一〇二話
柚希と別れたこと、圭麻から聞いたこと、そして次は圭麻と付き合うことになったと蓮に電話で伝えると、低い声が返ってきた。
「真壁と別れたから、今度は天内の彼女?」
「うん。圭麻くんとはこれまでも仲良くしてるし、とても頼りがいがあるからほっとしてるの」
「お前って、酷い性格だよな」
冷たい口調に、むっとしてすずめも言い返す。
「なによ。どうして酷い性格なのよ?」
「考えてみろよ。お前が失恋して泣いている時、真壁が新しい彼女と笑って歩いてたら気分悪すぎだろ。もう次の相手見つけたのかよ。自分はこんなに泣いて傷ついてるのにってならないか?」
全くもってその通りだったため、返す言葉を失った。ただ柚希は、すずめと圭麻が仲良くしているのを知っているし、別に空しい思いはしないのではないかと考えていた。
「真壁は何て言ってた?」
「まだ柚希くんには教えてないよ。圭麻くんが後で伝えておくって話してたから」
「ふうん。あいつ、どう感じるんだろうな」
ぎくりとして冷や汗が流れる。柚希と恋人同士になれば圭麻が傷つき、圭麻と恋人同士になれば柚希が傷つく。どちらも手には入れられない。
「これだから恋愛って怖いよな。恋人なんか作っても意味ないんだよ」
そして一方的に切られてしまった。携帯を握りしめたまま、蓮の言葉を繰り返す。
「酷い性格……。あたしって、酷い性格なんだ……」
いつも気づかないところで誰かを苦しめている。そして苦しめているのを知らずに、自分は幸せに生きている。蓮に注意されなかったら、みんなが楽しく過ごしていると勘違いしたままだ。
「……しかし、蓮くんって他人のことよく見てるんだなあ」
友人が一人もいないのに、相手の気持ちや思いを理解している。もしかしたら、すずめよりもわかっているかもしれない。無口で無表情で、どうしようもないだめ人間みたいだが、根は優しくたまに笑ったりもする。ただ、距離を縮めるのはとても難しくて時間がかかる。すずめも、たくさん泣いたり悩んだりしながら頑張って、ここまでやってきたのだ。
「酷い……性格……」
しょんぼりと俯いていると、携帯が鳴った。ゆっくりと耳に当てると圭麻の声が飛び込んできた。
「ヒナコ、柚希に教えたよ。よかったって喜んでた」
「喜んでた?」
「ヒナコが泣いてる姿なんか見たくないし、どうか二人で幸せを掴み取ってくれって。どうやら俺たちが恋人同士になるのを望んでたみたいだよ」
「そうなの? あたし、悲しんでるんじゃないかなって心配してたの」
「悲しんでる? どうして?」
つい先ほどの蓮の話を全て言うと、圭麻は即答した。
「蓮って、ヒナコを不安にさせるの大好きだよな」
「え?」
「そうやって、あえて意地悪なこと聞かせて、ヒナコを奈落の底に陥れるんだよ。悪魔のささやきっていうか。とにかくヒナコに対して冷たすぎるんだよな」
「だけど、けっこう当たってたりするよ?」
「いや。まぎれもない、いじめだね。俺はそう思う。だって、ヒナコは酷い性格じゃないだろ?」
愛しい彼女を傷つける蓮がイラつくのか、圭麻は少し興奮気味だった。
「……それって、あたしが嫌いだから?」
そっと聞くと、また圭麻は即答した。
「さあ。それは、あいつに直接質問してみないと。絶対に答えないだろうけどね」
「でも、いじめって嫌いだからするんでしょ? 蓮くんは、あたしが気に入らないんだね」
「いいじゃん。別に、あいつに嫌われてようが。俺たちには無関係なんだし」
明るい口調で圭麻が言ったが、すずめはがっくりと項垂れていた。口には出せなかったが、圭麻の彼女になっても蓮と仲良くしたかった。柚希の時と同じく、どちらもほしいと思っていたのだ。蓮を捨てることなどできない。手に入れられないのはわかっていたが、それでも離れ離れになりたくない。特に蓮は、すずめにとってかけがえのない存在でもある。今までの努力が水の泡になってしまうのは……。
「ヒナコっ」
大きな声に、びくっと体が震えた。
「え? な、なに?」
「急に黙って。どうしたんだよ?」
「いや……。ぼうっとしちゃったの。大丈夫だよ」
「疲れてるなら、もう切るよ。遠慮しないで教えてくれよ」
「そ、そうだね。ごめん。じゃあまた明日ね」
短く答えて、すずめも電話を切った。
柚希が喜んでくれたのは安心したが、次は蓮について悩みが生まれてしまった。圭麻の彼女になったので蓮と別れなくてはいけないのだが、絶対にそんなことはできないと確信した。圭麻は優しいし、すずめを心の底から愛しているが、愚痴を吐いたり不満をつらつらと述べたり、要するに汚い姿を見せられない。そういう裏の顔を晒せるのは蓮のみで、柚希と圭麻には美しい姿でいなくてはいけないのだ。なぜ蓮には晒せるのかはわからないが、とにかくあの二人の前では綺麗なすずめを演じる必要がある。ストレス発散をしなければ、きっと頭がおかしくなるだろう。だから蓮を失うわけにはいかない。
「……どうしたらいいんだろう……」
ベッドの上でいろいろと考えていると、いつの間にか眠りについていた。
翌日は、あまりすっきりとしない天気で、少し頭が痛かった。しかし勉強が遅れるのはまずいので、自分を奮い立たせて学校に向かった。教室に入ると、すぐに圭麻に話しかけられた。
「おはよう。ずいぶんと暗い顔してるね? 具合が悪いの?」
「ちょっと寝不足……。最近、しっかりと眠れないの」
「もしかして枕が合わないんじゃない? 新しい枕買ったら? 探しに行くの付き合うよ」
「枕は関係ないよ。ただ、その……受験があるじゃない」
「受験ね。俺もまだ志望校決めてないや。どうしようかな?」
「大学には行かないで就活するって人もいるし。そういえば、圭麻くんの将来の夢って何?」
ふと気になった。柚希は父の会社を継ぐと話していたが、圭麻も父と同じ会社に勤めるのだろうか。
「将来の夢か。しっかりと考えたことないなあ。とりあえず、ヒナコと結婚できれば」
「あたしも曖昧なの。幸せだなって笑って過ごせたらって、それだけ」
「この後どんな出来事が起きるかわからないし、もし何かになりたいって願ってたのになれなかったらショックで立ち直れなくなりそう」
「だから柚希くんってすごいよね。お父さんの跡を継ぐって努力してて……。本当に尊敬しちゃう」
まだ別れた柚希が頭の中に残っているのかと、圭麻は少し不快そうな表情をした。彼氏の前で他の男の話をしてはいけないと、すずめも反省した。
「ところで、蓮って夢はあるのかな?」
「蓮くん?」
「うん。ヒナコ、教えてもらったことないの?」
「ないよ。あっ、でも謎の勉強をしてる」
「謎の勉強? どんな?」
「わからないけど、すごく難しい勉強なんだって。頭がいい蓮くんでも大変みたい」
「へえ……。学校で習うような内容じゃないのかな」
「うん。もしかして将来の夢が決まったから勉強始めたのかもしれない。暇つぶしって感じは全くしなかったし」
「ふうん。蓮は他人と関わるの苦手だから、あんまりしゃべらない一人で黙々とやる仕事がいいね」
「あたしは医者になったら? って話したの。蓮くんのお父さんは外科医だし、せっかく医者の息子なんだから外科医になったらどうって。だけど、手術に失敗して死んだら恨まれるとか、俺が医者になれると思うかとか、ネガティブな返事ばっかり。あたしもそうだねって答えたけど、未だに蓮くんは外科医になるべきって信じてるよ」
「外科医か。確かに外科医なら、周りと余計なおしゃべりはしないし無口でも大丈夫そうだな。ヒナコの言う通り、外科医がぴったりだね」
「でしょ? もしかしたら凄腕の外科医になれるかもしれないじゃない。死ぬとか恨まれるとか怖がってちゃだめだよね」
ぐっと拳を固めると、蓮が教室に入ってきた。席に着きイヤホンを外す。まさか自分の将来について二人が話し合っているとは思っていないだろう。しかし本当に蓮は外科医に向いている。
「ところで、外科医になるのってどうすればいいの?」
こっそりと圭麻に囁くと、うーんと首を傾げてから答えた。
「まずは医大に入学しないと。その後、研修医になって実際に働く……みたいな……」
「研修医って何?」
「医者の卵ってイメージかな。俺も詳しくは知らないから、気になるならネットで調べて」
「ごめん。そうだよね。圭麻くんに聞いてもしょうがないよね」
苦笑しながら話すと担任が現れた。ばらばらに散っていた生徒は着席し、いつもの学校生活が始まった。




