一〇八話
翌朝、教室に入ると圭麻とエミが駆け寄ってきた。二人とも満面の笑みだ。
「おはよう。はい、これ」
圭麻が白い小さな箱を差し出した。
「……何これ?」
「開けてみて。もうすぐでヒナコ誕生日だろ? 好きそうなもの探したんだ」
そういえば、確かにもう少しで誕生日がやってくる。悩み事が多すぎて、綺麗に咲いている桜の花も視界に映らなかった。言われた通り蓋を開けると、小さな瓶が入っていた。
「香水。ちょっと大人っぽいかなって思ったんだけど、もう高校三年だしな」
横からエミも割り込む。
「よかったね。デートに行く時、つけていけば?」
だが、すずめは無表情のまま蓋を閉めた。そして首を横に振る。
「圭麻くん、渡す人違ってるよ」
「え?」
「え? じゃない。圭麻くんが好きなのはエミなのに」
沸々と怒りが燃え上がり始めた。こんなものを買ってすずめをぬか喜びさせ、面白がっているのが許せない。わけがわからないのか圭麻は黙り、エミは呆れた表情で続ける。
「待ってよ。すずめ。頭おかしいよ。変な妄想して」
「知ってるんだから。圭麻くんとエミが隠れてお付き合いしてるの。すでにバレてるんだよ」
「天内くんの彼女はすずめでしょ? いつあたしが彼女に」
「うるさいなあっ」
爆発してしまった。ぎろりと睨み、大声で叫ぶ。
「あたし、嘘つきな人が一番嫌い。まさかエミに奪われるとは思ってなかったよ。まあ、仕方ないよね。圭麻くんは優しいしかっこいいし女の子にモテモテだもん。エミが好きになるのもわかる。だけど親友の彼氏を自分のものにしようっていうのは非常識すぎるよ。もういい。エミがそんな態度とるなら、あたしも親友やめるっ」
怒鳴り散らし、持っていた香水を圭麻に投げつけた。
「圭麻くんも一緒。あたしに愛してるってよく言えるね。他に好きな子がいるのに。こんなものいらない。名前呼ぶのもやめてね。あたしも圭麻くんのこと天内くんって呼ぶから。これからは、ただのクラスメイトって関係。友だちでもない」
そしてその場を立ち去ろうとした。しかし、ぐっと腕を掴まれてしまった。
「放してよ」
「ヒナコ。俺たちの話を聞いてくれ」
「聞かなくてもわかる。あたしを馬鹿にして嘲笑ってるんでしょ? 酷い。酷すぎる」
ばしっと頬をたたかれ我に返った。驚いて目を丸くすると、エミが泣きそうな顔をしていた。
「酷いのはすずめの方だよ。何も知らないくせに、勝手に妄想して大騒ぎして……」
「だ、だって……。本当のことじゃ」
「誤解だよ。俺と相沢さんは付き合ってない。俺が好きなのは、ずっとずっとヒナコだけ」
「また嘘ついて……」
「もしかして、俺たちがおしゃべりしてるところ見たの? それで恋人同士になったって不安になったのかな? ごめんね。実は、相沢さんにいろいろアドバイスしてもらってたんだ。ヒナコが欲しがってるもの、デートに連れて行ったら喜びそうな場所。つまり恋愛相談だよ。この香水も、相沢さんに選んでもらったんだ」
どくんと心臓が跳ねた。掠れた声で呟く。
「そ……そうだったの……?」
「当たり前じゃん。あたしが、すずめの彼氏奪うような奴だと思う? それにあたしは男に興味ないって言ってるでしょ。どうして親友やめるなんて……」
ぐすんぐすんと俯いて泣くエミに戸惑った。いつもいつも、すずめを護ってそばにいてくれる姉を傷つけてしまい、自己嫌悪に陥った。圭麻も悲しそうに口を閉じ、全身が震えている。
「……ごめん……」
もう一度呟き、すずめもがっくりと項垂れた。エミと圭麻は同時に視線を向け、逆にすずめは視線を逸らした。しばらくそのままの状態で固まり、担任が教室に入ってきてようやく体が動いた。
なぜ疑ったのだろう。なぜ信じられなかったのだろう。柚希も勘違いだと話していたじゃないか。もし二人が両想いだったら身を引いて我慢すればいいのに、耐え切れず怒鳴ってしまった。いくら反省しても過去は変えられない。授業など上の空で、昼休みに泣いて謝った。
「あたし、暴走して妄想して迷惑かけて……。本当にごめん。もうあたしみたいに馬鹿な人間と付き合いたくないよね」
ぼろぼろと涙が止まらない。そんなすずめを、圭麻はぎゅっと抱きしめエミは頭を撫でてくれた。
「すずめはあたしの妹だって言ってるでしょ。これからも仲良くしてほしい。天内くんもそうだよね? すずめを嫌ったりしてないよね?」
「もちろん。人間なんだから、勘違いしたり間違える時はあるもんな。ヒナコ、信じてくれた? 俺がヒナコを心の底から愛してるんだって」
「うん……。ありがとう……。エミも圭麻くんも優しすぎるよ……」
うっうっと泣き続けるすずめを、エミと圭麻は暖かな微笑みで包んだ。
「だけど、普通はそんなおかしな考えはしないよね。ただおしゃべりしてるだけで付き合ってるなんて」
エミが呟き、はっと目を丸くした。
「蓮くんが……。そう言ったんだよ」
「え? 蓮が?」
圭麻も驚きの顔になる。頷いて、すずめは即答した。
「あの二人、付き合ってるって。年頃の男女だし、恋に落ちるのも当然だろって話したの」
「何それ? 高篠くんが余計なことしたってこと?」
「またあいつ、ヒナコを不安にさせやがったんだな」
イライラしている二人につられ、すずめも怒りが生まれた。蓮が悪魔の囁きをしなかったら、隠れて付き合っているなど全く思わなかった。蓮のせいで大切な彼氏も親友も失うところだったのだ。もちろん、怒鳴ってしまったすずめも悪いが、惑わされ悩みと迷いで苦しめられたのは許せない。
席に戻ると、蓮の耳元で囁いた。
「放課後、空き教室に来てくれない? しゃべりたいことがあるの」
「しゃべりたいこと?」
「そう。みんながいる時には話せない内容だから。二人きりになりたいの」
面倒くさそうだったが、蓮はゆっくりと頷いた。
たぶん無理だとは思うが、できるのならこの整った顔を殴ってやりたかった。午後の授業も上の空で、いつの間にか放課後になった。空き教室に向かうと、すでに蓮が待っていた。興奮しないように深呼吸してからドアを開ける。
「あのね。エミと圭麻くん、付き合ってなかったよ」
「へえ。そうなのか。よかったじゃないか」
「どうしてあんなこと言ったの? いつもいつも蓮くんってあたしを不安にさせるよね。あたしが悩んでるのが楽しいの?」
しかし蓮は黙り視線を逸らした。さらにすずめは続ける。
「あたし、もう少しで彼氏も親友も失くすところだったんだよ。蓮くんが余計な話をするから」
「いいじゃないか。恋人も友人もいらないだろ。人間は産まれるのも死ぬのも一人。そうやって甘えてちゃだめなんだよ」
「それは蓮くんの場合でしょ。あたしには恋人も友人も必要。一人で生きていくのは無理」
しっかりと答えると、蓮はつまらなそうな口調で呟いた。
「あーあ。あともう少しで、孤独なお前が見れたのになあ。嫉妬に狂ってるところも」
どきりとした。目が丸くなる。
「何それ……。あたしが孤独で嫉妬に狂ってるところって……」
「そのままだよ。親友に彼氏取られて惨めなお前が見たかったのに。お前が落ち込んでると、ものすごくストレス発散になるんだよな。真壁と別れた時も嬉しかったけど、すぐに天内と付き合っちゃって残念で仕方なかったな」
蓮の言葉に、胸の奥の気持ちが弾けた。爆発したように怒鳴り散らす。
「酷いっ。酷すぎるっ。あたしが地獄に落ちるように祈ってたの?」
「まあな。うるさいししつこいし、邪魔ばっかりするからいい加減にしろって頭にきたんだよ。周りに他人がいなくなれば、ちょっとは黙るだろうと思って」
「最低……。信じらんない……。悪魔と同じだ……」
わなわなと全身が震えだす。さらに大声で叫んだ。
「蓮くんって、やっぱり最低だね。本当は優しいって考えてたのに、ただの害虫男だったんだ。よーくわかったよ」
すると蓮もぎろりと睨みつけた。
「またそれかよ。始めから俺に関わるなって言ってたのに近寄ってきて、まるで友人にでもなったような態度で、不快になったら害虫男。自分勝手にもほどがあるだろ」
「悪かったね。自分勝手で。けど、はっきりと伝わったよ。あたしと蓮くんは完璧に相性がよくないんだって」
「やっと気づいたのか。呆れるくらいの馬鹿だな」
「あたし、害虫と仲良くするつもりはないから。蓮くんの声も聞きたくないし顔も見たくない。明日から学校に来ないでよ」
「また自分勝手。お前にはついていけないな。取り返しのつかないアホだ」
「馬鹿だのアホだの……。ちょうどいいや。蓮くんとは縁を切る。離れ離れになりたくないって気持ちでいっぱいだったけど、もうどうでもいい。あたしは、圭麻くんと愛し愛されて生きていくんだ」
固い口調で言い切ると、蓮は小さく笑った。ただし冷たく凍った笑みだった。
「そうだ。それが正解なんだよ。じゃあ、明日から俺は学校に行かない。勉強で忙しいし、ここに来ても得るものは何一つないしな」
ふん、と息を吐き、蓮は大股で空き教室から出て行った。
「……酷い。人間ができてるどころか、悪魔だったなんて……」
取り残されたすずめの胸には、先ほどの言葉が渦巻いて消えなかった。
家に帰り、圭麻に電話をかけた。蓮とのやりとりを打ち明けると、怒りの声に変った。
「酷すぎるよ。ヒナコが地獄に落ちるのがストレス発散なんて」
「まさに害虫男でしょ? 害虫以下かもしれない」
「うん。ヒナコの気持ちよくわかるよ。縁が切れてよかったじゃないか」
「学校にも来るなって怒鳴ったし。これからは邪魔されずに過ごせるね」
「じゃあ、俺がとなりの席に座ってもいい?」
はっとした。ずっとすずめの後ろの席しか座れず、悶々としていたのだと伝わった。ようやく大好きな恋人の横に移動できる。
「もちろん。というか、今までどうしてあいつがとなりに座ってたんだろう? 恋人でも友だちでもないのに」
「俺も不満でいっぱいだったよ。ヒナコが蓮に傷つけられることもなくなって、心が羽みたいに軽い」
柔らかな圭麻の言葉に、すずめも自然に微笑んだ。とりあえずそこで切り、次に柚希にも報告をする。
「え? 高篠くん、学校に来ないの?」
「うん。もういいの。やっぱりあいつは害虫って改めて知ったから」
「でも……寂しくない?」
「全然。圭麻くんもエミもいるし、寂しいなんて」
「本当? そばにいてほしくないの?」
返す言葉が見つからない。そんなはずないと言いたいのに口が動いてくれない。
「……高篠くんは寂しくないのかな」
どきりとしたが、これにはすぐに答えられた。
「平気だよ。あたしも何度も寂しいんじゃないのって聞いたけど、一人でいる方が気楽っていつも話してたもん」
「そうかな。強がってるだけで、意外と寂しがり屋なんじゃ」
「そうやって、あたしも気にかけてきたけど、結局馬鹿だのアホだの文句言われて終わり。柚希くんも、さっさとあいつのこと忘れちゃった方がいいよ」
けれど柚希は何も答えず、一方的に電話を切った。少し柚希に嫌われたような感じがし、冷や汗が額に滲んだ。




