一三一話
それから二週間が経った土曜日だった。ぶらぶらと散歩していると背中から口を覆われた。振り向かなくても蓮だとわかる。何か言いたいが、口を押さえられてしまっているため不可能だ。
「暴れたり騒いだりするなよ。お前に用があるんだ。黙ってついてこい」
耳元で囁かれ、ぎゅっと後ろから抱きしめられた。鼓動が速くなり全身が熱くなる。嫌われているが距離が近いので、どうしても興奮してしまう。小さく頷くと蓮は歩き出した。マンションにたどり着き、やっと手を放してくれた。
「用って何?」
聞いたが蓮は答えずドアを開いた。玄関から物がいっぱいで足の踏み場がほとんどない。ダンボール、ゴミ袋が山積みになっている。
「ええ? どうしちゃったの? ゴミ屋敷じゃないっ」
「また片づけられないんだよ。とりあえず中に入ってくれ」
蓮に促され、リビングに移動する。その荒れ果てた光景に驚愕した。本はページが開いたままあちこちに散らかり、ゴミ箱はぱんぱんに膨れて何も入らなくなっている。テーブルには数えきれない空のペットボトル。床、棚、テレビは埃で白く変色していた。
「これ……。どれくらい掃除してないの?」
「わかんねえ。気が付いたらこうなってた」
「こうなってたって……。暮らしてるんだからわかるでしょ? どうして掃除しないの? 蓮くんって綺麗好きじゃなかった?」
「やる気が失せるんだよ。こんなことしてる暇があったら勉強しなきゃいけないって。そうやって勉強を優先してたら部屋がめちゃくちゃになってた」
「だからって、これはあまりにも……。それほど勉強って難しいの?」
しかし蓮は質問とは違う返事をした。
「手伝いしてくれないか。一人じゃ終わりそうにないし、またやる気が失せた時にお前がいてくれると途中で投げ出したりしないだろうし」
「あたし、蓮くんの召し使いじゃないんだけど」
むっとすると、やけに偉そうに蓮は繰り返した。
「別に、全部やれってわけじゃない。俺もやるから手伝ってほしいって頼んでるんだよ」
「……まあ、それならいいよ。どうせ今日は予定ないしね」
「じゃあゴミ袋持ってくる」
リビングから出て、一分も経たずに戻ってきた。袋を受け取り、まずはゴミ箱を空っぽにしていく。ほとんどが紙ゴミで、蓮の文字がびっしりと書かれていた。読もうとしたが英文だったため解読できなかった。
蓮はペットボトルを片し始めた。キャップとラベルを外し、ゴミ袋に放り込む。終わるとキッチンに入り皿を洗った。蓮の姿を遠くからこっそりと眺めているだけで、胸が炎のように熱くなっていく。やはり蓮を愛しているのだと改めて知った。頭が狂いそうで自分でも抑えきれないこの想い。けれど決して叶わない恋……。
うっとりと見惚れていたが、ふいに蓮がこちらに顔を向けてきた。はっとして慌てて視線を逸らす。
「何じろじろ見てんだよ」
「み……見てないよ」
「見てただろ。さっさと掃除済ませたいんだ。手を止めるな」
冷たい態度に、燃えていた心が一気にしぼんでしまう。もう少し優しい思いやりを持ったっていいはずだ。そもそも手伝いしてもらっているのだから感謝を告げるべきではないか。
ゴミ箱が空になり、次は埃を取ることにした。けれど蓮の家の掃除機はコードレスの最新のもので、すずめは使った経験がない。電源ボタンを押しても動かず、わけがわからなかった。
「おい。どうした?」
大股で蓮がやってくる。首を傾げながら質問をした。
「この掃除機、電源入れても動かないよ。壊れてるんじゃないの?」
「壊れてねえよ。もっと力込めれば」
すずめの手の上に自分の手を乗せ、ぐいっとボタンを押した。掃除機は動いたが、あまりにも距離が近すぎて驚いてしまった。バランスを崩し蓮の胸に倒れる。ごんっと鈍い音がして、二人とも床に寝っ転がった。
「いたた……。ごめん、蓮くん。いきなり倒れちゃって……。重かったでしょ」
起き上がり話しかけたが、蓮は反応しなかった。目を閉じて眠っているようだ。
「あれ? 蓮くん?」
嫌な予感が浮かぶ。固いフローリングに頭をぶつけ、意識を失っているのだろうか。それとも……死んでしまったのか。
「えっ? う、噓でしょ? 蓮くん……。死んじゃったの?」
肩を掴み前後に振った。かなり激しく振ったが、それでも目を覚まさない。
「やだよ。蓮くんっ。死んじゃやだようっ。早く起きて。あたしを置いて行かないでっ」
涙が溢れて止まらない。大好きな蓮を自分の手で殺してしまったなんて絶対に信じたくない。うわあああっと号泣していると、ゆっくりと蓮は目を開いた。
「……うるせえなあ。頭ぶつけたくらいで死んだりしねえよ。本当、うるさくて騒がしくてイライラする。高校生なんだから、もっと大人しくなれよ」
さっそく悪口だが、すずめの耳には届かなかった。蓮の首に腕を回しぎゅっと抱きついた。
「よ……よかった……。生き返ったんだね。本当に……よかった……」
「始めから死んでねえよ」
「頭痛くない? どこか怪我してない? 大丈夫? もし具合がよくないなら、あたしが病院に連れて行くよ」
「別に、どこも怪我してねえし痛くもない。俺のことなんかどうでもいいだろ」
ふん、と横を向く蓮の顔を、ぐいっとこちらに向かせた。
「どうでもよくないよ。あたし、蓮くんが死んじゃったら生きていけないもん。傷ついたり苦しんでたら、あたしまで辛くなるんだよ。大好きな蓮くんが酷い目に遭うなんて絶対に嫌だもんっ」
すると蓮は呆れた表情で見つめてきた。返す言葉がないのか、はあ……と息を吐いて黙っている。また好きだと聞いて、うんざりしたのかもしれない。だがすずめは本気で愛しているのだ。企みも嫌がらせもなく、純粋にそばにいたいと願っている。
「とりあえず、しばらくベッドで眠ってる方がいいよ。後の片づけはあたしが一人で頑張るよ。勉強で疲れてるだろうし、しっかりと休むのも大事だからね」
にっこりと微笑んで話すと、蓮は立ち上がって部屋に歩いて行った。ありがとうも何も言ってくれないがこれは慣れっこなので、特に悲しさも寂しさもない。蓮は偉そうで俺様な性格がちょうど似合っているのだ。
宣言した通り、すずめは残りの掃除を再開した。掃除機で埃を吸い取りページが開いた本はテーブルにまとめて置いておく。さらにゴミ袋を外に持っていき、乾いていない皿の水気をタオルで取った。ふう、と額の汗を拭うと、蓮がリビングに入ってきた。
「あっ。もう起きたの? 片づけ大体終わったよ。どう? けっこう綺麗になったでしょ?」
少しドヤ顔をしたが、蓮は見てくれなかった。バッグを掴み、そのまま出て行ってしまった。切なさで胸がずきずきと痛むが仕方がない。嫌われているのだから当然だ。
「泣くな、あたしっ。今さら落ち込んだら馬鹿みたいだぞっ」
ぱんぱんっと頬を叩いて、すずめもマンションを後にした。
すぐに家には帰らず、小さな公園に寄った。ここはすずめの心のよりどころであり、癒してもらえる場所なため、無視されたショックを失くしリセットさせたかった。相変わらず、蓮の性格は変わらない。手伝いをしてもお礼など一切ないし、そっと顔を眺めることも不快なのだ。褒めても聞く耳持たずだし、嬉しいと喜ぶどころか不機嫌そうに睨みつけてくる。これはもう治すことはできない。本人が治そうとしない限り、ずっと続いていく。
「もっと優しくなってほしいのにな……」
あの柔らかな笑顔は二度と作られないのか。たまにすずめにだけ見せる蓮の微笑み。怒っている蓮より笑っている蓮の方が素敵なのに。
ぼんやりとブランコに座って空を見上げていると、突然ドンッと背中を押された。しっかりと鎖を持っていなかったので、前のめりに倒れてしまった。
「いたたっ。いきなり押さないでよ。危ないでしょ」
振り向くと、やはり蓮が立っていた。こうして背中を押してくるのは蓮以外にいない。
「勝手に出ていくなよ。まだ用は終わってねえんだぞ」
「ええ? まだあるの?」
「そうだ。大人しくついてこい」
すたすたと歩き始める蓮を追いかけた。まだいろいろと手伝わされるのかと逃げたいが、素直に足を動かした。




