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一一二話

「ヒナコ。蓮、退学したんだって」

 教室に入ると圭麻が駆け寄ってきた。

「ああ。知ってるよ」

「知ってたのか? なら早く教えてくれよ」

 むっとしながら話す圭麻に、じろりと口調が低くなった。

「あたしが他の男の子のことしゃべると嫌な顔するじゃない」

「そうだけど。いや、それにしても嬉しいなあ。これでアメリカにも帰ってくれれば」

「アメリカには帰らなくてもいいと思うよ」

「え? どうして?」

「蓮くんのお母さんって虐待する性格だから。また傷つけられるかもしれないし」

「日本で一人暮らししてるんだから、アメリカでも一人暮らしするだろ? 大体ヒナコが心配するのはおかしくないか?」

「……そうだね。あたしが蓮くんのこと気にかける必要はないもんね」

「あいつが消えれば完全に二人きりになれるぞ。邪魔されなくて済むんだ」

「邪魔するのは、どっちかって言うと圭麻くんの方だけど」

 つい口から言葉が飛び出してしまい焦ったが圭麻の耳には届かず、ほっと安心した。

 いつもそうだ。首を突っ込んでくるのは圭麻ばかり。突然学校に来たり、蓮がイラつくような発言をしてみたり。すずめは心穏やかに過ごしたいのに圭麻が余計なことをしてくるから気が休まらない。もちろん嫌いではないが、やはり自分勝手でわがままな癖を治してもらいたい。

 エミも驚いたらしく、目を丸くして聞いてきた。

「ねえ、高篠くん退学だって」

「うん。知ってる」

「いきなり退学ってどうしちゃったのかな? これまでちゃんと通ってたのに」

「蓮くんが決めたんだからしょうがないよ。あたしたちは何も言えない」

「もったいないなあ。すずめ、寂しいんじゃないの?」

「寂しくないよ。エミも圭麻くんもいるじゃん」

「すっごく寂しそうな顔してるよ?」

 じっと見つめられ、はっとした。さらにエミは続ける。

「本当は、高篠くんにそばにいてほしいんでしょ? 今はとなりの席、天内くんだけど。高篠くんがとなりだった時は、もっと顔が明るかったよ」

「そんなことないよ。エミの勘違いだって」

「あたし、後悔して泣いてるすずめなんて見たくないの。困ってたり迷ってるなら、どんなことも引き受けるよ」

 真摯な眼差しに負けそうになったが、エミにもバラしてはいけないと考えた。

「心配しないで。その気持ちだけもらっておくよ。いつもありがとう」

「でも……」

「それより、自分の心配をした方がいいよ。受験は? 志望校は? しっかりと探しておかなきゃだめだよ」

 エミはまだ何か話したそうだったが、結局黙って俯いた。すずめもどう答えようか焦っていたため、ほっと息を吐いた。

 放課後、また圭麻にデートに誘われた。

「喫茶店の定休日調べたから大丈夫だよ。あとおすすめ商品も。ココアとストロベリーのパンケーキだって。ヒナコ、パンケーキ好き?」

「甘いお菓子なら、どんなものでも食べられるよ。ココアも大好き」

「よかった。俺、あのデート振り返って反省したよ。もっとヒナコの思いに気付くべきだったよな。他の子とおしゃべりしたり、歩くの遅いって馬鹿にしたり。酷すぎた」

「あたしも途中で帰っちゃってごめんね。次は夕方まで一緒にいよう」

 にっこりと笑うと、圭麻も嬉しそうに微笑んだ。

 圭麻がすずめを愛してくれているのは確信した。そしてすずめも圭麻に惹かれているのも明らかだ。それなのに、心に黒い鉛が浮かんで消えないのはなぜだろう。相談に乗ってくれる人も愚痴を聞いてくれる人もいない。自分でこの鉛を軽くしていくしかないのが辛い。

 その夜も、幼い蓮が泣いている夢を見た。助けたい護りたいと願っても夢なので、醒めると幻のように一瞬で透明と化す。これからずっと蓮の夢が続いていくのかと想像し、そのたびに鉛が大きく重くなっていった。

 次のデートは成功した。天気は良く、新しい喫茶店で楽しくおしゃべりし、ぶらぶらと散歩して夕方まで一緒にいられた。ただ、ぎくりとする時があった。パンケーキを口に運んでいると、圭麻がネックレスを指さした。

「あれ? ずいぶんと古いネックレスしてるね」

「え? あ、ああ……。これ?」

「どこで買ったの? 骨董品のお店?」

「買ったんじゃなくて、お母さんに渡されたの。あたしの死んだおばあちゃんの形見。お守りとして大事にしてたって教えてくれた」

「へえ……。でも、どうしてデートで形見? 普通そういうのって付けないよね?」

「おばあちゃんは、あたしの恋愛についてよく話してたみたい。すずめがかっこいい男の子と会えますようにって。だから天国にいるおばあちゃんに、こんなに素敵な男の子と恋人同士になれたんだよって伝えたくてね」

 もちろんこれは作り話だ。そもそもすずめの祖母は父方も母方も認知症にもならず元気に生きている。

「そっか。優しいなあ、ヒナコ。俺もおばあさんに会ってみたかったな」

「おばあちゃん喜んでるよ。願いが叶ったんだもんね」

「結婚して子供が産まれたら、もっと喜んでもらえるよな。ヒナコのおばあさん、俺が絶対に幸せにしますよ」

 ネックレスに呼びかける圭麻の姿に、申し訳ないと罪悪感が胸に溢れかえった。嘘をついて騙して誤魔化して、軽く自己嫌悪に陥る。おまけに勝手に祖母を故人にしたのも気分がよくない。だが疑われないようにするには、嘘を重ねるしか方法はなかった。

 五時の鐘が鳴り、圭麻が両手を握りしめてきた。

「家まで送るよ。できる限り長い時間ヒナコのそばにいたい」

「ごめん。あたし、寄りたい場所があるの」

「寄りたい場所? どこ?」

「内緒なんだ。あたしの秘密基地だから」

「俺も一緒に行っちゃだめ?」

「ごめん。秘密基地だからね。圭麻くんに教えたら秘密じゃなくなっちゃうでしょ」

「そっか……。俺もついていきたかったけど、バラしたくないならしょうがないな」

「今日は楽しかったよ。どうもありがとう」

「明日は、俺の家で料理の練習する?」

 突然聞かれて目が丸くなった。

「料理の練習?」

「ヒナコのために俺が先生になるよ。暇だったら家に来てほしいな」

「いいの? あたし全く料理の経験ないのに。手先も不器用だし」

「彼女が困ってる時、助けるのが彼氏の役目だよ。俺も最初は失敗ばっかりだったんだ。少しずつ、しっかりと教えてあげるよ」

 暖かい圭麻の言葉に、すずめも頷いた。

「わかった。えっと……。持っていくものは」

「ないよ。全部俺の家にあるものを使って。ちなみに作ってみたい料理はある?」

「鶏のから揚げ作ってみたい」

 即答したすずめに驚いたのか、圭麻は瞬きを繰り返した。

「から揚げ? から揚げが好きなの?」

「大好物なの。だめかな? 圭麻くん、から揚げ苦手? 作ったことない?」

「いや。俺も大好きだしよく作るよ。割と得意な方。おいしいかどうかは人それぞれだけどね」

「絶対においしいよ。料理上手の圭麻くんなら間違いない」

「嬉しいなあ。じゃあ、から揚げで決まり。この後材料買って帰るね」

 そしてくるりと振り向くと、真っ直ぐ歩いて行った。圭麻の姿が完全に消えるまで立ち尽くし、それから二十分ほど経ってようやくすずめも足を動かした。




 ブランコのある公園は相変わらず無人だった。まるでそこだけ違う世界に存在しているようだ。秘密基地はこの公園のことだったのだ。蓮と過ごしたこの空間を他人に汚されるわけにはいかない。たとえ愛する彼氏であっても。

 ゆっくりと中に入りブランコに座る。ここで蓮に愚痴や不満を吐いたり、悩みを聞いてもらったりした。しかし現在は縁を切ってしまいそれができなくなった。空しさと寂しさが胸に浮かぶ。

「……蓮くん、今どうしてるのかな……。一人で勉強してるのかな……」

 呟いても答えは返ってこない。もちろんわかっているが、がっくりと項垂れため息を吐いた。

「また来よう……。いつか蓮くんに会えるかもしれない」

 退学しても公園には現れるのではないか。上手くいけば怒鳴ったことを許して、以前と同じ関係に戻れる可能性もある。淡い期待を抱いて立ち上がり、公園を後にした。

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