インフェルノ─この荒廃した国で僕達は生きる─
東京五輪のセレモニー中に「ドクタータケル」と名乗る人物が、細菌兵器によるバイオテロを決行。多くの死者を出す事となる。
事件は血の祭と呼ばれ、責任を問われた日本政府は権利を剥奪。諸外国の統治下に置かれ、国内ではギャングが闊歩する事になる。
それに対処すべく、警察とは別の保安組織─協会─が結成。協会に登録されるエージェントは猟犬と呼ばれた。
猟犬は弾薬・火気の所持が認められ、賞金首を捕縛・若しくは殺害する事を生業とする。
そして巷では最近、ある噂が囁かれていた。
協会も知らない内に大勢のギャングを駆除する、正体不明の掃除屋……
『狛犬』の都市伝説を
◇
【血の祭から17年】
「怪我、平気?」
旧八王子の暗い路地を、2つの影が歩いていた。
「大丈夫よ。ありがとう」
片方は背の高い、長いブロンズヘアーを後ろで束ねた女性。ゲルマン系によく見られる切れ長の目と薄い唇が特徴的だ。
左腕に巻き付けた包帯には血が滲んでいる。
シャルロット・ベルンブルク。通称シャル。今年21歳。猟犬として働いて4年目だ。
今日は個人的な調査中ギャングに襲われたのを、隣にいる東洋系の少年・ハヤテに助けてもらった。
銃撃戦の中、突如現れたと思ったら逃げ道に案内されただけだが、負傷した状態で勝てるかは不安だったし、素直に感謝している。
「あいつら最近、俺達の住まいの近くにやって来ては好き勝手するから……嫌いなんだよね」
腕を頭の上で組みながら率直な感想を吐く姿を見てて、シャルはクスッと笑った。
同時に、自身の目的も思い出す。
「そうだ。ハヤテ君はこの辺の……」
「うん、この辺りで兄弟達と暮らしてるんだ」
日本では治安の乱れにより、ストリートチルドレンが増えている。
彼らは身内を「兄弟」呼びする事が多いため、シャルはすぐに、ハヤテもそうなのだと気付く。
「『イズミ』って情報屋を探してて……知らない?」
ダメもとでの質問だが、ハヤテは指を顎に当てて考える仕草の後、キョトンとした表情で
「……身内かも」
「!!……案内して!!」
両肩を掴んでブンブン振り回してきた。あまりに真剣な顔だったのと、振り回されて気持ち悪くなったのもあり、ハヤテは仕方なく了承する。
ちなみにゲロは吐いてしまった。
:
「てなワケでお願いね……」ォエーッ
「汚い声まで届けないでくれないか?」
「中継し続けないと、説明が面倒じゃない」ゥップ
「本音はやっぱりそれか……ハイハイ。帰るまでにその吐き気をなんとかしろ」
「ォーケィ、ォーケィ……」ォロロロロッ
:
「OKだって」ぅっぷ……
「え? でも今、携帯も何も……」
「一心同体だから。何を考えてるのかわかるのよん」
身内の考えを理解してるという意味だろうとシャルは判断する。
そのまま2人は、路地を歩き続けた。
「でもさ。何でおねーさんは情報が欲しいの?」
「……兄を探してるのよ」
ふと、シャルの顔に影が落ちる。
「タケル・ベルンブルク。科学者にして、ベルンブルク家の養子……私の義兄よ。
私の両親も科学者で、詳しくはわからないけど、『インフェルノ』って研究をしていた……。兄は両親を殺して……私に東京五輪の日程と『その日を楽しみにしてろ』とだけ伝えて姿を眩ました。
あの事件が起こる直前だったわ……」
話すシャルルの手は、血が滲む程の力が込められている。
「両親を殺して、研究データを盗んだ挙げ句、大勢の人を殺して、兄は家族を裏切ったのよ!!
だから私は……!!」
:
「ハヤテ……そっちから敵の気配がするが……。
!! おい ハヤテ!!」
─舌打ちが響く─
─コートを引っ掛け、身を乗り出す─
:
「おねーさん。もし復讐とか考えてるなら、力不足じゃない?」
「……え?」
路地を出た途端、目映いくらいの光が浴びせられる。目を細めながら伺うと、10台以上の車と、銃を持った男達……さっきまで銃撃戦を繰り広げたギャング達だ。
「…………!」
「よぅ、さっきはその女とのデートを邪魔してくれたなぁ!!」
1人が唾を吐き散らしながら怒鳴る。
負傷している今、ましてや、一般人のハヤテを守りながらではシャルに勝ち目なんて……
「……逃げて!」
「こんな奴らに苦戦するようじゃ、荷が重いと思うんだよねぇ」
「なっ……!!」
危険な状況であるにも関わらず挑発まがいな発言をするハヤテへ、両者は怒りの感情を剥き出しにした。
「そんな事言ってる場合?!」
「さっきから舐めやがって!」
「舐めてるのはそっちだよ。俺達の縄張りで好き勝手しやがって。下手に相手したらイズミに叱られるから黙ってたけど」
そう言って腰へ伸ばす。
ジャケットを捲った先のベルトには、鈍い光沢を放つメッキで覆われたライターが2つ、皮のケースに収められていた。
それを見て、「ブッ!」と吹き出す声。
「ジッポで闘うってかぁ?! なんだよそれっ!!」
だが、ライターを構えるハヤテは動じない。
「そういえば、さ」
ギャング達の侮蔑の声を無視して、でも振り返らずに口を開いた。
事態は緊迫している筈なのに、その声は子供を諭すような柔らかさを持っていて。
「狛犬って……知ってる?」
「……え?」
噂を耳にしたことはあった。
猟犬ではないのに、賞金首を狙う謎の掃除屋の存在。
しかし、あくまでも噂話。それが猟犬達の認識だ。
「俺達ってさ。協会に登録できないんだ……でも、生きるためにお金がほしい……
だから賞金首を捕まえては裏ルートで売り捌く必要があるんだよね。
で、その登録出来ない理由ってのが、特殊で……」
「撃ち殺せぇっ!!」
ギャングの1人が叫ぶ。
渇いた発砲音が、鼓膜が張り裂けそうな痛みを与える。
無数の弾丸は2人に浴びせられ──
「タケル博士によって、人じゃなくなっちゃったから、なんだよね」
「な────」
轟音に遮られた。
ジッポの蓋が開くと同時に、銃弾を遮るように炎の壁がギャング達と2人を隔てたのだ。
「なんだ?!」「嘘だろ……!」「火?!!」「ありえねぇ……」「……!」
驚愕の声の中、両手のジッポから炎の鞭をしならせるハヤテの姿を見て、シャルルは目を強く見開いた。
「ハヤテくん……? あなた……」
「失礼。ここは危険です」「?!!」
いつしかシャルルの横にはトレンチコートを着た、銀髪の青年が立っていた。
「イズミと言います。ハヤテの身内です」
「!! あなたが……」
「少し離れて話しましょう」
ハヤテがギャング達へと向かって歩き始めた。
◇
少し離れた路地裏に入りながら、シャルはイズミに尋ねる。
「ハヤテくんは一体──」
「……私達は、あなた方に狛犬と呼ばれる……能力者です……」
「!!」
「タケル博士は、13人の子供を作りました。
『インフェルノ』と呼ばれる存在……それが私達です」
「それは……両親の……!」
インフェルノ。両親が研究していた名前だ。
「インフェルノは1人1人、能力を有します。ハヤテの場合、火を操る……そういった能力ですね」
「あなたは……」
「電気信号……敵を探知したり、情報収集には……とても便利ですよ?
ちなみに私達は互いの意識を共有できますから。ハヤテを通じてあなたの知りたい情報についてお聞きしてました」
ハヤテが携帯も使わず、直ぐに返事したのを思い出す。
あの時、イズミと意識下で連絡をしていたからだったのだ。
直後、背後から炎が柱状になって夜空を照らす──
◇
「マジかよ……」
銃弾は溶かされ、車は炎に呑まれ、次々と男達は炎の鞭に凪ぎ払われていく。
「悪い冗談だろぉ?!!」
マシンガンを撃つが、ハヤテが片手を一振りすると炎の壁が立ち、弾を消す。
そしてもう一振り。
ヴォン!! と音を立てて手元のマシンガンの銃身が焼き切られた。
「ヒィィッ?!!」
銃身に残る熱はグリップを巡り、男の手にまで伝わってくる。
相手は子供1人。それも歩いてるだけなのに。
誰も勝てない。誰も手を出せない。
いくら攻撃を浴びせようと、銃を撃とうと、彼の持つ炎は蛇のように撓り、鉛の攻撃を呑み込んでゆく。
リーダー格の男は、半分に溶けたマシンガンを構えるも、体は冷や汗を流していた。
灼熱の烈火を悠然と歩く1人の影。
炎の動きに合わせて陽炎のように揺らぎ、2本の鞭は地面を跳ねて彼の背中で翼の様にはためく。
その姿は、地獄の業火から現れた悪魔──
「く──来る…な───」
拒絶の言葉を発しようにも、ガチガチと勝手に歯を鳴らす口では、上手く話せない。
「────」
漸く理解する。
自分達は、手を出してはいけない領域に踏み込んでいたのだと。
涎を垂らし、獲物を待ち望む獣の世界に……自ら飛び込んでいたのだと──
悪魔は黙って焔の蛇を使役する。
灼熱の敵意が顎を開き、迫ってくる───
「ぁああああああああああっっ!!!!」
炎が弾けると共に、悲鳴が辺りを震わせた。
◇
「あ、話は終わった?」
火傷を負った男達が山状に積み上げられ、その上で胡座をかいては、あっけらかんとするハヤテを、シャルは真顔で見つめていた。
「まだ、復讐とか考えてる感じ?」
「…………」
少しの沈黙。そして──
「そうね。私はまだ……兄への復讐を諦めてはいない」
「ふーん……」
「未熟だし、ハヤテくんみたいな力は無いけれど……」
「……ならさ」
ストン、と目の前に降り立ち、ニカッと笑うハヤテ。
「『狛犬』にも協力してよ。俺達、普通の人間に戻るのが夢なんだ。
おねーさんは復讐。俺達は人間に戻るため、猟犬の仕事を手伝いながらタケル博士を探す……悪くない話でしょ?」
シャルは驚いて彼を見た。
あんな力を持ちながら、人に戻りたいなんて。
そもそも人ではあり得ない力を得たから、彼らは本来の在り方を望むのだろうか。
その力を正しく使えば、街の英雄にだってなれただろう。いや、もう既になってるのかもしれない。
だがそんな力よりも、名声よりも、彼らが求めるのは『人としての人生』
人として生きるのを許されなかった彼らの、小さくてでも当たり前で、何よりも尊い願いなのだ。
屈託のない笑顔を向けられ、思わず口元を弛める。
2人は握手を交わしていた。
「よろしく。おねーさん」
「こちらこそ」
そして付け加える。
「シャルロット・ベルンブルクよ。よろしくね」