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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
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愚か者の恋

作者: 楼風
掲載日:2019/03/12

 クロードはリュシエンヌと同い年の幼馴染だ。彼の輝く金の髪は陽光を紡いだよう、緑の瞳はおだやかな森の木陰を思わせる。クロードはリュシエンヌの屋敷に代々仕える家の息子で、幼いころから屋敷に出入りしていた。

 物心がつく前からクロードとリュシエンヌは、リュシエンヌの兄であるジュスタンとともに屋敷や領地の森を駆け回り、泥だらけになっては乳母たちに叱られたり、日向で四季の移ろいを感じながら微睡んだりした。一番元気なのはリュシエンヌで、心根の優しいクロードを引っ張っては遊んでいた。七歳年上の兄は、保護者のようにそんな二人を見守っていた。

 数年前までは、降誕祭の聖劇で双子の天使を演じるのはリュシエンヌとクロードの役目だった。なんと可愛らしい天使だろうかと、家族や周りの人たちは口々に褒めそやした。リュシエンヌはクロードと並んで、はりきって天使役を演じたものだ。

 しかしリュシエンヌももう十五歳、子どもたちが主役の聖劇からは引退し、社交界デビューを控える年ごろの少女となった。クロードも、無邪気に同じベッドで昼寝していたことなど忘れたといわんばかりに、リュシエンヌが話しかけてもかしこまった対応ばかりするようになった。それが令嬢と家人のあるべき姿なのだと乳母たちに諭されても、どこか釈然としない。兄に従って乗馬や狩猟に出かけるクロードの姿勢の良い後ろ姿を、リュシエンヌは屋敷の窓からのぞいてため息をつくばかりだった。報われない恋の苦しみをはやくも知ることとなった。

 なぜクロードがリュシエンヌの眼を見て話さなくなったのか、しかし聡明なリュシエンヌは心得ていた。リュシエンヌが向ける淡い初恋など知らぬといいたげに、クロードの緑の瞳はジュスタンばかりを追いかけていたのだ。一目見て分かるほどに、それは若いゆえに燃え盛る想いだった。

 ()()()()()、クロードはリュシエンヌを憎むようになった。 

 初春の昼下がり、リュシエンヌは兄の部屋を訪ねた。オーク材の執務机に座って、ジュスタンは事務仕事に励んでいるようだった。母譲りの亜麻色の短髪が、陽光にきらめいて見える

「兄さま、刺繡の練習でハンカチーフをつくりましたの。よろしかったら貰ってくださいな」

 イニシャルと春の花々を縫いつけたハンカチーフを、ジュスタンは手にとってしげしげと眺めた。クロードは家具のように部屋の壁際に控えている。私室にわざわざ贈りものを届けに来てくれた妹をねぎらって、ジュスタンは精悍な顔を大きく綻ばせた。

「素晴らしい出来だ、これならどこへ出しても恥ずかしくない立派なマドモワゼルだな。私の花嫁にしても遜色ないよ、モン・プサン(かわいいひよこちゃん)

「もう、冗談ばっかり! それに私は兄さまみたいな堅物じゃなくて、クロードのように優しい方を旦那さまにしたいわ」

 頬をふくらませる妹の様子に眼を細めて、ジュスタンは愉快そうに笑った。父伯爵の片腕として広大な領地を運営する敏腕な男も、妹の前では甘い顔を隠さない。

「素敵なものを貰ったのだから、返礼をしなければならないな。ふむ、エメラルドの首飾りなどどうだ。宮廷での国王謁見の儀に相応しい、とびきりのものを繕ってやろう」

 貴族の子女の社交界デビューは、まず国王陛下の謁見を賜ることからはじまる。国に認められることで子どもたちは紳士淑女となり、社交の場に立つことを許されるのだ。リュシエンヌにとっては今後の人生を左右する、花婿探しの開始ともなる。

「だったらドレスも一緒にほしいわ。腰のラインを強調して、銀のレースとビーズを縫いつけて。色は紺色だと地味かしら、ラピスラズリのように鮮やかな青布を使って・・・・・・」

「おいおい、そう一気にいわれても困る。お母さまとも相談の上で決めねばならないよ、何しろお前の晴れ着なのだから」

 ジュスタンが苦笑いをしたところで、従僕が部屋へ来て来客を告げた。玄関へ向かう兄に随うクロードへ、リュシエンヌは慌てて呼びかけた。

「待って、クロードにもハンカチーフをつくったのよ。あまり良い出来ではないのだけれど・・・・・・」

 差し出された白い絹布を、クロードは温度の感じられない眼で見下ろした。リュシエンヌはクロードが受け取ってくれるのを待ったが、彼はリュシエンヌを見ることもなく無言のまま立ち去った。取り残されたハンカチーフを手に、言葉にできぬ気持ちが胸にわだかまる。リュシエンヌは大人になりきれていない少年の背を見送ることしかできなかった。


 リュシエンヌはクロードに度々話しかけようとしたけれど、クロードは完璧に彼女のことを避けていた。食事の席で、談話室で、遠乗りの途中で、機会はあれどもすべて失敗に終わった。

 じれたリュシエンヌは、夜半にクロードの私室を訪ねることにした。先日受け取ってもらえなかったハンカチーフを押しつけるために、勇み足でクロードの元へ向かう。

 扉の前でノックしようとする寸前、部屋の中から話し声が聞えた。どうやら先客がいるらしい。出直そうかと躊躇していると、突然がたん、と椅子か何かが倒れた音や、言い争うような声がしはじめた。リュシエンヌは廊下の左右をうかがって、跳ねる鼓動を抑えてそっと扉の取っ手に手をかけた。慎重に隙間を開けて部屋の中を覗き込むと、ジュスタンにクロードが烈しく何かを言い募る様子が見えた。ジュスタンが激昂をなだめようとして伸ばした手を振り払い、クロードは頬を真っ赤に染めて言葉を吐き出している。

「どうか――――」

 それ以上をいう前に、クロードはジュスタンの胸におさまっていた。クロードは頬を涙で濡らして、一心にジュスタンを見上げている。対するジュスタンは、冴えた、獣のように獰猛な眼をしていた。

 リュシエンヌの知らない、濡れた瞳のクロードとぎらぎらとした眼の兄。二人はきつく抱き合い、やがて貪るような口づけを交わした。

 噎せ返るような濃厚な香りが漂うようだった。リュシエンヌは胸がざわざわと騒がしく、硬直した身体を叱咤してかろうじてその場から逃げだした。

 哀しいような、笑いたいような、相反する気持ちがぐらぐらとリュシエンヌの頭を揺らした。初恋が終わったことと、先のない恋から逃げられることをリュシエンヌは知った。それが良いのか悪いのかは分からない。

 ただ、一対のように恋しい人を求めあう二人の姿は、瞼に焼きついたまま決して薄れることはなかった。


 何もかも知らないまま、純真な娘でいられたらどんなに良かっただろう。妖しい花の香りを、咲くことのない想いを知ったリュシエンヌは、否応なく子どもからひとりの女へと変貌してゆく。そうして四季が二度廻った。

少女の秘められた色香に魅かれたのか、ひとりの若者がリュシエンヌに求婚し、めでたく婚約が交わされた。婚約者となった青年、モーリスの物腰柔らかな容姿や気立てを気に入って、リュシエンヌもまんざらではない良縁だった。

「婚約おめでとう、リュシエンヌ。お前が他家に行ってしまったらこの屋敷から太陽がなくなってしまうな。まったく寂しい限りだ」

薄く化粧を施した妹の頬にふれて、ジュスタンが微笑む。兄の指先の熱を感じて、リュシエンヌはそっと睫毛をふせた。

「モーリス卿、どうか我が妹を大事にしてやってください」

 屋敷の庭園で盛大に開かれた婚約式にかしこまる青年の肩を、その友人が抱えて快活に笑った。

「もちろんですよ、ジュスタン卿。我が友モーリスは抜けたところがあるが、結婚は視力を良くするといいます。こいつも一家の主としてしっかりすることでしょう。リュシエンヌ嬢のような賢く美しい人を妻にできるなど、まったく過ぎた幸運です」

 酒の勢いも混じって、周りに明るい笑い声が響く。リュシエンヌは、婚約者の眼鏡の奥にある瞳を覗きこんだ。澄んだ青い眼と一瞬視線がかち合ったかと思うと、奥手のモーリスはすぐに赤面してしまった。それをまた周りが囃したてて、婚約式はにぎやかなものとなった。

 化粧直しに部屋へ向かったリュシエンヌは、颯爽と廊下を歩くクロードとすれ違った。クロードは軽くお辞儀をして立ち去ろうとしたが、リュシエンヌはそれを許さなかった。部屋へ招き、侍女を扉の外に出して二人きりの対面を図った。

「時が過ぎるのもあっという間ね、私が結婚することになるなんて。そう思わない、クロード」

「・・・・・・」

言葉を返そうとしないクロードに、リュシエンヌは笑いかけた。青年となった幼馴染の瑞々しい立ち姿に、いつか見た夜の秘め事を思い出していた。

 きっと墓場に入っても、地獄へ行っても忘れないだろう。リュシエンヌが大切に思う二人の、愛欲にもがく姿を。

「私が家を出ていっても、あなたがいれば兄さまを任せられるわ。兄さまとフェリシテ義姉さまの間に子が生まれれば、我が家も安泰でしょう」

 俯くクロードの肩が小刻みに震えだした。拳を見れば、何かに堪えるように強く握られている。化粧台の椅子に腰かけて、歌うようにリュシエンヌは言葉を紡ぎつづける。

「私はジュスタン兄さまもあなたも大好きなの、それだけは忘れないでね。どうかクロード、あなたも幸せになってちょうだい。あなたは兄さまにとっても私にとってもかけがえのない、大切な家族なのだから――――」

「・・・・・・黙れっ」

 怒鳴ったクロードの眼は怒りのために潤み、白皙の肌は赤く染め上げられていた。苦しげに胸元のシャツを握り、クロードは主家の令嬢を睨み据えた。

「何も知らぬ幸せなやつ、お前など、消えてしまえ!」

 大声を心配したのか扉を開けた侍女を押しのけて、クロードは猛然と部屋を飛び出していった。驚いた侍女が眼を丸くしてリュシエンヌに問う。

「まあ、いつも物静かなクロードさまがあんなに慌てて。お嬢さま、何事かありましたの?」

「嫁ぐ私に代わって兄さまをよろしくと頼んだら、感極まってしまったみたい。泣く姿を人に見られたくないのよ」

 まあそうでしたか、と納得しつつ侍女は手早く化粧道具を揃えてゆく。鏡台に写る顔に、リュシエンヌはふっと笑んだ。瞳の色に合わせたエメラルドの首飾りはきらめき、黄金色の巻髪に飾った白薔薇の生花が芳香を放つ。聖劇で双子の天使役を務めるに相応しい、クロードと瓜二つの容貌だった。


 リュシエンヌが華やかな都での生活を始めて一年後、困惑顔の夫から聞いたのはジュスタンとその従者が行方不明になった、というものだった。ジュスタンとクロードがある夜烈しく口論していたという、従僕の証言があった。それはまるで痴話喧嘩のようだったと、口の軽い使用人は言いふらした。

 両親は息子がいなくなったことを嘆き悲しみ、妊娠中の義姉は途方に暮れた。そうして世の人々は口さがなく噂した。曰く、貴族の若旦那とその従者が駆け落ちをしたのだと。神に背を向けて、領地にある森の奥深くに二人は身を隠したのだと。

 醜聞好きな人々に何を聞かれても、リュシエンヌは口を噤んでいた。夫は心配してくれたが、慰みなど端から必要としていなかった。

 眼を閉じれば、二人の姿は常にそこにある。自分とそっくりの顔で、憎悪の眼を向けてきたクロード。家族としてではなく、男女の愛情を妹に注ごうとしたジュスタン。

 クロードはリュシエンヌを何も知らないやつと罵ったけれど、その逆だった。彼女はすべてを承知していた。リュシエンヌは聡い。兄が自分に向ける熱い視線に気づき、それに嫉妬するクロードの想いを知っていた。自分とそっくりな故に、兄に代用品として愛されたクロード。哀れだと思った。兄のクロードへの想いが本物になればと見守ったけれど、結局ジュスタンとクロードの恋は食い違ったままだった。二人は真に向かい合うことのないまま、リュシエンヌの手の届かぬところへ消えてしまった。


「まあ、ポワリエ夫人の香水はとても良い香りがいたしますね。どちらのものをお使いですの?」

 夜会で知り合いの夫人に声をかけられ、リュシエンヌは微笑んだ。

「懇意にしている調香師につくらせたものです。領地の森の懐かしさから着想を得たものなのですが、気に入っていただけて光栄ですわ」

「素敵ね、すずやかで気品があるわ」

 噂話に興じる貴婦人の輪の中で、リュシエンヌはひとり、遠く領地の森へ想いを馳せた。

 

 少女は、自分と同じ姿の少年に恋をした。少女の恋は咲く前に枯れ、少年の想いもかなわずに森のどこかを彷徨っている。目を閉じれば深い森の霧が頬をなぜるようで、それはやはり懐かしく、冷たいものだった。


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