第三章 イシュタル 2
イシュタルは、仄暗い欲望をその身に宿した状態で領地で過ごしていたが、とうとうその時が来たのだ。
このチャンスを逃せば、きっと次はないと分かっていいたため先ずは、邪魔な男を始末することに決めた。
この一年、イシュタルは何故王都で自分の力が使えなかったのかを調べていた。
その結果、王都には魔法が使えないように要所要所に結界が張られていることが分かった。
ならばと、邪魔な男を結界の外におびき出すまでだと考えたのだ。
そして、最初に大切なイシュミールに付き纏う邪魔な騎士からと考えてイシュミールを領地に呼び戻すことにした。
病気を装い、優しい姉を領地に呼び戻したのだ。
そして、邪魔な騎士に力を使って意のままにしようとした。
しかし、結果は失敗だった。
理由はわからなかったが、何故か騎士にはイシュタルの力が効かなかったのだ。一緒に王都から来ていた騎士たちにはきちんと術は掛かったのだ。何故かカーシュだけが術に掛からなかった。
イシュタルは知らかなったが、カーシュは精霊眼を持ってはいなかったが精霊の加護を多少ではあるが受けていたため、魅了が効かなかったのだ。
しかし、そんな事を知らないイシュタルは、魅了が効かないカーシュが邪魔で仕方がなかった。
だから、カーシュを王都に帰る前に葬ることに決めた。
初めの予定では、領地で姉を拘束しイシュミールに成り代わったイシュタルが王都に向かってカインを貶める予定だった。
しかし、カーシュが言うことを聞かない以上計画を実行することは出来なかった。大幅に予定が狂ったことにイシュタルは歯噛みした。
しかし、ここでイシュタルは悪魔的な閃きが脳裏を過ったのだ。
自分の名案に気を良くしたイシュタルは、ここ数年で一番の楽しい時を領地で過ごした。
運は全てイシュタルに味方した。
丁度いいことに、王都に後少しの距離で休息を取ることになったのだ。
イシュタルは、笑いを堪えるのに必死だった。
カーシュが自分で自分の首を絞める選択をしたことに、イシュタルは笑いを止めるのが大変だった。
のんびりと休むイシュミールを見て、イシュタルは後もう少しで愛しい姉の全てがこの手に入ると思うと上機嫌になった。
だから、計画を実行すべく動いた。
騎士たちを労うとイシュミールに言って、その場を離れた。
カインが付けた騎士たちは全員が、イシュタルの虜だった。さらに、前日に泊まった街で、腕の立ちそうな男を数人虜にして、少し距離を空けた状態で追従させていた。
イシュタルは、一人の騎士にだけ別のお願いをしてから、残りの騎士にイシュミールを捕えるように命じた。もし、イシュミールが抵抗するようなら殺してもいいとも命じた。
カーシュは、絶対に殺すようにと命じた。
お願いをされた騎士たちは一斉に動いた。
カーシュは、異変にすぐ気づき応戦したが、イシュタルから見てもとても甘い男だった。
向かってくる騎士たちを殺せば簡単に片付くのに、殺さずに無力化をしていたのだ。
しかし、その甘さがイシュタルの計画を成功に近づけた。カーシュが全員を殺していたら、きっとイシュタルの計画は失敗していたのだ。
それくらいの力量の違いがカーシュと騎士たちとの間にあったのだ。
だが、カーシュの甘さのおかげで後を追わせていた男たちの奇襲も成功した。
ゆっくりと後を追いながら、カーシュがボロボロになっていく姿を想像したイシュタルは、興奮を抑えることが出来なかった。
地面に点々と残る血痕に、イシュタルは笑いが止まらなかった。
(くすくす、もうすぐあの邪魔なゴミが死ぬのね。あぁ、こんなに血を流して。もう助からないわね)
そんな事を思いながら歩いていると、イシュミールとカーシュの逃げた場所を探しだした男がイシュタルの元にやってきた。
男の案内で、その場所に向かうと驚いた表情の愛おしいイシュミールと、今にでも死にそうな顔色のカーシュがいた。
イシュタルは、歓喜した。
運命は、自分に味方したのだと。
イシュミールが死んでしまえば、亡骸ごと自分のものに出来ると考えた。もし生きていたのなら、生きたまま自分のものに出来ると。
イシュタルの心は、狂気に満ちていた。
死んでしまえばそれまでなのに、死んでしまっていたとしてもそばに居て欲しいと。否、生き死になど関係なかったのだ。
只々、側に居て欲しかったのだ。
もう冷静な判断など出来ない状態だったのだ。
だから、死んでしまっても側にさえ居てくれればいいと思ったのだ。
イシュミールの姿を見るまでは。
仄暗い思いを抱いたイシュタルは、驚いた表情で話しかけるイシュミールに優しく話しかけた。
「イシュタル!!無事だったのね!!良かった。怪我は―――」
こんな時であっても優しいイシュミールの言葉に心が安らいだ。
「イシュタル?ねぇ、その人達は?」
何も疑うことを知らない、無垢なイシュミールの心を壊してやりたいという凶暴な思いがイシュタルの心を支配した。
だから、イシュミールには聞かせたことのないような冷たい声音で聞かせるように敢えて言った。
「まぁ、姉様。無事だったんですね。あーよかった。そうなるとシナリオ通り、姉様には、わたくしとして生きてもらいますわね。貴方はわたくしの言うことを聞かないからいらないわ」
困惑するイシュミールの表情に心が歓喜した。姉が自分を見ている。自分だけを見ていると。そして、困惑するイシュミールの心は誰でもない、イシュタルで埋め尽くされているという喜びで心が満たされた。
「あの男を殺して。わたくしの大切な姉様に馴れ馴れしくしていて、本当に嫌いだったのよね。わたくしの力も何故か効かなかったし」
だから、殊更冷たい声音で男たちに命じた。
もしこれで、イシュミールが産まれて初めて抱く憎しみという感情を自分に向けてくれるのであれば、その瞬間イシュミールの心は黒く塗りつぶされて、イシュタルでその心が埋め尽くされると。
その事を考えると、イシュタルは喜びで体が震えた。
そんな事を考えている間に、カーシュがゴミ屑のように死んでいたのが目に入った。
泣き叫ぶイシュミールの声音は何と甘美な甘さを含んでいるのだろうと、暗い喜びに浸っていたイシュタルは遅まきながらに気がついたのだ。
愛おしい姉の腕が肘から下で無くなっていたことに。
「!!姉様、その腕……」
姉の腕は、ただ斬られただけではなくきちんと処置をされていた。
しかも、失った先は無残にも地面に残されていた。
そのことから、イシュミールの腕を切断し、処置をしたのが目の前に横たわるカーシュなのだと気が付いたのだ。
感情が爆発したように、イシュタルは、既に事切れているカーシュの体を何度も何度も蹴り飛ばして呪いの言葉を吐いた。
「この、畜生風情が!!姉様の腕を切ったのね!!許さない!!呪ってやる!!」
そして、呪いの言葉を吐ききったところで、大切な姉の一部だった腕を愛おし気にその腕に抱きしめた。
姉の体の一部が腕の中にあることに、イシュタルは喜びに震えた。
そして、さらに良いことを思いつたいイシュタルはその思いのままに男に命じたのだ。
「はぁ、これで姉様はわたくしだけのものね。でも、お喋りをされてしまうと困りますね。そうだわ、姉様の喉を潰してくださいな。姉様の可愛らしいお声が聞けなくなることは、残念ですが仕方ありません。それが終わったら、あなた達は用済みなので、お互いに切りあってくださいね」
イシュタルの命令に従った男は、言われるままにイシュミールの喉を潰した。
苦しそうに、カーシュに腕を伸ばす姿に心がどす黒いもの覆われていくのが分かったが、今はそれよりも腕の中の冷たく愛おしい姉の一部の使い道を考えることで心が湧いた。
男たちが全員死んだところで、急に姉の喉を潰した男が憎くなった。
憎悪が溢れるままに、垂れ流した。
「お前のようなゴミが姉様の喉を潰したなんて!!許せない……、お前など永遠に地獄を彷徨えばいいのよ」
憎悪を吐き出した後、姉の一部の使い道を閃いたイシュタルは、恍惚とした表情でそれを見て言ったのだ。
「うふふ。これで、姉様といつも一緒にいられるのね」




