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一二九話

 朝になり、リビングへ移動するとすでに蓮が起きていた。ちらりとこちらを見て、すぐに視線をそらした。

「よく眠れたか」

「うん。おかげさまで。蓮くんのベッドって気持ちいいよねえ。あたし、あのベッド欲しいなあ」

「お願いされてもやらないぞ。高かったんだから」

「高かったの? ふうん……。いくらくらい?」

 別にベッドの値段などどうでもいいし、せっかく二人きりなのにこんな話をしたくない。蓮も面倒くさかったのか無視をしていた。また嫌な雰囲気になってしまい、がっくりと項垂れた。もっと蓮に伝えたい言葉があるのに、なぜか勇気が出せない。情けなくて自己嫌悪に陥った。

 そっと顔を上げると、蓮がすぐそばに立っていた。慌てて離れようとしたが体が固まっていて指一本動かせない。覗き込むように蓮は質問をしてきた。

「お前、泣いてたのか?」

 驚いて、ぶんぶんと首を横に振った。

「いや、泣いてないよ」

「でも、目が赤くなってる」

「じゃあ怖い夢でも見たんだよ。きっと」

「怖い夢ねえ。そういうのって子供の頃にしか見ないと思うけどな」

「あたしって馬鹿だしアホだし子供っぽいから、まだ見ちゃうんだろうな」

「ああ。それはあるな。まあ夢だし、心配も不安もないな」

 抑揚のない口調で答えて、さっさと離れていく。自分のせいですずめが泣いたのを知っているのに、気づいていないフリをしているのはなぜなのか。昨夜の優しそうな蓮は幻だったのか。冷たくて素っ気ない姿ではなく、にっこりと笑っている方が好きなのに。

「そろそろ帰るか?」

 聞きたくないことを言われてしまった。まだそばにいたかったが、そう伝えると睨まれたり不機嫌になるはずだ。「そうだね」と頷き、一人で玄関へ向かった。そっと振り返ってみたが、蓮はリビングにいて見送るつもりがないのが痛いほどわかった。切なさで胸が張り裂けそうで、走ってマンションから飛び出した。

 学校に行き、蓮の独り言を柚希と圭麻に教えた。同時に二人は目を丸くして即答した。

「そりゃあそうだよ。女の子は笑顔が一番。俺もすずめちゃんの笑顔に、何度救われてるか」

「泣いてる方が可愛いって言ってるやつもいるけど、俺も笑顔が一番好きだな。特にヒナコは大好きだから、本当に癒されるよ」

「でも、それって愛してるからでしょ? 蓮くんはあたしが大嫌いなんだよ? いっぱい傷つけられて暴力も振るわれたりしたよ? ありがとうも謝りもしないし」

「まあ、高篠くんってひねくれ屋だし思いやりが足りないよね。好きになってくれた子に、そんな態度とっちゃいけないよ」

「ヒナコをいじめるのが楽しくてやめられないって俺は考えてるけど。生まれつき血も涙もないからな」

「根は優しいんだよ。笑ったりもするし。たまにだけど」

 苦笑すると、どちらも黙っていた。信じられないといった様子だ。とりあえずそこで会話を終わりにし、二人とは別れた。

 男は、笑っている女が好き。だから蓮もあんな独り言を漏らしたのだろうか。しかし実際には笑顔が消えることばかりやっている。いじめられて笑う人間などいないのに、それがわからないのか。泣かせたくないなら、笑わせるように優しく接っすればいいのに。

「それにしても、蓮くんって病気なのかな?」

 部屋を片付けられない。勉強に集中できない。一体何が原因なのだろうか。すずめが消えたのがきっかけと話していたが、それは絶対にありえない。すずめが離れている方が、ずっと清々しく気軽に過ごせるからだ。邪魔者が入らないと安心できるので、頭がおかしくなったりしない。難しすぎる勉強に疲れているのかもしれない。しばらくしたら、普通に暮らせるはずだ。



 次に蓮に会ったのは、それから二週間後の土曜日だった。一人で散歩していると、背中から低い声がかけられた。蓮から話しかけるのは珍しいため、緊張してしまう。

「どうしたの? 蓮くん」

「どうしたのじゃねえよ。これ」

 持っていたものを差し出してきた。壊れた音楽プレーヤーと割れたCDが入っている袋だった。ぎくりとして冷や汗が流れる。

「お前に貸したCDだよな? 割ったのか」

「割ったんじゃなくて、なぜか勝手に割れてたんだよ」

「勝手に割れた? そんなこと起きるわけないだろ。あーあ。お前に貸さなきゃよかった。けっこう気に入ってたのに」

「え? そうなの? じゃ、じゃあ弁償するよ。いくら払えばいい?」

 バッグに手を突っ込んで財布を探すと、蓮は辟易した表情で答えた。

「日本に売ってねえんだよ。金だけ渡されても意味ねえし」

「ええ……。なら、あたし……。どうすれば……」

 突然、後ろから羽交い締めにされた。振り向かなくても圭麻だとわかった。

「蓮。ヒナコに何してるんだ」

 少しイライラししていた。ふん、と視線をそらし蓮も即答する。

「何って? 何もしてねえよ」

「またいじめてたんだろ。そんなにヒナコに意地悪するのが楽しいのか?」

「いじめてるつもりねえけど。むしろ気に入ってたCD壊された俺の方が可哀想だろ」

「CDなんて、いつでも買えるじゃないか。もっとヒナコに優しくできないのかよ。蓮だって泣いてるヒナコを見たくないって思ってるんだろ」

「ヒナコヒナコって、うるさい男だな。本当はそこまで好きじゃないくせに。とりあえず喜びそうなこと話せばいいやって考えてるんだろ。可愛がっておけば、あとで好きなほどエロいことしてもらえるしな」

 勢いよく圭麻は蓮の胸ぐらを掴んだ。完全にキレていると直感した。慌ててすずめも叫ぶ。

「やめてっ。喧嘩しないでっ」

「俺はそんな思いでヒナコと付き合ってるんじゃないんだ。一発殴らないと気が済まないっ」

 すると蓮は小さく笑った。歪んだ蛇のような笑みだ。

「どうぞ。好きなだけ殴れよ。ただし、そいつに暴力男だって呼ばれて嫌われてもいいなら」

 はっと目を開き、圭麻はすずめの方に視線を移した。掴んでいた手をゆっくりと下ろし、わなわなと震え出す。さらに崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。駆け寄って、圭麻の体を支えた。

「圭麻くん。大丈夫?」

「ごめん。本当は殴りたかったのに……。俺、情けなくて……」

「情けなくないよ。むしろ、殴ってる圭麻くんなんて見たくなかった。圭麻くんと蓮くんが喧嘩するなんて絶対に見たくないもん」

 すずめの言葉に、圭麻はぽろぽろと涙を流した。つられて、すずめも泣き始める。その二人を、蓮は呆れる顔で睨んだ。

「あまりにもだめ人間すぎてついていけないな。じゃあ俺はこれで」

「待って。高篠くん」

 蓮の後ろから新たに声が聞こえてきた。柚希の声だ。

「何だよ。お前までここに」

「俺は、高篠くんの方がだめ人間だと思うけど? 遠くから見てたんだけど、よくもまあそんな自分勝手なこと話せるね。天内くんは純粋に恋愛をしているのに、エロいことしてもらいたいから? ただの妄想で二人を傷つけないでほしい」

 完全に軽蔑した口調だった。これほど不快になった柚希の姿は初めてだ。

「お前もうるさい奴だな。俺が何しようが」

「俺や天内くんには素っ気ない態度とってもいいよ。だけど、すずめちゃんには優しくしてあげて。女の子で繊細なんだから。しかも、ただの女の子じゃないよ。高篠くんが大好きで愛してくれてるんだ。そんな子を怒鳴ったり睨んだりするのは最低だよ」

「俺は害虫男だから最低なことしかできねえんだよ。しょうがねえだろ」

「しょうがねえだろじゃなくて、そう呼ばれないように努力したら? 笑うとか気を遣うとか、簡単だろう?」

「どうして俺がそんな面倒くさい努力しなきゃいけないんだ。俺はこのまま生きていく」

 くるりと後ろを向いて歩いて行ってしまう。その背中に柚希は叫んだ。

「約束だよ。すずめちゃんだけは絶対に傷つけないようにしてあげて」

 しかし蓮は立ち止まらずにまっすぐ進んでいく。やがて姿は消え、取り残された三人は深いため息を吐いた。

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