一一四話
はっと目を覚まし勢いよく起きた。すっかり夜になり一瞬そこがどこだかわからなかったが、ブランコのある公園のベンチだと気が付いた。
「あれ? あたし……。学校にいたはずじゃ……」
頭をさすり意識を失う前の記憶を遡ろうとしたが、全く思い出せない。一体あの後自分がどうなったか。なぜ公園に寝ているのか。誰がここまで運んでくれたのか。
「……そういえば、柚希くんと別れて泣いた時も、部屋に寝てたんだよね……。不思議だけど……」
ぼそっと呟き空を眺める。風が冷たく灯りもないので違う世界にいるようだ。はあ、とため息を吐くと背後で微かに音がした。ぎくりとして横に置いてあった鞄を強く抱きしめる。恐る恐る振り返ると、今度は足音が耳に飛び込んだ。かなり急いで走っている足音だ。
「まさか……。蓮くん……?」
ゆっくりと立ち上がり、足音の主が蓮ではないかと妄想した。
「そうだ。蓮くんだ。ここを知ってるのはあたしと蓮くんだけだし……。やっぱりここに来てたんだ」
どきどきと心臓が跳ねる。自分の考えは間違ってはいなかったと確信した。つまり待っていれば再会できる。
「よ、よかった。もし会えたら蓮くんに謝ろう。もしかしたら関係が戻るかもしれないもんね。よし、明日からここに通って、蓮くんと再会するぞ」
期待で胸が膨らむ。きっと願いが叶うはずだ。
突然、携帯が鳴った。慌てて出ると圭麻からだった。
「大丈夫? 意識失くして倒れたんだよ」
「そうなの?」
「うん。俺が保健室に運んだんだ。でも昼休みに様子見に行ったらどこにもいなくって。一人で帰ったの?」
「わかんない……。あたしも記憶が残ってないの。じゃあ誰が外に連れて行ってくれたのかな?」
圭麻も答えが出ないらしく黙りこくった。あまりにも不思議すぎて恐怖が生まれた。悲しみで意識を失ったすずめが一人で歩けるわけがない。かといってこの公園を知っているのは、すずめと蓮だけ。柚希にも圭麻にもバラしていないのだ。
「……とりあえず落ち着いたならよかったよ。どうして泣いたんだ?」
「大したことじゃないの。心配しないで」
「意識失うほどなんだぞ。相当辛いことがあったんじゃないか?」
「ううん。びっくりさせてごめんね。もう馬鹿みたいに泣かないよ」
どんどん言い訳が増す。嘘をつく方もつかれる方も空しさでいっぱいだ。これは純粋な恋愛ではない。
「そうか。ヒナコは笑ってる顔が一番可愛いしね。悩みがあるなら相談に乗るよ」
「悩みなんてないってば。じゃあね」
短く言い、返事を待たずに一方的に電話を切った。これ以上会話を続けていられそうになかった。嘘をつきたくない。しかし嘘をつかなくてはいけない。怪しまれず疑われないためには、これしか方法がないのだ。
謎は残るが、結局そのまま家に帰った。涙の跡を消しドアを開けると、から揚げの匂いが漂ってきた。
「ただいま。うわあ……。おいしそう」
「おかえり。病院から電話がかかってきてね。明日お父さん戻ってくるって」
「え? リハビリ終わったの?」
「そう。嬉しくって、ビールもおつまみも買ってきちゃった。二人でお疲れさまって言ってあげようね」
「うん。会社には?」
「行けるよ。休んだから前より元気になったみたい」
「そっかあ。やっとお父さんに会えるんだ」
「お父さんも、すずめに会いたがってるよ」
いいことがあると知世はよくから揚げを作る。今日もきっとそれが理由だ。
「ねえ、から揚げって難しい?」
質問してみた。圭麻は手軽に作っていたが、すずめには厳しそうだと感じた。
「慣れればどうってことないよ。もしかして料理したいの?」
「そりゃあ、もう大人なんだし家事できないと。特に料理は早く身につけたい」
「ごちそうしたい人がいるのかな?」
知世の目が輝いている。すずめが恋に落ちているのを期待している目つきだ。
「別にそういうわけじゃないよ」
「好きな男の子まだ現れないんだ。いつすずめは恋人に巡り会えるんだろう」
「わからないよ。巡り会っても、向こうに好かれなかったらお付き合いできないし」
「残念だねえ。大学生になればチャンスあるかな?」
「だから、わからないってば」
苦笑して誤魔化す。圭麻の存在をバラせる勇気がなかった。柚希や蓮のことも、もちろん話せない。母だから恥ずかしいのではなく、本当に圭麻と愛し愛される関係なのか疑問が浮かび、はっきりと答えられなかった。
「まあ、あたしなりに恋人探し頑張るよ」
それだけ言い、部屋に逃げた。
携帯が鳴ったのは、風呂から上がってすぐだった。「はい」と出ると明るい声が聞こえた。
「来週の日曜日って暇かな? また料理教室したいって思ったんだ」
「日曜日? 別に構わないよ」
「よかった。次はヒナコが包丁使うんだよね?」
「そのつもりだよ。でも手先不器用だし、いきなりは無理かな?」
「しっかりと見張ってるから大丈夫。上手く切れなければ、俺が代わりにやるし」
ありがとう、と感謝を伝えたかったが、口が動かない。代わりに余計な言葉が飛び出した。
「ねえ、捨てちゃってもいいんだよ?」
「捨てる? 何を?」
即答され黙った。捨てるとは別れるという意味だ。どう考えても、すずめと圭麻はお似合いのカップルとは呼べない。イケメン王子のとなりに村人が立っているなんて不自然だし、もし恋人同士と話したら鼻で笑われる。実際に笑われたことはないけれど、いつか馬鹿にしてくる奴が現れるのは明らかだ。惨めな思いで傷つくのは嫌だし、だったらいっそのこと離れて友人に戻ってしまっても……という気持ちが生まれた。
「俺には捨てるものなんて一つもないよ? 何を捨てるんだ?」
「いや……。変な妄想しちゃった。でも、いらないって思ったものは、ぱっと手放して忘れちゃった方がいいよ」
「いつもそうしてるよ。ようやく今、本当に大事なものだけになった。もちろんこれで全てではないけどね。この後ヒナコと結婚して可愛い子供が産まれるまでは、完璧とは言えないよ」
期待の混じった口調に、無意識に目をつぶった。圭麻が喜べば喜ぶほど、胸の黒い鉛が大きく重くなっていく。同時に罪悪感が全身に回り、すずめを蝕む。
「じゃあ、日曜日待ってる。用事ができたら教えてね」
「わかった。ありがとう……」
辛うじて答えると、電話は切れた。
その夜も夢を見た。けれど泣いている蓮の夢ではなく、真っ暗闇にぽつんと立ち尽くしているだけだった。
「……ここ、どこ……?」
ゆっくりと歩きだす。明かりも音も感じられない。
「誰か……いないの……」
しかし返事はない。焦りと恐怖が襲いかかってきた。
「そばにいてよ。誰か……。れ、蓮くん……。蓮くん、どこに……」
はっと足を止めた。不安な時困っている時、必ず蓮の名前を最初に呼んでいる。縁を切って再会できないとすでにわかっているのに、いつもいつも頭に浮かぶのは蓮の姿だ。普通は付き合っている圭麻が優先されるのに、なぜ蓮なのだろう。いつもいつも、すずめは蓮を探している。探して追いかけて逃げられている。
「蓮くんなんていらない。いなくても寂しくない。圭麻くんがそばにいれば……。蓮くんなんか大嫌いだ。もう……もう捨てたんだっ」
叫ぶと目が覚めた。起き上がると、肩で息をしていた。パジャマが冷や汗でぐっしょりと濡れている。深呼吸を繰り返し落ち着いてから、またベッドに横になった。
いらないと思ったものは、ぱっと手放して忘れた方がいい。蓮は、すずめにとっていらない人間だ。それなのに……どうしても記憶に残ってしまう。いつまでも頭のどこかに蓮が存在している。忘れたくても忘れられないのだ。




