ご飯作るよ。好きなもの言って」

 圭麻にたくさん習ったので、頭にレシピがしっかりと入っている。蓮は首を傾げていたが、そっと答えた。

「鶏の……から揚げが食いたい」

「から揚げ? から揚げがいいの?」

「それがいい。確かお前も好きだったよな」

「うん。これから買い物に行ってくる。蓮くんは待ってて」

「いや。俺もついていく。一人だと危ないだろ」

 外は真っ暗闇だ。店に着けば客がいるが、道を歩いているときに襲われる可能性がある。

「もしかして、あたしのこと心配してくれてるの? 嬉しいなあ。今までそんなふうに大事にしてくれたことってほとんどないもんね」

 しかし蓮は無視をして外に出た。やはり未だにすずめを邪魔で迷惑な存在と考えているのかもしれない。悲しいが、好かれたいと願っても叶わないのはわかっている。ぱんぱんっと頬を叩き、すずめも急いで蓮の後を追いかけた。


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