一〇三話
圭麻との会話もあり、授業中は蓮の横顔をちらちらと見ていた。蓮が大学生になったら、外科医なったらどれほどかっこよくなるのだろうと妄想していた。しかし放課後になり帰り道を歩いていると、じろりと睨まれてしまった。
「他人の顔じろじろ見るのって失礼だぞ」
「別にいいじゃない。すぐとなりにいるから、ついつい目が動いちゃうんだよ」
「それに、お前は天内の彼女なんだぞ。俺と仲良くしたいって考えてないか?」
痛いところを突かれて、くっと口を閉じた。やはり、と呆れた表情で蓮はため息を吐いた。
「どっちかにしろって言っただろ。また同じように悩んでるのかよ」
「だって……。蓮くんと離れ離れになりたくない……」
「どうして離れ離れになりたくないんだよ。天内は真壁と違って嫉妬深い性格だから、完全に縁を切るまで疑い続けるぞ」
「え……縁を切るまで? あたし、蓮くんと縁も切らなきゃいけないの?」
「そうだ。まあ、卒業すれば嫌でも離れ離れになるけどな」
がっくりと項垂れた。柚希と一緒で、圭麻を手にしたら蓮を失う。どちらも手に入れることは不可能なのだ。
「ということで、あんまり俺に近寄ろうとするなよ。お前の恋人は天内なんだから」
冷たい声で、心の中に大きな穴が開いた。寂しさと悲しさで胸がいっぱいになる。だが、蓮の言う通り圭麻は疑い始めたら止まらなくなる。愛しているすずめさえ傷つけて、いきなり我に返る。もう二度とこんなことしないと泣いて謝るが、やはり嫉妬の炎は消えない。本当に、これさえなければ素晴らしい王子様なのに。
「……こっそり会ったりはできない?」
ふと口から言葉が漏れる。圭麻のいない場所なら、きっと蓮とも付き合っていけるはずだ。淡い期待を抱いていたが、蓮は首を横に振った。
「無理に決まってるだろ。あいつと結婚したら朝から晩まであいつのそばにいて、俺に会いに行く暇なんかない。お前も家事で忙しくなるし子供が産まれたら育児で大変だろ。それなのに、俺とこっそり会うなんて、まるで不倫してるみたいじゃないか」
「ふ、不倫なんかするつもりは……」
「お前が不倫するつもりじゃなくても、周りからはそう見られるんだよ。真壁に別れようって言われたのも、お前が圭麻くん圭麻くんって話してるのが嫌だったからじゃないのか?」
返す言葉を失ってしまった。確かに結婚したら毎日圭麻のそばにいるし、出産したら子育てで親友のエミにさえ会えない。子供が成長すれば少しは暇もできるかもしれないが、母が父以外の男とこっそり会っていたら、自分は愛されていないと我が子を悲しませてしまう。他に好きな人がいるのか。すでにもう一つの家庭ができているのか。大事な子供の人生を暗くしてはいけない。
「もうわかっただろ。お前は俺と完全に縁を切るんだ。俺だけじゃない。真壁とも仲良くするな。みんなと繋がっていられるのは不可能だって、ずっと前から話してるだろ。まあ、卒業すれば離れ離れだけど」
「あたしは、蓮くんに独りになってほしくないの」
慌てて言うと、蓮の目が大きくなった。
「独りになってほしくない?」
「このままじゃ、絶対に蓮くん友だちも恋人も作れないよ。そんなの虚しすぎる。蓮くんに幸せな人生を歩んでもらいたい」
「お前に心配されなくても、ちゃんと一人で幸せを掴み取るから。ほしくなったら友人も恋人も探しに行くし」
「で、でも……」
「しつこいな。しつこい女が一番嫌われるぞ。最近は徹夜で勉強してるから、寝不足で頭が痛い。いい加減にしてくれ」
面倒くさそうに蓮は手を振り、さっさとその場から立ち去った。取り残されたすずめは、しばらくそこに石のように立ち尽くしていた。蓮と縁を切らなくてはいけないという事実が、あまりにもショックだった。ここまで頑張って距離を縮められたのに。全て水の泡……。
「そんな……。そんなのないよ……」
呟きながら、家に向かってとぼとぼと歩く。とりあえず高校を卒業するまでは一緒にいられそうだが、卒業したら声だって聞こえない。いつも圭麻に笑顔を見せて、圭麻の顔に泥を塗らないように気を付けて過ごしていく。愚痴や不満は胸の中に溜め、ストレス発散できないまま愛し愛されて生きていく。果たして、それはすずめが望んでいた夢だろうか。圭麻は大好きだし憧れの王子様だが、たまに暴走すると取り返しのつかない厄介な性格を持っている。結婚すれば嫉妬や疑いも減ると思うが、感情の起伏が激しい圭麻と永く付き合っていけるだろうか。
部屋に入り、ベッドの上でうつ伏せに寝っ転がる。もしかして自分の彼氏は柚希でも圭麻でもなかったのではないかとぼんやり考えていた。しばらくすると携帯が鳴った。誰とも話をしたくなかったが、一人で落ち込んでいても仕方ない。耳に当てると、エミの弱々しい声がした。
「すずめ、大丈夫?」
「大丈夫って?」
「柚希と別れちゃったんでしょ? 天内くんが教えてくれたの」
「え? そうなの?」
「今日、やけに天内くんがすずめと仲良くしてて、あたし怒っちゃったの。すずめには柚希という彼氏がいるんだから、イチャイチャしないでよって。そうしたら、すでに別れて今は俺が彼氏なんだよって」
エミの優しい思いに、自然に笑顔になった。明るい口調で、すずめも即答した。
「うん。実は。柚希くんのお母さんって、めちゃくちゃ厳しいんだ。隠れてお付き合いしてたんだけどバレちゃってね」
「お母さん? お母さんに別れろって言われたの?」
「そう。もし別れなかったら酷い目に遭うかもしれないって柚希くんが不安になって。すぐに別れようって決めた」
「じゃあ、柚希に嫌われたり喧嘩したりして別れたわけじゃないのね」
「柚希くんは、結婚も出産もしようねって笑ってたよ。お母さんにバレなければ、まだ恋人のままだったよ。今は、仲良しの友だちって関係」
「そっか。安心したよ。まあ、柚希がすずめに冷たいこと言わないはずだし、何か理由があるとは思ってたけどね。しかし、柚希も厳しい母親がいて大変だね」
「それより……。ごめんね、エミ」
「え? ごめんって?」
無意識に俯いた。どきどきと緊張が走る。
「あたし、エミに失礼な態度とってたでしょ? 柚希くんと恋人同士になっておめでとうって言ってくれたのに、迷惑だとか。本当にごめん。あたし、いろいろと間違えてた」
ぎゅっと目をつぶった。謝っても許されないことをしてしまった。しかしエミは柔らかい口調で即答した。
「そんなの気にしなくていいよ。それに、あたしたちって家族みたいなものじゃん。失礼だな、なんて思わないし、どんどん迷惑かけてもかまわないよ?」
「……エミ……。や、優しすぎるよ……」
ぽろぽろと涙が溢れる。もしかしたら嫌われてしまったかもしれないという不安が一瞬で消えていった。
「泣かないでよー。全く、すずめは泣き虫だねえ」
「だ……だって……。エミから、あんたなんか親友じゃないって言われそうで……」
「あたしは、すずめを妹だって思ってるの。妹にどんな態度とられても、嫌いになったりしないでしょ?
困ったことがあれば、いつだって相談してほしい。いつかあたしも恋人ができたら、相談に乗ってもらいたいな」
「もちろん。持ちつ持たれつだもんね」
「ありがとう。とりあえず安心できてよかった。じゃあ、これからは天内くんとラブラブだね」
「う、うん。そうだね」
しっかりと答えたが、なぜか額に冷や汗が滲んだ。圭麻とラブラブカップルになれるだろうかと、さっと焦りが生まれた。エミはすぐに電話を切り、すずめはまたベッドに寝っ転がった。
圭麻には蛇女はいないが、そもそも圭麻自身が少し厄介な性格なので、怒らせないように気を付けなくてはいけない。暴走したら誰にも止められないため、ちょっとでも不快になりそうな行動はとってはならない。圭麻の嫉妬の炎は、一度燃え上がったらなかなか消えないものなのだ。
「そして……。蓮くんとは縁を切るのか……」
はあ、とため息を吐いた。自分が本当に望んでいた未来は、圭麻と結ばれ蓮と離れ離れになる未来だったのかと疑問が生まれた。




