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一〇四話

 翌日、学校に行くとすぐに圭麻が近寄ってきた。頭をかきながら苦笑している。

「昨日の放課後、ヒナコの親友の相沢さんに怒られちゃったよ。すでに彼氏がいるんだからイチャつくなって。だから柚希とは別れて今は俺と付き合ってるんだよって教えてあげたら、すごく驚いてたよ」

「聞いたよ。ちゃんと報告しておけばよかったよね。エミも柚希くんがあたしを捨てたのかってショック受けたみたい。そうじゃなくてお母さんに無理矢理引き裂かれたんだよってことも伝えたら、安心したって言ってたよ」

「そっか。相沢さん、怒鳴ってごめんって泣きそうな顔で謝るから、俺も可哀想になっちゃった」

「そうなの? エミが泣いて謝ってるところなんか見たことないよ。エミって男っぽくて、いつも堂々としてるから」

「へえ。確かに気が強そうなタイプだなとは思ってたけど。か弱い女の子の相沢さんが見れて嬉しかった」

 うっとりとした口調に、ほんの少しむっとした。すずめには他の男の話をするなと言っておきながら、自分はエミの話を平気でする。しかもエミはすずめの親友だと知っているのに。

「……圭麻くんって、エミが好きなの?」

 口から不満の言葉が漏れた。慌てたが、圭麻の耳に届いていた。

「え?」

「だって、すっごくときめいてるって感じなんだもん。エミは女のあたしからしても美人だし憧れだけど。……嫉妬しちゃう」

「そっか。ごめん。彼女はヒナコなのに、相沢さんが可愛いって褒めてたらイライラするよな」

「イライラというか。圭麻くんの頭の中にエミが存在してるのが悔しいし空しい」

「わかった。これからはヒナコ以外の女の子の話はしない。約束する」

 ぎゅっと両手を掴み、にっこりと微笑んだ。自然にすずめも笑顔になると、蓮が教室に入ってきた。無口で無表情で、そばにいるすずめや圭麻の方に視線も向けようとしない。他人に興味がなく常に孤独の世界で生きている姿が哀れに思えてくる。

「ヒナコ? 暗い顔してるけど、どうしたの? もしかして蓮に酷いことされたの?」

 そっと圭麻が囁き、すずめも即答した。

「酷いことなんてされてないよ。ただ、ああやって独りぼっちで過ごしてて、何が楽しいんだろうって……。もっと友だちと遊んだり恋人探してみたり、いろいろとやれることたくさんあるでしょ?」

「まあね。だけど、どういうことを楽しいと感じるかは人それぞれ。蓮は一人が好きで楽しいんだよ」

 ふう、とため息を吐いた。確かに圭麻の言う通りだが、すずめには納得できなかった。




 放課後、帰り道を歩く蓮の背中に声をかけた。

「ねえ、蓮くん。今度の土曜日か日曜日って暇?」

「……何でそんなことが知りたいんだよ」

「いいじゃん。もし暇だったら、一緒にお茶でも飲みに行こうよ。あたしが奢ってあげる」

「悪いけど断る。それに天内にバレたら大変だろ」

「圭麻くんには、ちゃんと説明してからいくよ。こっそりじゃなければ、別に気にならないでしょ」

「本当、お前ってしつこい奴だな。もし喫茶店に行きたいなら彼氏誘えよ。俺は勉強で忙しいんだ」

「その勉強って何? 必ずやらないといけないものなの? それをするといいことがあるの? どういう内容なのか、詳しく教えてよ」

「教えてもお前には無理だ。いいことがあるってわけでもないけど、俺には大事な勉強なんだよ」

「ふうん。将来の夢に関わってるから?」

 将来の夢という言葉に驚いたようだ。蓮は目を大きくした。

「……将来の夢なんか決まってない」

「じゃあ、徹夜してまで勉強してる意味がわからない。一体何のために勉強してるの? ただの暇つぶしとは思えないし。自分の夢を叶えたいから努力してるんじゃないの?」

 ぐいぐいと聞いてみたが、蓮は首を横に振って歩いて行った。なぜ自分の気持ちを教えてくれないのかと、残念な思いでいっぱいになる。結局、蓮との喫茶店には行けず、圭麻に電話をかけると「絶対に行くっ」と喜んでもらえた。

「そうだ。さっき有那からメールが送られてきてね。お腹に赤ちゃんがいるんだって」

「えっ? 妊娠?」

「うん。流那に弟か妹ができるんだ。俺も嬉しい。まだ全然お腹大きくないみたいだけど」

「いいなあ。あたしも早く子供産んでみたいー」

「死ぬほど痛いって有那が笑ってたけどね。それ聞いて、俺ぞわぞわしちゃった」

「まあね。でも、みんなそうやってお母さんになるんだもんね。あたしもお母さんって呼ばれる人になりたい」

「なら、結婚する前に子供産む? できちゃった結婚ってやつ」

 はっとして携帯を取り落としそうになった。そういえば自分が結婚し子供を産む相手は圭麻なのだと、すっかり忘れていた。

「圭麻くんに任せるよ。どっちがいい?」

「産むのはヒナコなんだから、ヒナコが決めるべきだよ」

「それはそうだけど。……あたしは、結婚して二年くらい経ってからが理想かな」

「そうだね。まずは落ち着いて暮らせるように、が大事だよね。俺が仕事に就いてヒナコも家事ができるようになって、それから子供だよね」

「うん。年齢も若すぎると苦労するだろうし」

「わかった。できちゃった結婚はなし。とりあえず、自分たちの赤ちゃんじゃなくて有那の赤ちゃんを抱っこさせてもらおう」

 意外にもあっさりとした態度だったため、どきどきと高鳴っていた鼓動がゆっくりになった。完全にヒナコは俺のものになると安心していると伝わった。結婚し、子供が産まれ、愛しい家族とともに人生を歩んでいくと確信している。だが、すずめはほんの少し心の中にノイズが走っていた。本当に圭麻でいいのかという疑問。この人と結ばれても自分は幸せになるのだろうか。結婚したら簡単に別れられなくなる。いつかストレスで頭が爆発しないか。

「それじゃ、また明日」

 柔らかな圭麻の声には、迷いも悩みも混ざっていない。「また明日ね」とすずめも即答し電話を切った。

「……有那さん、妊娠したんだ」

 女として、子供を産むのはとてつもない喜びだ。出産は女しかできない。もちろん子供がいなかったら不幸というわけでもない。独身でも楽しく暮らしている人はいるし、二人だけで幸せを掴む夫婦だっている。幸せの形はそれぞれ違うのだ。

「あたしは、圭麻くんとの子供を産むんだな。産めるのかな? あたしに子供を産む勇気はあるのかな?」

 死ぬほど痛いのはどれほどの辛さなのかと、すずめも全身が震えた。可愛いわが子を抱きしめるには、恐ろしい目に遭わなくてはいけないのだ。両親に甘えて友人にも恵まれ何の苦労もせずにやってきたすずめが、いきなり出産などできるだろうか。もちろん、まだ結婚もしていないのだから今焦っても仕方がない。圭麻も待ってくれると話していたし、まずはしっかりと家事がこなせるように努力する方が先だ。ありがたいことに圭麻は家事が得意な男子なため、すずめが困っていたら助けてくれるだろう。二人で無理だったら有那にも頼って、みんなと一緒に解決していけばいい。

 天内家はとても優しく暖かな心を持っているのはすでに知っている。それなのに、なぜ圭麻と結ばれることに素直に喜べないのだろう。あんなに可愛がられ愛されていたら誰でも幸せと感じるに決まっている。イケメンな王子様ですずめも大好きなのに。

 ぼんやりと天井を眺めていると携帯が鳴った。はっとして出ると、柚希の声が聞こえてきた。

「あれ? 柚希くん?」

「こんな時間にごめんね。すずめちゃん、天内くんが彼氏になってよかったね。意識を失うほど泣かせて俺も自己嫌悪に陥ってたんだけど、天内くんに救われたよ。本当に傷つけてごめん。そしておめでとう」

「あ、ありがとう。でもまだ恋人で、結婚したわけじゃないよ。これからどうなるかはわからないよ」

「いやいや。きっと周りから羨ましがられるくらいの二人になるはず。結婚式は、俺も招待してほしい」

「もちろん、必ず呼ぶよ。お母さんと桃花ちゃんは呼びたくないけど」

「そうだね。せっかくの式をめちゃくちゃにされたら、俺もさすがに暴れちゃう」

「柚希くんが暴れてるところなんて想像できないや」

 ははは、と軽く笑いながら、額には冷や汗が滲む。これ以上続けられそうになかったため「疲れてるから、もう切るね」と短く言って会話を終わらせた。

 完全に、すずめと圭麻は結婚すると見られている。つまり蓮と縁を切るのも確実なのだと、胸の中に黒い鉛が浮かんだ。

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