序章
シーナは、ただ蹲り震えることしか出来なかった。
何も知りたくない、何も聞きたくないと、震える両手で耳を塞いでいても聞こえてくる声に体中が恐怖で動かなくなった。
ここに居ては駄目だと分かっていても、体が言うことを一切聞いてくれなかったのだ。
どうしてこんな事になってしまったのだろうと、シーナは恐怖で今にも意識を失ってしまいそうな、そんな朦朧とする意識の中で思い返していた。
偶然だった。好奇心だった。彼のことを知りたいと思ってしまった。
ただそれだけのはずが、こんなことになるなんて少し前のシーナはまったく知りもしなかったのだ。
そこは、蝋燭の明かりがひとつだけ灯る、とても薄暗い部屋だった。
その部屋には、カインと女性の姿だけがあった。
シーナは、駄目だと思いつつも、ほんの少しだけ開いていた扉の隙間から中の様子を覗き見てしまった。
部屋の中にいる女性は、もの凄く取り乱していた。
そして、何かを探すように必死に床を這い手を伸ばしていた。
「ねぇ、どこにいるの?お願い、わたくしを一人にしないで!!お願い!!」
シーナには、カインの背中しか見えなかったため、そんな取り乱す女性をカインがどんな表情で見ていたのかは分からなかった。
ただ、カインの握った拳が小さく震えていたことだけは、シーナの目にはっきりと見えた。
女性は、その間も床を這い一心不乱に何かを探していた。
そして、カインの足元に落ちていた赤ん坊ほどの大きさの兎の縫い包みを見つけて、それを手元に手繰り寄せた。
その縫い包みをとても大切なもののように、そっと腕の中に抱きしめた。
女性の表情は見えなかったが、聞こえてくる声音から大切なものなのだとシーナには分かった。
「見つけたわ。もう、どこにも行かないでね。わたくしを一人にしないでね?」
女性がそう言って、さらにその縫い包みをぎゅっと抱きしめた。
そして、その女性は大切そうに抱いた縫い包みに向かって言ったのだ。
「姉様。もう、何処にも行かないで。わたくしと、ずっと一緒にいてね?お願いよ?」
その言葉に、シーナは背筋が凍りついた。
(いま……、あの人。ねえさまって……。まって、まって。だめ、そんなこと考えちゃだめ。まさか、そんな……。あの人は、イシュタル?どうして、どうしてなの?領主さま?どうしてここにイシュタルがいるの?まさか、かん…きん……してるの?どうして?領主さま……、カインさま……)
シーナがそんな事を考えていると、カインがイシュタルに掴みかかり拳を振り上げた。
しかし、その拳は振り下ろされることはなく、カインはイシュタルが大切に抱いていた縫い包みを引き剥がし放り投げただけだった。
しかし、縫い包みを取り上げられたイシュタルは、悲鳴を上げた。
「いやーーーーーーー!!姉様!!!姉様は何処!!!いや、嫌よ姉様、姉様ーーーーーーーー!!!!行かないで、わたくしから離れていかないで!!!」
「イシュミールはもういない!!!俺とお前が彼女を殺したんだ!!彼女は死んだんだ!!!」
「姉様はそこにいるわ!!さっきまでわたくしの腕の中にいたわ!!貴方がわたくしからまた奪ったのよ!!姉様を返して!!返せ返せ!!!返してよ!!!姉様、姉様!!!!」
イシュタルの叫び声と、カインの怒鳴り声を聞いたシーナは、その場に蹲り、震えながら耳を塞ぐことしか出来なかったのだ。




