第二章 そのおっさんは死んだ魚のような目をしていた 5
「おっさんじゃない。俺のことはカインと呼べ」
「カインさま?」
「まっ、まさか自分の住んでいるところの領主の名前を知らなかったのか?」
おっさんは、シーナのまさかの反応に引きつった表情をした。
「あぁぁ~。えへへ?」
今まで、関わりのなかった領主の名前を気にしたことはなく、関わりができても雇い主としか思っていなかったので、名前には興味がなかったのだ。
気まずい空気をごまかすように、片目を瞑り少しだけ舌を出して戯けたように笑ってみせた。
カインはごまかされてくれたのか追求はしてこなかった。
シーナは、改めてカインのことを考えた。実はそれとなくそうではないかと思っていたが、やはり領主はイシュミールの婚約者だったあのカインだったのだ。
おっさんの外見から彼が王家の血縁者だと薄々気が付いていた。
しかし、まさか第三王子とは言え、王族が辺境の領主になるなどないと頭から否定していたのだ。だが、名前を知ったことで否定していた考えが確信に変わった。
まさかこの領主が、あのカインだったとは。
夢の中で見ていたよりも大人になり、瞳は死んだ魚のように濁っているが、15歳のカインの名残がなくもない。
シーナは、領主があのカインだと知ってから、どうして領主になったのか、あの死んだような目はどうしてなのか、イシュタルとはどうなったのか気になってしまった。
今までは、前世に全く興味がなく、イシュミールの死からどれだけの時が過ぎたのかなど、全く調べていなかったのだ。
カインは自分の年を30歳と言っていたことから、イシュミールが死んでから一年位で自分たち双子が生まれたのだとシーナは考えた。
しかし、第三王子がどういった経緯でこんな辺境の領地などの領主になったのか理由が全くわからなかった。
それに、領主は独身だと誰かが言っていたことを思い出して、イシュタルがどうなってしまったのかが気になった。
そのことがどうしても気になってしまったシーナは、それとなくを装ってシエテに聞いてみることにした。
「ねぇ、にーに。領主さまはどうして、ここの領主になったのかな?」
シーナの考えていることが分かったのかは分からないが、シエテはどうでも良さそうな表情で吐き捨てるように言った。
「知らない」
「うそ。にーになら調べてるよ」
「知らないし、知りたくもない。興味もない。シーたん?急にどうしたんだ?今まで領主様のことなんて全く興味なかっただろ?」
シーナの心の中を見つめるかのように、シエテはシーナの瞳を見つめた。
その真剣な視線にシーナはまずいと思った。
(あぁ。これってやっぱりにーにの地雷だよね。だって、にーにはカーシュなんだもんね。あんなに大切にしていたイシュミールを助けなかった婚約者なんて関わりたくないよね……。あれ?にーには、イシュミールとイシュタルの存在が入れ代わっていたことは知ってるのかな?)
一人悩みだしたシーナを見たシエテはため息を吐いた。
そして、シーナの柔らかい髪を優しくなでながら言った。
「シーたん。俺は、カーシュが死んだ後の出来事は知らない。ただ、イシュミール様が塔に囚われていたことだけは知っている。でも、領主様がイシュミール様を助けなかったことはわかる。そうだろう?だって、領主様がイシュミール様を助けていたら、シーたんはきっとここにはいないからね。俺は、カーシュの記憶はあるけどカーシュじゃない。お前の兄貴のシエテ・ソルだよ。だから、過去との関係を引きずることはしないし、シーたんにもそうなって欲しくない。だって、イシュミール様が望んだ未来は自由に生きることなんだから、シーたんは過去に縛られる必要はないんだよ」
シエテの見せた真剣な瞳にシーナは何故か目頭が熱くなった。そして自然と涙が溢れた。
「あれ?どうして?私……」
訳も分からずに溢れる涙を拭っても、直ぐに新しい雫が頬を伝った。
懸命に、両手で涙を拭っているとシエテが包み込むように優しく抱きしめてくれた。
何も言わずに、抱きしめて優しく頭をなでてくれるシエテに堪えていた何かが溢れ出した。
シーナは声を上げて泣き出した。
この涙は、イシュミールがあのとき流せなかった涙なのか。それとも、イシュミールよりもシーナを選んでくれたシエテに対しての嬉し涙なのか。シーナには分からなかった。
もしかするとその両方なのかもしれなかった。
結局、カインが何故辺境伯となったのかや、イシュタルのことを聞くことが出来なかったシーナは、泣きつかれて久しぶりにシエテに抱っこされる形で眠りについた。
余談だが、翌日目覚めたシーナは悲鳴を上げてシエテに特大のビンタをしかも往復で見舞わせた。
理由は簡単だ。
シエテは久しぶりに一緒に眠ったシーナの寝顔が可愛すぎて、一睡もせずに一晩中その寝顔を見続けていたのだ。それはもうだらしない表情でだ。
目が覚めた瞬間、そんなだらしない表情のシエテと目が合った瞬間に色々察したシーナは驚きと恥ずかしさと、大泣きして眠ってしまったことへの照れ隠しでとっさにとってしまった行動だった。
その日、両方の頬に小さな紅葉を付けたシエテがウキウキ気分で庭園での作業をしているのに比べて、シーナは頬をぷくっと膨らませて作業をしていた。
いろいろと複雑な気持ちが相俟ってどういった表情をすれば良いのか分からなかったシーナだったが、頬を往復ビンタされたシエテのウキウキ気分を全く隠さない姿に機嫌が急降下してく。
しかし、シエテは「シーたん可愛い~シーたんシーたん」とルンルン気分が天井知らずに昇っていった。
そんな双子のおかしな様子を見ても両親は、「本当にこの子たちは仲良しだな」「ええ、本当に」と、のほほんとした表情で双子を見守ったのだった。




