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一一〇話

「ヒナコ、おはよう」

 昇降口で声をかけられた。振り向かなくても圭麻だとわかる。

「おはよう。圭麻くん」

「あれ? 泣いたの? 目が赤いけど」

「そんなことないよ。もしかしたら、怖い夢見たのかも」

「怖い夢? どんな?」

「よく覚えてないや。それより早く教室に行こう」

 すずめが歩き始めると、圭麻はぎゅっと手を繋いできた。どきりと鼓動が速くなる。

「け……圭麻くん」

「圭麻って呼んでよ」

「え?」

「恋人なんだから、圭麻って呼び捨てにしてほしい。圭麻くんだと、まだ友だちのままみたいな気がするから」

 そういうことか、とすずめも頷いた。しかしずっと圭麻くんだったため、少し恥ずかしい。

「できる限り呼び捨てにしようとは考えてるけど、緊張しちゃうな。なら、圭麻くんもヒナコじゃなくて、すずめって」

「いや。俺はヒナコのままで。俺が作ったニックネームだし、変えたくないんだ」

「だけど結婚したら日菜咲じゃなくなるよ?」

「日菜咲から取ったんじゃないんだ。背が低くて子供っぽくて雛みたいに可愛かったからヒナコって付けたんだ。結婚してもヒナコはヒナコ」

 しかし、すずめは自分の名前をとても気に入っている。もちろんヒナコも可愛いが、圭麻にもすずめと呼んでもらいたい。柚希は、すずめちゃんと呼んでくれてありがたい。

「……嫌なの?」

 圭麻の声が低くなり、慌てて首を横に振った。

「ううん。ヒナコで全然いいよ」

「だよね。ヒナコは素直な性格で、本当に俺の理想の彼女だ」

 にっこりと笑っている圭麻を見つめて、そうではないと心の中で答えた。圭麻が暴れてしまうから、無理をして素直な彼女を演じているだけだ。先ほどの名前など圭麻に反抗したい時もたくさんあるが、全て我慢して黙っている。以前はこういうことがあると蓮のマンションに上がり込み愚痴を吐いてストレス発散していたが、それができなくなってしまった。頭の中がストレスでぱんぱんになってしまったら、すずめはどうなってしまうのか。爆発して圭麻と喧嘩をしたら、一気に愛情が冷めて別れようと言われそうで怖い。

「……あたし……。馬鹿だ……」

 そっと独り言を漏らし、がっくりと項垂れた。

「そういえば、昨日言ってたCDと音楽プレーヤーって」

 圭麻が言いかけて、勢いよく顔を上げた。

「ああ。実はあの後捨てたんだ」

「え? もったいなくて捨てられないって」

「よくよく考えたら、確かに圭麻くんの言う通りだって思ったの。あんなの家にあったら不幸になりそうだもんね。それに、あたしの彼氏は圭麻くんなんだし。捨てたら、すっと胸が軽くなったよ」

 無意識に言い訳が飛び出す。蓮とのひとときを失くしたくないと、勝手に体が反応した。嘘だとバレないよう、やけに明るく早口で、また視線を逸らして答えた。すでにないと話せば圭麻も安心するだろう。つまり捨てられずに済む。

「そっか。よかったよ。俺じゃなくてヒナコが捨てないと意味ないもんな。蓮なんか忘れて、二人で幸せを掴み取ろう」

「うんうん。余計な人間はいらない」

 笑顔で頷いたが、未だに視線は逸らしていた。目は口ほどにものを言う。今、圭麻の顔を直視したら絶対に動揺してしまう。すずめを信じたのか信じていないのかよくわからなかったが、圭麻は黙りこくった。

 昼休みに、デートに行く喫茶店はどこか教えてもらった。

「よく行ってる店じゃつまらないだろ? 最近できたばっかりの新しい喫茶店、偶然知ってね」

「へえ……。初めてだから、何だかわくわくしちゃう。それにしても圭麻くんって男の子なのに女の子が好きそうなもの詳しいよね」

「これまで、いろんな子と付き合ってきたからかもね。だけど、すぐに別れて長続きしなかった。みんな俺じゃなくて俺の持ってる金が目的だったんだ。あれ欲しい、これ買ってってねだられて、どれだけ無駄遣いしたかな……。ヒナコだけだよ。俺自身を愛してくれたのは」

 じっと強く眼差しを向けられ、なぜか冷や汗が流れた。ぎくりとして俯くと、次は抱きしめられた。

「……ねえ、ヒナコは俺のこと好きだよね? 他に好きな男とか……いないよね?」

「いないよ。どうしてそんなこと聞くの?」

「朝からずっと目を合わせないようにしてるじゃないか」

 さらにぎくりとした。慌てて首を横に振る。

「気のせいだよ。あまりにも圭麻くんがかっこよすぎて緊張しちゃうの」

「本当にそう思ってる? 嘘は絶対にだめだよ。ヒナコ、嘘つきな人が一番嫌いって話してただろ? 俺も同じ。嘘つきが大嫌い。たとえヒナコでも嘘は許せない」

 だんだんと圭麻の口調が低くなっていく。ははは……と軽く笑ったが、冷や汗で全身がびっしょりと濡れていた。

 午後の授業は上の空で、いつの間にか放課後になっていた。圭麻は口を閉じ、そのまま教室から出て行ってしまった。代わりにエミがすずめのもとに近寄ってきた。

「すずめ。天内くんと喧嘩でもしたの?」

「え? 喧嘩なんてしてないけど」

「ものすごくイライラしてる感じだったよ。気づかなかった?」

「イライラ……。あたし、余計なことしちゃったのかも……」

「余計なこと?」

「ちょっと話せないんだけど。ごめん」

 エミにも嘘つきな人が一番嫌いと怒鳴ったため、まさか自分が聞き分けのいい彼女を演じ、何回も嘘をついているとバラせなかった。ふう、とエミは息を吐き、注意するように話した。

「嫌われないように行動するんだよ。特に天内くんはイケメンでプライドも高いと思うし。せっかく恋人同士になれたんだから、愛想つかされたくないでしょ」

「まあね。でも、男の子って何考えてるか理解できないからな……。女だし、これは仕方ないよね」

「髪が短いから捨てる奴もいるくらいだもんね」

「ああ……。エミが付き合ってた彼氏……」

「天内くんは、そんな酷い性格じゃないって信じてるけどね」

 そこまで言うと、エミも鞄を持って教室から出て行った。すずめはしばらく俯いて立ち尽くし、三十分ほど経ってから廊下に移動した。しかし昇降口の前で担任に呼び止められてしまった。

「ちょっと職員室に来てくれる?」

「あたし、早く帰りたいんです」

「すぐに終わるから。ね、いいでしょ」

 返事を待たず、担任は無理矢理すずめを職員室に連れて行った。

「……で、何ですか?」

 さっそく聞くと、暗い表情で担任は答えた。

「高篠くんから、また電話がかかってきてね」

「あたしは高篠くんの友だちじゃありません。連れ戻すこともできません。はい、じゃあこれで」

「退学するって言ってきたのよ」

 どきりと心臓が跳ねた。全身が石のように固まる。

「……た、退学って」

「私もびっくりしちゃってね。自分にはやりたい勉強があるし、高校に通わなくても独学できるし、邪魔したくないんだって。誰の邪魔になるの? 誰も邪魔だなんて思ってないのにって止めたら、電話切られちゃった。どうしてあんなふうにネガティブになっちゃうのかしらね。学校で友人と仲良くする喜びを高篠くんにも味わってもらい……」

「すみませんっ。あたし、もう帰りますっ」

 遮り、勢いよくドアを開けてその場から走り去った。これ以上担任の言葉を落ち着いて聞いていられなかった。あてもなく前に突き進み、たどり着いたのは小さな公園だった。ブランコがある、蓮と過ごしたあの公園だ。

「……何で……。ここに……」

 独り言を漏らしながら中に入ろうとすると、突然携帯が鳴った。耳に当てると圭麻の固い声が飛び込んできた。

「ヒナコ、今どこにいるの?」

 ぎくりとしたが、とっさに言い訳が頭に浮かんだ。

「家だよ。それがどうしたの?」

「ふうん。まだ外にいるような気がしたんだけど」

 圭麻には超能力でもあるのかと冷や汗が流れる。まるですぐそこで見張っているのではと緊張してしまう。しかし明らかに人の気配はない。

「真っ暗闇に女の子一人で歩いてたら危ないだろ? ヒナコが襲われるなんて絶対に嫌だし、彼女が護れないなんて彼氏失格だ」

「大丈夫だよ。家に帰ってるから。安心して」

「そうか。ほっとしたよ」

 固かった声がゆるくなり、すずめもこっそりと息を吐いた。そこで電話は切れ無意識に額に触れると、自分でも驚くほどの汗をかいていた。バケツをひっくり返したみたいだ。

「また嘘ついちゃった……」

 いけないとわかっているが、この気持ちをバラす勇気などない。誰にも、蓮の退学にショックを受けていると口外できないのだ。



 圭麻に疑われないよう、仕方なくその日は公園には入らず家に向かった。リビングに移動すると、ソファーでテレビを観ていた知世が目を丸くした。

「すずめ? 泣いてるの?」

「え? 泣いてないよ」

「でも、泣きそうな顔してる。学校で悲しいことでもあったの?」

「ないない。お母さんって心配症だよね。全然平気だから」

 苦笑して部屋に行きドアを閉めると、ぽろぽろと涙のしずくが零れ落ちた。



 






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