第三章 イシュタル 1
イシュタルは、暗い部屋の中で必死にイシュミールを探していた。
暗闇の中、何も見えないイシュタルは、床を這い手探りで愛しい姉を探していた。
今のイシュミールは、とても軽くて心配になるほどだった。
床を手探りしながら愛しい姉を探していると、指先に柔らかな感覚があった。
必死にその感覚を手繰り寄せて、腕の中に閉じ込めた。
もう離さないと言わんばかりに、ぎゅっと抱きしめた。
しかし、その腕の中の柔らかさは直ぐに誰かによって引き離された。
イシュタルには、それをおこなったのが誰なのかすぐに分かった。
一番最初にイシュタルから大切な姉を奪っていった憎んでも憎んでも足りないくらいの憎悪を抱いているカインだ。
カインは、イシュタルから姉をまた奪っていった。
腕から離れていった、柔らかく軽いイシュミールにイシュタルは悲鳴を上げた。
そして、必死に離れていったイシュミールを探した。
イシュミールを探しながら、イシュタルは何故か昔を思い出していた。
物心ついた時から、双子の姉に異常な程の執着を持っていた幼少期の頃を。
最初は、些細なことだった。
姉の大切にしていた兎の縫い包みが急に欲しくなったのだ。
姉にそれを言うと、困った表情をしながらもそれを譲ってくれたのだ。
イシュタルは、それが嬉しくてその縫い包みをぎゅっと抱きしめた。
腕の中にある縫い包みからは、微かに姉の匂いがした。
それからだった。
イシュミールのものが異常に欲しくなった。
しかし、それだけではイシュタルは満足できなかった。
次にイシュタルは、姉の世話をしているメイドが欲しくなった。
メイドを自分専用に変えてもらったが、縫い包みを貰ったときのような幸福感は得られなかった。
ただ、いつも人に囲まれていた姉が一人きりになった姿を見て、心がざわつくのがイシュタルには分かった。
そのざわつきの理由を知りたいがために、姉の側にいる人間を遠ざけようとするようになった。
その時に、初めて自分に特殊な力なあることに気がついたのだ。
イシュタルが、相手の瞳をじっと見つめてお願いをすると、お願いされた相手はイシュタルの意のままに動くということに気がついたのだ。
それからは、使用人たちには「姉様に近づかないでほしいの」「姉様の世話をしないでほしいの」「姉様を無視してほしいの」「お願いよ?」そう言って、イシュミールが孤立するように仕向けた。
両親にも「姉様よりも、わたくしを見てほしいの」「姉様は見ないでほしいの」「姉様を無視してほしいの」「お願いよ?」と言って、それまでは姉妹を分け隔てなく可愛がっていた両親とイシュミールを引き離した。
面白いほどに両親も使用人もイシュミールを無視し、無下に扱うようになった。
一人孤立したイシュミールを見ると、心が沸き立つのが分かった。
そこで、イシュタルは本当は姉が嫌いだったのかと自分に問いかけた。
しかし、答えは否だった。
孤立したイシュミールに自分だけが優しく接することのなんて心地の良いことだろうか。
イシュミールが、イシュタルだけを見て、笑って、側に居てくれる。
イシュタルの心は、歓喜に震えた。
(あぁ。姉様を独り占めできるこの幸せ。絶対に手放しはしないわ)
そうして、イシュタルは愛する双子の姉を手に入れた。
つもりになっていた。
15歳の時に、イシュミールに婚約話が来てしまった。
イシュタルは、なんとしてでもそれを白紙にしたかったが王家からの縁談ではいくら言うことを聞いてくれる両親であっても難しかった。
だから、顔合わせの時に王子殿下にもお願いを聞いてもらおうと心に決めた。
しかし、何故か王子殿下、カインにはイシュタルの力は通じなかった。
だが、カインの初恋の相手の話を聞いた時に直ぐにその相手がイシュミールだと気がついたイシュタルは、それが自分だと言わんばかりに嘘を言った。
嬉しいことに、カインもイシュミールもその嘘に気が付かなかった。
そのことで、二人の間は気まずいものとなったことにイシュタルは、心のなかで晴れやかに微笑んだ。
本当は、イシュタルも王都に残りたかったがお願いの力が強すぎたのか、両親はイシュタルとイシュミールを引き離したがり、イシュタルを無理やり領地に連れて帰ったのだった。
離れ離れの間、手紙でのやり取りはあったが、それだけではイシュタルの乾いて飢えた心は満足できなかったのだ。
そんな、離れ離れの間に折角誤解させた二人が、本当は昔に出会っていたということに、とうとう気が付いてしまったのだ。
イシュミールからの手紙で、二人の距離が近くなっているのが分かり、イシュタルの心は荒れた。
そんな荒れた心に波風を立てるように、大切な姉に悪い虫がさらにもう一匹纏わりついてしまった。
社交界デビューの為に、王都に行った時に虫を排除しようとして力を使ったがまたしても力が働かなかった。
さらに、イシュミールを大切そうにするタウンハウスの使用人たちにも力が通じなかった。
王都にいる間、イシュタルはイライラが止まらなかった。
そんな中、社交界デビュー当日のことだった。
姉と一緒に出かけようとしていた所に、カインがのこのこやってきてイシュミールを連れて行ってしまったのだ。
イシュタルは、憎悪の籠もった暗い瞳で去っていくカインの背を見つめた。
会場で見たイシュミールのダンスは、イシュタルの瞳を釘付けにした。
花のような笑顔で、くるくると回る可憐なイシュミールに見惚れたのだ。
その隣りを然も当然だといった様子で付き纏うカインには、殺意しか湧かなかった。
会場にいる男たちにも殺意が湧いた。
可憐で愛らしいイシュミールを嫌らしい目で見る男たちの目を潰してしまいたいと本気で思った。
イライラしつつも、それを表には出さずにやり過ごす。
カインが何を思ったのか、早々とイシュミールを連れて帰ったときは、いつも殺意しか湧かない相手だったが、初めてよくやったと褒めてやりたいと思ったほどだった。
しかし、帰宅後一緒のベットで眠るイシュミールの指にある指輪を見つけた時にカインに対する憎悪が一気に膨れ上がった。
それはイシュタルが、カインに死ぬほどの後悔と屈辱を与えることを心に決めた瞬間だった。




