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一〇七話

 翌日、学校に行くとエミも圭麻もやけにすずめに気を遣っていた。視線を逸らし声をかけてこない。あまりにも不自然で、朝から胸に嫌な予感が渦巻いていた。さらにすずめを地獄に落としたのは、クラスメイトの噂話だ。

「ねえ。最近、エミちゃんと天内くんって仲良くない?」

「めちゃくちゃ仲良しだよ。この前は二人で歩いてたらしいし」

「それってデートってこと? じゃあ恋人同士なんだ」

「まあ、お互いに美男美女だし、好きになるのは当然だよね」

「あっ、でも……。天内くんって、日菜咲さんが好きって言ってなかったっけ?」

「冗談に決まってるでしょ。日菜咲さんだよ? あんなに地味で平凡な子が天内くんの彼女になれるなら、あたしだって彼女になれるよ」

「そっかあ」

 いじめにすら聞こえるクラスメイトたちの声は、すずめの心に深く突き刺さった。惨めで恥ずかしくてたまらない。その場を離れ人気のないところで泣いていると、じっとすずめを見つめる視線が飛んできた。はっと後ろを振り向くと蓮が立っていた。ごしごしと目をこすって涙の跡を消すが、完全にバレている。エミと圭麻の裏切り。クラスメイトたちの噂話。放課後は、話しかけられないように誰よりも早く教室から出た。

 その日から、浮気の疑惑は大きくなり二人を許せないという気持ちがどんどん増えていった。休日に電話をかけたが、また用があるとエミから断られた。

「その用事って何なの? 教えてよ」

「ちょ、ちょっとすずめには内緒なの。ごめん」

「どうして内緒なの? 教えてくれたって」

「とにかくだめなものはだめ。じゃあまた明日ね」

 ぶちっと一方的に切られてしまった。携帯を握った状態で、むくむくと黒い感情が沸き上がっていく。

「……怪しい。絶対に隠れて付き合ってるんだ。間違いない」

 まさか親友に彼氏を奪われるとは思っていなかった。圭麻もあれだけ好きだ愛していると伝えておきながら実際はエミを選んでいたのかと怒りが生まれる。そうして馬鹿みたいに喜んでいるすずめを二人で見て笑っていたのだ。

 だが、ふと知世の言葉が蘇る。ただの勘違いかもしれないという言葉だ。すずめは二人が歩いている姿は目にしていないし、浮気していると決めつけられない。証拠が一つもないのだ。偶然、エミにも圭麻にもすずめに教えたくない用事があり、浮気なんてしていなかったら……。

「だ……だけど、怪しいもん。勘違いなわけないもん」

 独り言を漏らし、自分に言い聞かせた。

 疑惑と不安はすずめに重くのしかかる。クラスメイト達の噂は絶えず耳に飛び込んだ。学校生活も以前と比べると、圭麻に声をかけられる数が減り代わりにエミと楽しそうにおしゃべりしていることが多くなった。休日はもちろん断られ、デートを目撃したと話すクラスメイトが増えていく。惨めでぽろぽろと泣いていると、必ず蓮が遠くに立っていた。慰めたり励ましたりするわけではないが、何となくすずめを思いやってくれているみたいだ。

「……蓮くんって優しいなあ。全然にっこりしないし無口だけど、人間ができてる。圭麻くんに爪の垢を煎じて飲ませてやりたい」

 さらに恨みが生まれ、圭麻を裏切り男と心の中で罵った。

 エミへの信頼も、圭麻への愛情も、ほとんどなくなった。もし二人に話しかけられても視線も合わせずに無視しようと決めた。どうせ全て嘘だし、あの二人に笑われたくない。

 そんなある日のことだった。土曜日に行く当てもなくぶらぶらと散歩していると、全身が石のように固まった。エミと圭麻が並んで歩いている姿が視界に映った。横顔だが、明らかにエミはうっとりとした表情で、圭麻も幸せそうな笑みだ。あんな顔は今まで一度も見せたことはない。

「……ほ……本当……だったんだ……。本当に付き合ってたんだ……」

 ぎゅっと目をつぶった。これが悪夢であってほしいと願った。しかし、もう一度目を開けると、エミと圭麻の姿がはっきりと映る。

「い、嫌だ……。こんなの……。信じたくない……」

 後ろを向き、全力疾走でその場から逃げた。はあはあと息が荒くなって足を止めると、蓮の後ろ姿が遠くに見えた。

「れ……蓮くんっ。待ってっ」

 叫びながら蓮の腕に抱きつき、ぽろぽろと涙を流す。大きくて黒い鉛が体にのしかかってくる。傷ついたすずめにじろりと低い声がかけられた。

「放してくれ。俺は家に帰りたいんだ」

「あたしも行きたい……」

 消えそうな声で呟くと、蓮は無理矢理手を振り払おうとした。けれど次は背中に貼りついた。すずめがしつこい女だと知っているので、蓮は諦めて歩き始めた。引きずられるように、すずめも足を動かす。マンションの前に辿り着くと、また蓮が話しかけてきた。

「放せよ。まさか中に入る気じゃ」

「一人になりたくないの。勉強の邪魔はしないから、泣き止むまでそばにいたい」

「少しでも邪魔したら、すぐに追い出すぞ」

「わかってる……」

 こくりと頷くと、蓮は深いため息を吐いた。

 部屋に上がらせてもらうのは久しぶりだ。特に何も変わっていない。一つ違っているのは本が増えていることだ。床にもテーブルにもソファーにも本がところ狭しと置かれている。表紙だけで難しいのが伝わり、いつもこれを読んでいるのかと、どきりとした。蓮が続けている勉強とはどういう内容なのか。どうして今それをする必要があるのか。いろいろと質問したくても追い出されてしまうので黙るしかない。

「飲みたいものはあるか?」

 聞かれ、首を横に振って即答した。

「い、いらない」

「でも、泣くと体から水分が抜けるだろ」

「大丈夫。気にしないで」

「ならいいけど。もし飲みたくなったら言えよ」

 抑揚のない口調だが、どうやらすずめに気を遣っているらしい。しゃべってもいいのかと思い、そっと質問をしてみた。

「……ねえ。エミと圭麻くんが両想いなら、あたしは身を引くべきなのかな?」

 彼氏と親友、どちらが大事なのか。できれば二人に幸せになってもらいたいが、そうすると自分が独りになってしまう。すずめの言葉に蓮の目が丸くなった。

「へえ。やっぱり浮気してたのか」

「うん。はっきりと見ちゃったよ。……浮気されるなんて」

「仕方ないだろ。人間なんだから。急に好き嫌いが変わったりするのは誰にでもあるぞ」

「そうだけど。蓮くんだったらどうする? 諦めて親友に譲る?」

「子供じゃないんだから、俺に頼ろうとするな。俺は無関係なんだし」

「ちょっとは相談に乗ってくれてもいいじゃない。……それにしても、いつ仲良くなったんだろう? 圭麻くんは毎日あたしのそばにいて、他の子とおしゃべりする時はほとんどないんだよ? 電話とかメールとかしてたってことかな。あたしに隠れて」

 あんなに愛していると言っていたのに、実はエミに惚れていた圭麻。すずめを応援しながら、こっそりと圭麻を想っていたエミ。まさかこんな風に裏切られるとは。

「さて。そろそろ帰ってくれるか。俺は忙しいんでね。お前の悩みに付き合ってられない」

「そんな。まだそばにいたい」

「邪魔しないって話してただろ。お前がいると気が散るんだよ。ほら、さっさと出る」

 背中を押され、仕方なくドアを開いた。はあ、と深く息を吐き家に向かう。



 夜はうつらうつらしかできず頭が痛かったが、頑張って登校した。廊下を歩いていると圭麻の声が耳に飛び込んだ。しかしそれはすずめにかけられた言葉ではなかった。声のした方に目をやり、どきりと心臓が跳ねた。エミと圭麻が遠くでしゃべっているのが見えた。エミの手には小さな箱があり、頬が赤く火照っていた。全身が固まりその場に立ち尽くしていると、後ろから肩をたたかれた。ゆっくりと振り返ると蓮がすずめを見下ろしていた。

「……別れるしかないのかな……」

 涙を流すと、蓮は曖昧に頷いた。

「残念だけど、そうするしかないな」

「……そっか」

 小さく呟き、涙の跡を手の甲で拭った。

 その日は、圭麻ともエミとも会話をしなかった。目も合わせず話しかけられても無視だ。放課後になり、泣きながら帰り道を歩いた。部屋に入るとすぐに柚希に電話をかけた。

「すずめちゃん? どうしたの?」

「どうしたのじゃないよ。圭麻くん、浮気してたの」

「浮気? 天内くんが?」

「そう。しかも親友のエミと。あんまりだよ。名前も知らない子なら、まだよかったんだけど」

 すると柚希の声が固くなった。

「それ勘違いだよ。エミって相沢さんのことだよね? 俺、よく天内くんとメールするんだけど、全部すずめちゃんの話だけだよ? 相沢さんの話なんて、一切しないよ?」

「あたし、二人でデートしてるところ見たんだもん。今日なんかプレゼントあげてたよ。しょうがないから彼氏のフリしてるんでしょ」

「デートしてるところ? 手を繋いだりキスしたり抱きしめあったりしてたの?」

「いや……。普通に歩いてたってだけ……。手を繋いだり抱きしめたりはしてなかった……」

「じゃあ勘違いだよ。悪いけど、俺はすずめちゃんが正しいとは思えない。天内くんは、本気ですずめちゃんを愛してるよ。浮気するわけない」

「でも、年頃の男女は、すぐに恋に落ちるって……。蓮くんが……」

「高篠くんって、ちょっとひねくれてるからね。すずめちゃんを不安にさせたくて余計なこと聞かせたんだろう。高篠くんじゃなくて天内くんを信じた方がいいよ」

 少し強めな口調で答えて、柚希は一方的に切ってしまった。もう何が正しくて何が間違いなのかわからなくなっていた。すずめだって、ただの勘違いであってほしいし二人と関係をぎくしゃくさせるなんて絶対に嫌だ。

「……どうしたらいいの……」

 独りになってしまうが、すずめが身を引けばとりあえず仲良くはできる。だが、すずめはそこまで大人ではないのだ。きっと恨んだり妬んだりしまう。よかったね、と笑おうとしても、ぎこちなく歪んだ笑顔しか作れない。

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