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一〇五話

 翌日も特に変わり映えのしない一日になった。圭麻には話しかけられ蓮は無口。いつもと全く同じだ。一つ違っていたのは英語の授業だった。来週、とても難しいテストをすると話したのだ。最近は割といい点をとっていたが今回はかなり不安な内容で、クラスメイト達は嫌がったが「きちんと勉強しておけよ」とだけ言って教師は出て行った。

「勉強したって、わからないものはわからないよ」

「あの先生、まじで生徒いじめるの大好きだよね」

「まあ、この学校って英語のレベル高いから」

「仕方ない。めっちゃ勉強するしかないな」

 教師の悪口を言う子もいるし、諦めて地道に努力をする子もいる。すずめは全身から血の気が去っていった。ただ一人、蓮だけは涼しい表情で窓の外を眺めていた。

「ね、ねえ。蓮くん」

 そっと耳元で囁くと、くるりとこちらに顔を向けた。

「何だよ」

「何だよじゃないよ。来週、英語のテストがあるんだよ。どうしてそんな余裕でいられるのよ?」

「そういえば、お前って英語苦手なんだっけ。頑張れよ」

「ええ? 教えてくれないの?」

 驚いて目が丸くなった。テスト勉強に付き合ってもらえると信じていたのだ。じろりと軽く睨み、蓮も即答する。

「お前、本当にあいつと恋人同士なのかよ。もし教えてほしいなら、あいつに頼めよ」

「でも、英語で困ってたら俺が教えてやるよって」

「それはまだお前が誰とも付き合ってなかったから。今はあいつの彼女なんだから、俺が家庭教師してたら変だろ」

「そうだけど、蓮くんって説明が上手で、わかりやすいんだよねえ。だめかなあ? 一時間でも構わないよ」

 お願い、と頭を下げると、後ろから圭麻が割り込んできた。

「ヒナコ? どうしたの?」

「え? いや、別に」

「次の英語のテストが心配なんだって。彼氏なんだから、彼女の悩み聞いてやれよ」

 蓮にバラされてしまった。むっとしたが、圭麻はこくりと頷いた。

「そっか。困ってたら素直に言ってくれればいいのに。じゃあさっそく放課後に図書館に行こう」

「あ……。う、うん……。そうだね……」

 嫌とはもちろん返せず、すずめも苦笑で頷いた。

 圭麻も英語の成績はいい方なので期待していたが、説明がわかりづらく伝わらなかった。気が付くと外はすっかり夜になっており、慌てて図書館を後にした。

「ごめん。もっと上手く話せたらよかったんだけど」

「謝らないで。というか、あたしの方こそ教えてなんてわがままだったよね。圭麻くんも勉強しなきゃいけないのに」

「わがままではないけど……。悪いけど、これからは一人で勉強してくれるかな?」

 すずめの返事を待たず、圭麻はさっさと走っていった。結局、時間を無駄に使っただけで、何も学ぶことはなく残念で仕方なかった。家に帰って教科書を開いたが、とても一人では理解できず、エミに電話をした。

「エミ、英語のテスト勉強、一緒にやらない?」

 するとエミの明るい声が耳に飛び込んだ。

「そろそろ電話がかかってきそうって思ってたよ。あたしもすずめとやりたかったの」

「二人だと捗るもんね。実は圭麻くんに家庭教師してもらったんだけど、全然だめだったよ。説明が意味不明で。必死なのは伝わるんだけど」

「へえ。あたしは逆に教えるのうまそうってイメージだったけどな」

「頭がいいから説明もできるってわけじゃないんだね。ちょっとかっこ悪いって思っちゃった」

「仕方ないよ。誰にも不得意なものってあるんだから。それに、すずめを愛してくれてる天内くんをかっこ悪いなんて言っちゃだめ。可哀想でしょ?」

「そ、そっか……」

「明日は、あたしの部屋で勉強会ね。夜まで長引いたら泊まっていけばいいし。頑張ろうね」

「うん。ありがとう」

 ほっとして、すずめも自然に笑顔になった。



 放課後、エミの部屋で教科書を開きながら、そっと呟いた。

「ねえ、イケメンってどうやって生まれるんだろう?」

 ペンを動かしていたエミが顔を上げる。

「それって、柚希と天内くんと高篠くんのこと?」

「そう。お父さんがかっこいいってだけじゃないよね。どんな育ち方をするとイケメンになれるのか、エミにはわかる?」

「いや……。あたしにもわからないよ。というか、どうしてそんなこと知りたいの?」

「子供が産まれる前に、しっかりと覚えておきたいなあって……。あたしは圭麻くんの子供を産むって、もう決まってるから」

「でも、まだ結婚もしてないのに、気が早すぎでしょ」

「まあ、それもそうだけど」

「今は英語のテストだけ考えよう。一〇〇点をとるために、頑張って勉強しようよ」

 ね、と微笑んだエミを見て、ふとあることが蘇ってきた。

「そういえば、圭麻くんがエミを可愛いって褒めてたよ」

「え? 天内くんが?」

「エミを意識してるみたいだった。いつもは男っぽいけど、急に女の子らしくなったエミに、すごくときめいてたよ。エミが好きなの? って聞いたら、そういうわけじゃないけどとは答えてたよ」

「ふうん。あたしにときめく男の子がいるなんて。あたしって、恋人というより友人って関係になるんだよ。悲しいけど。男の子に護られなくても自分で何でもできるって見られるんだよね」

「どうなの? エミは。圭麻くんに告白されたら、恋人同士になる? ならない?」

「ちょっと待ってよ。天内くんが大好きなのは、すずめなんだよ? どうしてあたしが告白されるの? まさかすずめ、天内くんと別れたいの?」

「別れたいんじゃないよ。でも、もし別れることになったら、その後どうなるのかなって。あたしは、エミにも圭麻くんにも幸せになってほしいの。美男美女でお似合いだし、恋人同士になってくれたら嬉しい」

「悪いけど、それはないよ。天内くんがどれほどすずめを愛してるか知ってるし、すずめの方が天内くんとお似合いだよ。別れるかもしれないなんて考える必要ないから」

 エミの声は固く、少しイラついていた。しなくてもいい心配をし、自分がどんなに恵まれているのかに気付かないすずめに頭にきたのかもしれない。イケメン王子と結婚も出産も約束されているのに別れ話など、本当に無意味なのだ。

「それとも、やっぱりすずめは柚希が好きなの? お母さんに引き裂かれたけど、大学生になればまた恋人になれるかもしれないって?」

「柚希くんは、完全に諦めてるよ。大人になっても、あたしは柚希くんの彼女にはなれない。柚希くんには、おしゃれできちんと育てられてるお姫様みたいな子がいい」

 王子様と村人は、生きる世界がそもそも違う。すずめと柚希がこうして仲良くなったのは、たまたま蓮と喧嘩してそれを柚希に聞かれたからで、最初は手の届かない憧れでしかなかった。遠くから眺めることしかできなかったのだ。蓮と出会ったのも圭麻と出会ったのも偶然で、奇跡でも起きない限りありえない。

「……ごめん。もう別れるなんて言わないよ。圭麻くんと結婚して可愛い赤ちゃん産んで、幸せになるね」

「そうそう。楽しい未来が待ってるんだもん。ネガティブな妄想なんて絶対にだめ。天内くんに申し訳ないじゃん」

 にっこりと笑うエミを見て、すずめも微笑んだ。エミにはとてもお世話になっていて、まさに血の繋がった姉だ。エミと親友になれたのもある意味奇跡だろう。その夜はエミの部屋に泊まり、朝早くに家に向かった。

 会社で怪我をした父は、まだ入院しリハビリを続けている。一人で寂しかったのか、ドアを開けると知世が駆け寄ってきた。

「すずめ……。できる限り、お泊まりはしないで。お母さん、心細くなっちゃう」

「大丈夫だよ。ちゃんと帰ってくるから。それより、お父さんってまだ会社に行けないの?」

「うん。歩けるようにはなったみたいだけど、走るのと階段が辛いんだって。無理しないでって先生にも言われてるから」

「そっか。頑丈だし、すぐに治ると思ってたけど」

「昔みたいに若くないからね。それに毎日働きづめで忙しくしてたから、休めていいじゃない」

「まあね。早く元気なお父さんに会いたいなあ」

 はあ、と息を吐くと、知世もこくりと頷いた。

 朝食を食べ制服に着替え学校に行く用意をしていると、知世が部屋に入ってきた。じっと眺めながら呟く。

「……ねえ、最近すずめ、すっごく可愛くなったよね。可愛いというか、綺麗になった。胸も大きくなったし、大人っぽい体つきになったね」

 突然の言葉に、ぽっと頬が火照る。

「やだなあ。どうしたの? いきなり。褒めても何もしないよ?」

「好きな男の子でもできたの?」

 はっとして目が丸くなる。知世は嬉しそうに身を乗り出してきた。

「えっ? 誰? どういう子? お母さんに教えてよー」

「べ、別に好きってわけじゃ……。ちょっと仲がいい友だちってだけだよ」

「友だちから恋人になったりするでしょ? 写真とかないの?」

「ないない。早く学校に行かないと遅刻しちゃうよ」

「名前は? 名前くらいならいいでしょ?」

「向こうに迷惑かけるかもしれないし、今は言えないよ。じゃあ行ってきまーす」

 短く答えて、そのまま走って登校した。

 もし、圭麻と付き合っていて結婚も出産もするつもりだと聞いたら、両親は泣いて喜ぶだろう。イケメンで王子の圭麻を嫌がる理由などない。だが、はっきりと明かさなかったのは、また心の中に疑問が浮かんだからだ。本当に圭麻と恋人同士になっていいのか。圭麻と幸せを掴み取れるか。結婚して後悔したりしないか。

「おはよう。ヒナコ」

 昇降口で背中から声をかけられた。くるりと振り向くと、満面の笑みで圭麻が近寄ってきた。

「おはよう。今日もイケメンだね」

「え? どうしたんだよ。もしかしてほしいものでもあるのか?」

「そんなものないよ。かっこいいから、そう言っただけ」

「そ、そっか。ヒナコも可愛いよ。ヒナコが彼女になってくれて、ものすごく感動してるんだよ。あ、明日はどこでお茶飲もうか?」

「明日? お茶飲む?」

「ヒナコが、喫茶店に行こうって誘っただろ? 忘れちゃったのか?」

「そうだっけ。テストで頭から消えてたよ」

 ははは、と苦笑する。もちろんテストではなく違う悩みで忘れたのだが誤魔化した。圭麻と結婚したら後悔するのではないかと心配してるなんて、口が裂けてもバラせない。

「来週のテスト難しそうだけど、しっかり対策して一〇〇点とろうね。俺、家庭教師になれなくてごめんな」

「大丈夫。あたしにはエミがいるから。エミは、あたしのお姉ちゃんなの。エミもあたしを妹って呼んでるし」

「へえ。美人で頼りがいのあるお姉さんがいて羨ましいな。俺も有那がいるけど、よくパシリに使われるし、怒らせると怖いからさ」

 ぴく、と体が反応した。やはりエミを意識していると感じられる口調だ。ヒナコ以外の子の話はしないと約束したのに、と少しむっとしてしまった。もちろん圭麻がすずめを裏切ってエミに浮気するとは思えないが、それでも嫉妬に似た感情が生まれた。エミを妬んだり圭麻を恨んだりは嫌だが、自分だけを見てほしいのにと不満が胸に浮かんだ。

 


 

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