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一二七話

 朝になりリビングに行くと、ソファーで蓮が眠っていた。コーヒーの染みで汚れたノートはゴミ箱に放り込まれ、胸が痛んだ。何日もかかったと話していたので、相当苦労したのだろう。安らかな寝顔をまじまじと見つめ、ぽろっと涙のしずくが零れた。

「ごめんね。また頑張って終わらせてね。じゃあ、あたし帰るね」

 くるりと振り返り外に出た。空は青く、とてつもなく清々しかった。まだ諦めたわけではないが、これは叶わぬ恋だ。ようするに失恋だ。しかし、とてもいい経験をさせてもらったと前向きに考えた。人を好きになること。忘れられなくなるくらい、誰かを愛することの大切さを学ばせてくれた。もちろん、蓮が好きなのは終わっていないし、他の男子と付き合うつもりはない。優しくて穏やかな柚希と圭麻とも、友人という関係で仲良くする。一生独身を貫くのだ。両親は悲しがると思うが、これはしょうがない。蓮以上の人間を見つけられない。

 翌日、喫茶店で昨夜の出来事を柚希と圭麻に伝えると、残念そうな表情に変わった。

「そっか。失恋か……。それにしても女の子を殴るなんて、高篠くんって冷たい性格だよね」

「まあ、俺は最初から血も涙もない奴だって知ってたけどね。コーヒーこぼしたくらいで暴力振るうなよ」

「あたしがいけないんだから、蓮くんを責めるのはやめて。意外と根は優しいんだよ。信じられないかもしれないけど」

「あいつに優しいなんて感情ないと俺は思うよ。柚希もそうだろ」

「うーん。俺は答えられないや。……すずめちゃんは、これでいいの? 後悔してない?」

「蓮くんが変わらないならどうしようもないもん。柚希くんも圭麻くんも協力してくれて、どうもありがとう。親身になってくれて、すっごく嬉しかったよ」

 柔らかく微笑むと、つられるように二人も笑顔になった。

 恋の悩みが消えると、体が宙に舞うくらい軽やかになって、勉強などにも集中できた。他人が困っていたら助けてあげて、迷っていたら相談に乗る。蓮を好きになったことで、驚くほど成長しているのに気付いた。これなら受験もしっかりと乗り越えられそうだ。

 暇な時は柚希や圭麻の家で過ごし、とても充実した毎日を送っていた。寂しくなるため、小さな公園には絶対に行かなかった。こうしていれば、いつしか蓮への恋心も落ち着き、もしかしたら新しい恋人が現れる可能性だってある。

「すずめちゃん、とっても明るくなったね」

 柚希に言われ目を丸くした。首をかしげて即答する。

「そう? 自分ではよくわからないや」

「すっきりとして、もっと可愛くなってるよ。やっぱり女の子は笑顔が一番だね」

「えへへ。どうもありがとう。嬉しいよ」

「天内くんも同じこと言ってたよ。……未だに高篠くんが好きなの?」

「うん。たぶん死ぬまで大好きのままだと思う。だから結婚もしない」

「たった一度きりの人生だよ? 幸せになりたくないの? 俺は、すずめちゃんのウエディングドレス姿、見てみたいよ」

「いいの。親不孝だけど、蓮くんじゃないとだめだもん」

 抑揚のない口調で答えると、柚希は黙ってしまった。すずめが本気なのだと知り、言葉が浮かばなかったのだろう。俺が幸せにしてあげる、俺と結婚してほしいとプロポーズしたかったのにと、悔しそうな表情にありありと書かれていた。

 同じことを圭麻にもされた。料理の練習をしていると、そっと質問された。

「ヒナコって、未だに蓮が好きなのか?」

「好きだよ。ずっと死ぬまで大好きだよ。結婚もできないね」

「独身なんてもったいないじゃないか。せっかくの一度きりの人生なのに。女の子にとって結婚って、ものすごく大事なイベントだろ?」

「気にしないで。それより、圭麻くんも恋人探した方がいいよ。めちゃくちゃイケメンなんだから」

 話をすり替えると、圭麻はがっくりと項垂れた。俺ならヒナコを愛して幸せにできる、ヒナコと結婚したいと悔しげな顔が物語っていた。イケメン王子が二人もいるのに、それを無視して蓮を追いかけているなんて確かに時間の無駄だし、とてももったいないことをしている。だが、蓮しか視界に映らない。

 



 夏休みが終わり、やっと心穏やかに暮らせる生活が戻ってきたある日、一人で買い物をしていると背中から口を覆われた。暴れると、蓮の声が耳に飛び込んだ。

「大人しくしろ。ちょっとついてこい」

 切なさで胸が張り裂けそうなほど痛んだ。こんなに愛しているのに、手を伸ばせば届く場所にいるのに、叶わない悲しい恋。頷くと蓮は歩き出した。途中で立ち止まり、覆っていた手が放れた。

「ついてこいって……。どこに行くの?」

「マンションだよ。行けばわかる」

「でも、あたしのこと嫌いなのに。二度と来るなって話してたじゃない」

「そうだよ。本当は二度と来てほしくなかったよ。でも……。おかしいんだよ」

「おかしい? どういう意味?」

 聞くと蓮は黙り、また歩き始めた。すずめも慌てて追いかけて、マンションにたどり着いた。少し緊張しながらリビングへ移動し、驚きで目が丸くなった。床には本が無造作に置かれ、ゴミもその辺に転がっている。整理整頓されていた場所が散らかり放題だった。

「ここって蓮くんの部屋だよね? あんなに綺麗にしてたじゃない」

「片せなくなったんだよ。お前が消えてから。頭もぼんやりするし勉強も集中できないし、寝ようと思ってもうつらうつらしかできない。本当……おかしいんだよ」

「それは確かにおかしいね。だけど、あたしに関係してるとは思えないよ」

「いや。お前が消えたくらいしか、きっかけがねえんだよ。このままじゃ成績がた落ちだぞ。どうしてくれるんだ」

「どうしてくれるんだって責められても、あたしは何もできないよ。病院で診てもらえば?」

 少し冷たい口調で即答すると、蓮は俯いた。悩んでいる姿もまた美しく、見惚れてしまう。すずめの熱い視線に気が付いたのか、蓮もこちらに目を向けた。

「じろじろ見るな」

「だって……。かっこいいから」

「またかよ。どんなに褒めても、俺はお前と恋人同士にならないからな。好きっていうのは、ただの思い込みだ。勘違いしてるんだよ。真壁や天内とイチャイチャしてるのに俺が好きなんて、ただの妄想だろ」

「妄想じゃないもん。あたし、蓮くんが大好きだよ。蓮くんが忘れられなくて、でも嫌われてるから近寄れなくて、いつも辛さと戦ってるんだよ」

 ぽろぽろと涙が流れる。どうせ泣いたってうんざりされるだけだが、堪えきれなかった。

 突然、蓮がキッチンに行き、冷蔵庫からオレンジジュースを取り出した。頭からかけられると身構えたが、そっと渡された。

「……いいの?」

「泣くと体から水分が抜けるからな。これ飲んで落ち着け」

「……ありがとう」

 呟き、オレンジジュースを受け取った。

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