第六章 巡り巡って 1
自分の想いを自覚したシーナは、カインが大人しくシーナに抱かれている今がチャンスとばかりに畳み掛けることに決めた。
優しくカインの髪を手櫛で梳ながら、さらに優しい声音を意識して問いかけた。
「カイン様。それで、あの女性とはどういったご関係なのですか?ぜひ教えていただきたいです。それに、カイン様の背負っている苦しさを私にも背負わせてください。一人では重たい荷物でも、二人なら少しは軽くなるはずです」
そう言って、カインの暗い金眼を覗き込むように視線を合わせた。
カインは、一瞬ビクリと怯えたような色を瞳に宿したが、深く息を吐いた後に覚悟を決めた強い意志のこもった瞳でシーナを見つめ返したのだった。
そして、カインはゆっくりと懺悔するかの様に語った。
「あの女は、イシュタルという。俺が15歳の時に結婚するはずだった人の妹だ」
シーナは、何も言わずにカインの言葉に頷くだけだったが、カインを見つめる瞳には彼をいたわるような慈愛に満ちた瞳をしていた。
「もうすぐ結婚式という時に事件は起きた。婚約者のイシュミールは、領地に一時里帰りをしていた。その領地から王都に帰ってくる時に、イシュタルの企みのせいで全てが狂ったんだ。俺は、イシュミールに危険が迫っているという知らせを受けて、王都を出た。それこそがあの女の思惑だった。あの女は、魅了眼という、特殊な瞳を持っていた。その力で今まで両親や、領地の使用人たちを操っていたんだ。だが、あまり知られていないが王都には魔術を阻害する結界が張られていた。だからなのだろう、俺は王都の外に呼び出される形でその罠にまんまと嵌った。そして、あの女の事をイシュミールだと思うように、イシュミールをあの女だと思うように意識を操られた。そして、気が付いた時には、イシュミールは俺の前から消えてしまっていた。それからは、何もかもどうでも良かった」
そう言って、カインは深くうなだれた。シーナは、何も言わずにカインの背中に手を当てて冷え切っているカインに少しでも暖かさが伝わるようにと寄り添って話を聞いた。
「だが、俺は真実を知ることに決めた。そして、あの女を拘束し地下室に閉じ込めた。当時、魅了眼の事は知らなかったから、自力でその事を調べたさ……。そして……俺はあの女の力を封じるために両目を薬品を使って潰した。その後は、あの女に刑を与えようと思ったが、その前にすべきことがあった。あの力は危険すぎるんだ。人の心を操れる力なんてあってはならない……。だから、そういった力を持った者を見つけるための方法と、見つかった時にその力を封じる手段を探した。そのために、あの女を生かしてその血を採取しある場所で研究するように依頼した。そんな訳で、あの女のことはお前の誤解だ」
そう言ってカインは、少し肩の荷が降りたとでも言ったような顔でシーナを見つめた。
その話を聞いて、シーナが最初に考えたことがあった。
(そっか、あの時イシュミールを睨みつけていたのは、イシュタルの力で操られていたからなんだ……。良かった。カイン様が、あんなに好きだったイシュミールのこと分からないなんてずっとおかしいって思っていたんだよね。そっか、イシュタルはそんな力があったんだ……)
カインが、イシュミールの事を見間違えていたのではないと知ったシーナは、心の中にあった閊えが無くなっていくのを感じた。
そして、カインの話を聞いたシーナは、未だに身動きも儘ならないイシュタルに視線を向けた。
イシュタルは、カインに殴られてボロボロだった。何故か、その姿と幼い頃に縫い包みを欲しがったときの姿が重なって見えた。
そう感じたシーナは、自然と体が動いていた。
カインは、シーナの行動を止めようとしたが、それを首を振って拒否した。
床に突っ伏して蹲るイシュタルに近づいて、その身を起こしてから腫れ上がり血と涙と鼻水で汚れているその顔を拭ったのだ。
優しく丁寧に、顔の汚れを拭った。
唇と瞼は切れていて、鼻は折れているのか変な方に曲がっていた。鼻血も止まらずに流れ続けていた。その痛々しい姿に、泣きたい気持ちになったシーナは、自然に言葉が出た。
「今は、血を拭うくらいしか出来なくてごめんね」
その言葉は、とても小さな声だった。
しかし、イシュタルには聞こえていたようだった。
イシュタルは、歯を見せるようなニコッとした幼い笑顔でシーナに微笑んだ。
その笑顔は、顔は腫れ上がり、鼻も曲がっていて、前歯も何本か折れていたが縫い包み上げた時に見せた、花のような笑顔にとても良く似ていた。
とても無邪気で、幼い笑顔だった。
その表情は、懐かしさと同時に痛々しさをシーナに感じさせた。
シーナが、少し困ったような表情でイシュタルの頭を撫でた。
すると、イシュタルはシーナにだけ聞こえるような小さな声で言った。
「姉様ありがとう。でも、姉様はもういないって……。ありがとう、さようなら」
そう言って、よろよろと立ち上がり部屋に入っていった。
シーナはそれをただ見送った。
イシュタルは、部屋に入ったあとに床に放り出されていた縫い包みを見つけ出してそれを抱きしめた。
その縫い包みの匂いを思いっきり吸い込んだ後に、テーブルに置いたままになっていた蝋燭に手を伸ばした。
イシュタルが手を伸ばすと、指先が蝋燭に当たった。蝋燭は、簡単に燭台からぐらりと傾きイシュタルの抱いていた縫い包みに当たった。
イシュタルの抱いていた縫い包みは、簡単に蝋燭の火が移り、勢いよく燃え上がった。
燃え上がる縫い包みを決して離そうとはしないイシュタルにも、その火は燃え移っていった。
そんな思いも寄らない一瞬の出来事にシーナとカインはただ見ていることしか出来なかった。
しかし、ミュルエナだけは違っていた。
イシュタルが、蝋燭に近づいた時にミュルエナもイシュタルの側まで動いていたのだ。
倒れた蝋燭は、何故か石で出来た地下の床も燃やし始め、部屋にあるベッドや簡素な家具も燃えだした。
気が付くと、イシュタルとミュルエナの居る場所は火に囲まれていた。
呆然としていたシーナとカインは、火の勢いに我に返り声を上げた。
「ミュルエナ!!直ぐにこっちに来い!!このくらいの炎だったら、お前は超えられるだろう!!」
「メイドさん!!それに、イシュタルも早くこっちに!!」
そう言って、まだ火の手が周っていない自分たちの方に逃げるように必死に声を掛けた。
しかし、ミュルエナは首を振ったのだ。
「あ~、あたしのことはいいので、旦那様は、美少女ちゃんを連れて逃げてください。あと、これを!!」
そう言って、カインに何かを投げてよこした。
「おい!!こんな時に馬鹿なことを言ってるな!!それに、これは……?起動キーか?どうしてこんなもの?」
「それはですね~、事前にあたしが仕込んでいた屋敷に設置した魔道具で結界を発動させるためのキーです。このままだと、火事で大変なことになってしまいます。あ~たいへんだ~。というわけで、使用人たちと屋敷の外に出た後に起動してください。もう、酸素だけ通さないように設定は出来ているので~。あたしは、やることがあるのでそれが済んだら直ぐに逃げますよ~。あっ、でもこの女を連れて逃げるのは難しいかも~。でも、自業自得ですよ~、死刑になってもおかしくないことをやらかした女ですからね~」
ミュルエナは、棒読みな感じでそう説明したのだった。
カインは、ミュルエナの考えが分かってしまったため、彼女を怒鳴りつけた。
「下手な言い訳するな!!お前!!全部仕込んでいたんだな!!ミュルエナ!!やめろ、戻ってこい!!」
「無理です。それに、旦那様は準備が整ったといいましたよね?と言うことは、この女の罪を白日の下に晒して、刑を執行しようということですよね?だったら、それをあたしが執行してもいいってもんですよ?そういう訳で、あたしは、やりたいようにしますから。このときのために、あんたと手を組んだんだ。邪魔はさせないよ!!ってことで、早く逃げてくださいね~。じゃないとそのお嬢さんが煙に巻かれちゃいますよ~。ほらほら早く~」
ミュルエナがそう言うのと同時に、ミュルエナとの間にできていた炎の壁は、さらに大きくなっていった。
カインは、小さく舌打ちをしてからシーナの腕を掴んでその場を離れようとした。
まさか、二人を残して行くとは思っていなかったシーナは、そんなカインの行動に抵抗していた。
「カイン様!!駄目、あの人達が!!そうだ、水の魔術で……」
「無理だ。お前がどれほどの魔術が使えるのか知らないが、この炎は普通の水じゃ消えないさ……」
「でも!!」
「もう遅い……。アイツが望んだことだ。俺は、アイツに散々甘えてきた……。このことで俺がアイツを責めることは出来ない。それよりも、お前や、屋敷に居る使用人たちの身の安全のほうが重要だ。行くぞ」
そう言ってカインは、「メイドさん!!イシュタル!!」と言って、抵抗を続けるシーナの口元に自分の上着の裾を当てて煙を吸わせないようにしてから地下室を後にした。
その後の行動は早かった。
使用人たちに、直ぐに屋敷の外に出ることを命じた。
元々、使用人の数は少なかったのが幸いして、避難は比較的早くに終わった。
全員が外に出たことを確認してから、渡された起動キーを使ったのだった。
ドゴッンン!!!
カインが、起動キーで結界を展開したと同時に、大きな爆音が上がったのだった。




