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一二八話

 ジュースを飲み干すと、そのままくるりと振り向いた。蓮は驚いた顔で腕を掴んだ。

「待て。帰るのかよ」

「あたしに用はないでしょ。ジュースごちそうさま。じゃあ、邪魔者は退散……」

「そばにいてくれないのか」

 はっとして体が固まった。蓮の口からこの言葉が出てくるとは予想していなかった。

「……そばにいられたら嫌なんじゃないの?」

「そうだよ。嫌だよ。だけど、こんなふうにおかしくなるのはもっと嫌だ。お前が原因なのかどうかわからないから、とりあえず今日は帰らないでくれ」

 つまり泊まってもいいという意味だ。少し頬が火照ってしまう。しかしすずめを無視し、蓮はさっさと散らばった本などを拾い始めた。

「それにしても、その勉強ってこんなに本が必要なんだ。どれくらい難しいの?」

「何でお前に教えなきゃいけないんだよ」

 ぶっきらぼうな返事に、むっとした。

「……蓮くんって、俺様だよね。いつも偉そうだし。あーあ。どうしてこんな人が好きになっちゃったんだろ……」

「うるせえな。ぐだぐだ言うなら帰ってもらうぞ」

 じろりと睨まれ、はあ……とため息を吐いた。

 冷たくて意地悪でとっつきにくくて無口で無表情。はっきり言ってだめ人間な蓮が初恋の相手だったとは。蓮の魅力なんて、ただ頭がよく容姿が整っているくらいで、それ以外は見つからない。すずめも散々傷つけられ泣かされ暴力まで振られているのに、なぜ惹かれてしまうのかが不思議だ。かっこいいと褒めたって、嬉しいもありがとうも言わない性格なのだ。

 ちらりと遠くにいる蓮に視線を向けた。どきどきと胸が熱く燃え上がる。愛しすぎて、自分でも抑えきれないレベルにまで達してしまった。蓮の元へ行こうと体が勝手に動き出す。だが、山積みになっていた本に足を引っかけた。うわあっと声を上げると、素早く手が伸びてきて支えてくれた。

「危ねえなあ。頭ぶつけたら大怪我だぞ」

 あまりにも距離が近く、慌てて離れた。

「ご、ごめん。えっと……。あ、あたしも手伝おうか?」

「じゃあペットボトル片づけてくれ」

「わかった。ペットボトルね。キャップとラベル取って、潰せばいいんだよね」

「そうだ。たまには役に立つな」

「たまにはって、失礼だなあ」

 むっと言い返したが、心臓は跳ね上がって止まらない。悔しいけれど、一度知ってしまった恋愛感情を失くすことは無理だ。狭い空間に二人きりでいるため、興奮して全身が小刻みに震えてしまう。落ち着こうとその場に座って深呼吸をすると、いつの間にか蓮が横に来ていた。すずめの額に触れ、じっと見つめてきた。

「熱でもあるんじゃねえの? 顔真っ赤だぞ」

「うわわっ。れ、蓮くんっ」

「病院に行くのは、俺じゃなくてお前の方だろ。風邪ひいてるんじゃ」

「平気。大丈夫。お……お願いだから、離れてよ。死んじゃう……」

「は? 死ぬ?」

 恋をしたことのない人間の言葉だろう。ただ相手を想像するだけでもどきどきしてしまう事実を知らないのだ。そして、たぶんすずめがどれだけ蓮を愛しているかもわかっていない。本当に、どうしてこんな男子が好きでたまらないのかと理解できない。

「は……早く、離れてくれないと……」

 呟くと、ぐいっと蓮が抱きしめてきた。先ほどより、ずっと距離が近い。一瞬、心臓が止まった。

「ふうん。お前が俺に惚れてるのって、冗談じゃねえのか。うざいし邪魔ばっかするし、お前が消えても誰も悲しまないだろうから、いっそのこと殺してやろうか?」

 またいじめられた。なぜ冷たいことばかり話すのだろう。涙がぽろぽろと流れ、ごしごしと目をこすった。ため息を吐いて、蓮は続けた。

「お前って、そんなに泣き虫だったっけ? 前は怒鳴り返してくるようなやつだっただろ。急に大人しくなっちゃって、つまんねえな」

 ゆっくりと顔を上げた。もしかして、前の方が好きになってもらえるチャンスがあったのではないか。蓮は、どちらかというと気が強い女子が好みなのかもしれない。

「疲れたな。お前、食いたいもんあるか?」

「あたしは特にお腹すいてない……」

「コンビニで弁当でも買ってくるか。ちょっと待ってろ」

 そして素早く外に出て行った。すずめの言葉など一切聞いてくれない。気も遣ってくれないし、全然優しくない。それなのに、そこに惹かれている。心奪われる。

 ぐるりと部屋の中を眺めた。蓮はいつもここで過ごしているのだと、本人がいないのに鼓動が速くなっていく。どんな毎日を送っているのか。どんな思いで暮らしているのか。蓮だけではなく、蓮が使ったものや触れたもの、住んでいるマンションさえも大好きと感じるまでになっていた。

「あああっ。もう……。あたしどうしたらいいの……。異常だよ。こんなの……」

 首を横に振って叫ぶ。無人なので、大声をあげても大丈夫だ。

 三十分ほど経って、蓮は戻ってきた。コンビニと言っていたが、持っていたのはスーパーの袋だった。「おかえり」と声をかけたが、もちろん「ただいま」なんて答えたりしない。

「二つ買ってきたから、どっちか選んでくれ。俺は残った方食べる」

「ええ……。でも」

「さっさと決めろよ。腹減ってるんだから」

 イラついた口調にぎくりとし、値段が安い弁当を手に取った。すずめが椅子に座ると、蓮はソファーに腰かけて食べ始めた。お前の顔なんか見たくないと避けられているのが、ひしひしと伝わってきた。途中でテレビをつけ、すずめは絶対に話しかけられない状態になった。食欲が失せ、弁当を半分以上残し蓋を閉めてゴミ箱に捨てた。切なさで、胸が爆発しそうだ。辛くて悲しくて寂しくて……。こんなに酷い目に遭うくらいなら、蓮と出会わなければよかった。好きなのは柚希だけでよかったのだ。

「お前さあ、さっきの信じたわけじゃないよな?」

 ふと質問された。どきりとして即答する。

「さっきのって?」

「殺してやるってこと。まさか俺に殺されるって、本気で思ってたりしないよな?」

「思ってはいないけど……。距離が近すぎて、死んじゃいそうとは考えてた」

「どうして俺がそばにいるだけで死ぬんだよ。取り返しのつかない馬鹿だよな」

 無意識に俯いた。いつも悪口をぶつけられ、傷ついてばかり。ぶるぶると震えながら絞り出した。

「……ごめん。馬鹿で……」

 別にすずめが謝る必要はないのだが、こうしておかないと不機嫌になるのは確実だ。ふん、と息を吐いて蓮は黙りこくった。

 気まずい空気が、ゆっくりと過ぎていく。外は暗くなり、時計は九時を指していた。もともと蓮はこういうタイプなので仕方ないがあまりにも息苦しいため、勇気を出して立ち上がった。

「あの……。あたし、寝てもいいかな?」

 ちらりとこちらに目だけ向けて、面倒くさそうに答えた。

「いいけど。どこで寝るんだ?」

「ソファーだよ。いつもベッドで寝てて申し訳ないから、今日はソファーで」

「勉強してる俺の横で、盛大にいびきかくってわけだな。本当に俺に嫌がらせするのが生きがいなんだな。性格悪すぎでびっくりする」

 遠慮してソファーと言ったのに、その思いがまっすぐ蓮に届かなかった。別に嫌がらせするつもりはないし、疲れている蓮にベッドを譲ろうという優しさだったのに悪い方に受け止められてしまった。

「そ、そっか。確かにうるさいし気も散るよね。わかった。ベッドで寝るよ。あと、あたしは女だからいびきはかかないよ」

 軽く苦笑したが、蓮は前を向いたまま黙っていた。聞こえないフリをしているようだ。すずめの声など耳に入れたくないのだと痛いほど伝わった。すずめも口を閉じ、とぼとぼと部屋に歩いて行った。

 


 どうしてここまで嫌われてしまったのかと、ベッドの中で涙を流した。害虫男と呼んだり余計なことをしてイライラさせたりもしたが、きちんと謝っている。それに何より、大好きだと告白している。好きになってくれた人に対して、あまりにも冷たすぎるのではないか。蓮のつんつんとした性格は刺激になるが、逆に穏やかな笑顔も見せてほしい。ずっと尖っているのは辛すぎる。特にすずめは甘やかされて育ってきたため、ほっと安心できないと悶々としてしまう。現在の蓮は、少し指が触れただけでも鋭く睨み噛みついてくるような凶暴な生き物で、落ち着いて話をすることができないのだろう。だから告白も誉め言葉も雑音にしかならず、邪魔だ迷惑だと怒鳴るのだ。今は蓮に近づく時ではないのかもしれない。けれど、ではいつになったら近づいていいのかという疑問が生まれる。またもたもたしていたら、次は本当にアメリカに飛んでいく可能性だって充分にある。恋愛は悩みが付き物とはよく聞くが、すずめの場合は数が多すぎる。好きになったのがあんな男だから乗り越えるハードルが高くて、心が弱々しく小さくなる。

 静かにドアが開いた。ぎくりとして涙を拭い、目を閉じて寝たフリをした。音を立てずに蓮は歩き、すずめを見下ろした。早く出て行ってくれと緊張していると、蓮が独り言を漏らした。

「……また泣いてたのか……」

 どくんどくんと心臓が跳ね上がる。そのまま蓮は部屋を後にし、閉じていた目を開けた。

「な……泣いてたって……? どういう意味……?」

 わけがわからず呟く。女なので男の気持ちが理解できない。そして、とてつもなく優しく柔らかい声に、どきどきが止まらなかった。

 

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