一一九話
ちょうど一週間後に圭麻が帰ってきた。有那の状態がどうだったのか全て説明してくれた。
「流那の時よりもつわりが激しくて。でも俺の顔見たらすっかり安心して、みんなびっくりしてたよ」
「そりゃあそうだよ。頼りになる弟が来てくれたんだもん。家族って、本当にかけがえのない存在だよね」
「かけがえのない存在かあ……。ちなみに子供の性別は男だって。甥っ子も姪っ子もいる叔父さんだよ、俺」
「いいじゃない。名前は決まってるの?」
「俺の名前が圭麻だから、カズマとかユウマとか、どうかなって話してるよ」
「そっか。早く抱っこしたいね」
微笑むと、そっと頭を撫でられた。
「流那がヒナコに会いたがってたよ。ヒナコと一緒に暮らしたいって、わがまま言ってた」
「あたしも久しぶりに会いたいなあ」
ふとその瞬間、ある出来事が蘇ってきた。流那は圭麻が大好きで、将来結婚したいと願っている。だが、すずめが圭麻を奪ったら、その願いは叶わなくなる。叔父と姪が結婚できるかどうかは知らないが、流那に嫌われるのは確実だ。約束破り、裏切り者。そう罵られても、すずめは何も言えない。
「……ねえ、流那ちゃんって、圭麻くんと結婚……」
「別に流那のことなんか考えなくていいよ。成長したら、他に好きな奴と出会うだろうし」
「だけど可哀想じゃない」
「流那に結婚してってお願いされても断るつもりだから。俺はヒナコを愛してて、流那はただの姪としか見てないってね」
はははと軽く笑っていたが、すずめはがっくりと項垂れた。圭麻は自分の運命の人だったのか。圭麻と結ばれるのは間違いなのでは……。
「お母さんに、俺の名前教えてくれた?」
質問され顔を上げた。
「ああ……。実はまだ教えてなくて。ちょっと恥ずかしいんだ」
「ただ名前教えるだけなのに恥ずかしいの? いつかは結婚するんだし、恥ずかしいとは思えないけどな」
「女の子って、意外と秘密が多いものなんだよ。特にお母さんは同性だし、正直に話せないことがたくさんあるの」
「へえ……。男の俺には、よくわからないや」
「もう少し待ってて。必ず教えるから。とりあえず今は内緒」
これは言い訳だ。圭麻と結婚したら後悔しそうで、はっきりと決められないのだ。あの疑う癖と嫉妬で暴走する性格さえ治してくれれば、知世にも紹介できるのに。
「ところで、柚希くん、自由な生活が送れるようになったんだよ」
「え?」
「お母さん、ついに追い出せたんだって。桃花ちゃんもね。日本に帰ってきたお父さんが怒鳴り散らしてくれたみたい。やっと解放されたの。よかったよね」
「おおっ。じゃあ、これからは恋愛も好きなだけできるってことか」
「うん。柚希くんにも幸せになってほしいよ」
未だにすずめを愛して諦めていないというのは隠した。現在、柚希と圭麻は仲が良く、携帯やメールでやりとりしているらしい。すずめが余計なことをしゃべってライバル同士という関係になったら嫌だ。
「さて。次のデートは、いつにする?」
「デート?」
「ヒナコ、行きたいところはある? なければ遊園地って考えてるけど」
「遊園地でいいよ。ただし、ジェットコースターとお化け屋敷だけは無理だから」
「わかった。全部ヒナコに合わせるよ」
「ありがとう。圭麻くんって優しいし、いつも思いやってくれて素晴らしいよね。そんな圭麻くんと結婚できて、あたしは幸せ者だなー」
どんどん嘘と言い訳が口から漏れる。とりあえず喜びそうな言葉だけ伝えておけば、圭麻は不快にならない。本当は迷っているのに。悩んでいるのに。
これ以上続けていると自己嫌悪に陥りそうなため、話題を光の筋に変えた。上手く説明できなかったが、圭麻は即答した。
「それって神様のお告げじゃない?」
「神様のお告げ?」
「神様が、ヒナコにとても大事なことを教えようってメッセージを送ったんだよ。忘れてるぞ、ちゃんと考えないといけないぞってね」
「あたしが忘れてる大事なこと? そんなものあるの? もしあるとしたら、どうして今教えるのかな?」
「さすがにそこまでは俺にもわからないよ。ただ、もしかしたら神様からのメッセージじゃないかなって思ったんだ。もちろん、全然違う意味かもしれないけど」
返す言葉がなく、俯いて黙りこくった。そんなはずはないという気持ちと少し当たっているような気持ちが、ぐるぐると胸の中を渦巻いている。
「ヒナコが体験したことなんだから、最後はヒナコが決めるんだよ。俺のはただの妄想でしかないからね」
固い口調で言い切り、圭麻は歩いて行った。
「……あたしが忘れてる大事なこと? 神様のメッセージ? マンガならあり得るけど、あまりにも現実離れしすぎてる……。でも、もし本当だったら……?」
そのメッセージを知った時、すずめは幸せになるのか。それとも不幸になるのか。どちらにせよ、はっきりとさせるのは怖かった。
家に帰り、柚希に電話をかけた。圭麻の話を教えると、間をあけてから柚希は答えた。
「第六感みたいだね」
「第六感? 聞いたことはあるけど……」
「ぱっと閃いたり嫌な予感がしたりするのは第六感って言うよね。すずめちゃんは今、悩みや不安はある?」
「……まあ、いろいろと」
愛している圭麻に嘘や言い訳をしてしまうこと。圭麻と結婚して後悔しないかということだ。黒く重い鉛が体にのしかかってストレスが溜まっていく。
「じゃあ、その悩みを解決するために神様がメッセージを送ったんだ。きっとすずめちゃんは他人よりも第六感が優れていて、そのまま受け取ったんじゃないかな」
さらにわけがわからなくなっていく。目が回りそうだ。
「……どうすれば、そのメッセージの内容が見れるの? たった数秒の光じゃ伝わらないよ」
「そうだね。けど、ふとした瞬間に気づくかもしれないよ。本当に、ちょっとした時に」
そして柚希は一方的に電話を切った。まだすずめは会話をしていたかったが、仕方なく諦めてベッドに横たわった。この大きくなった鉛が消える方法が一つだけ存在するということか。
「ふとした瞬間って……。いつ、どこで起きるの……?」
掠れた口調で呟き、はあ、とため息を吐いた。
おかしな現象が始まったのは、それから一週間ほど経った頃だ。いつも通り小さな公園に行くと、背中から足音が聞こえた。勢いよく立ち上がり追いかけるが逃げられてしまう。これは相変わらずだが、翌日なぜか圭麻が優しい態度になるのだ。プレゼントをしてくれたり喫茶店で奢ってくれたり。遊園地のデートも帰りに高級レストランに連れていってくれた。
「こんなに食べられないよ。しかも、ものすごい値段だし」
慌てて断るが、圭麻は即答した。
「遠慮なんかしなくていいんだよ。ヒナコのためなら、いくらでもお金を使えるからね」
「あたし、圭麻くんのそばにいるだけで充分なの。こうやって圭麻くんの笑顔を見ていれば」
「ヒナコって素晴らしい子だね。こんな女の子と結婚できるんだ……。俺、絶対に幸せにするから」
褒められて嬉しかったが喜べなかった。また重い鉛が生まれ、心にのしかかってくる。もう誰もが、二人が愛し合っていると信じて疑わない。迷いと不安が存在していると言えない状態になってしまった。周りは盛大に祝福してくれるし、すずめも圭麻を嫌っているわけではないのだが、やはり焦りが浮かぶのは変わっていない。
圭麻が優しくなるのと同時に、柚希は素っ気ない態度をとるようになった。冷たく睨んできたり怒鳴ったりはしないが、以前よりも口数が少なく視線を逸らすことが多くなった。おまけに、すずめの顔を見て涙を流す日もあった。
「柚希くん? どうして泣いてるの?」
驚いて聞くと、弱々しい声で答えた。
「可哀想で……」
「可哀想? 誰が?」
「みんなだよ。みんな……可哀想だ……。辛いのに、我慢して……」
すずめには理解できなかった。みんなが可哀想とは、どういう意味なのだろう。柚希の目には、どんな景色が映っているのか。
「泣かないでよ。泣いてる柚希くんなんか見たくないよ」
「そうだよね。……ごめん」
涙を拭って、柚希は寂しそうに微笑んだ。




