掟
埃っぽい。
空気が悪い。
生命を感じない。
そして、人の気配が、全くない。
ケイが地上に戻って、最初に抱いた感想。一度は食事処に足を運ぶために外には出たが、周りの景色を気にする余裕などなかった。
しかし、自分の行動が世界を変える事となると、客観視しない訳にはいかない。
「ゲームの中じゃあ割と見る光景だったりするけど、実際に目の当たりにするとこうも印象が変わるとは…悶絶だわ」
酷い光景。文字通りそれ以上でもそれ以下の言葉でも説明できない殺風景。そんな感傷に浸っていると、銀髪の少女、ノアは切り込んでくる。
「何言ってるんだか。これくらいで悶絶してるようじゃあ後が思いやられるわ」
「手厳しい…」
今現在、ケイとノアは敵の情報があると言われる準拠点を目指して隠密行動中だ。
ある時はビルの壁に沿って、ある時は瓦礫の裏に隠れ、ある時は割れたコンクリート道路の影に隠れ。
音も出さずに、それはまるで地面を履い回る忌まわしき黒の混沌のように。
ただ、音も出さずとは足音の事であって、口から漏れる音に関しては、先ほどから忙しなく2人の間を行き来していた。
「それで。俺の頭の悪さを本人の前で親切に説明してないで、そろそろ本題に移りませんかね?」
「…」
そう。この隠密行動中に課せられた、ある種の目的、使命と言ったところだろうか。
ノアは、食事処で明らかになったケイの「分岐」の能力について、憶測と推測の範囲内だが、その内容をケイに説明する事になっていた。
「それもそうね。目的地との距離も十二分にある。気楽に、長めに、面白めに話させてもらうわ」
「うん。面白さとかいらないからね?」
話し方は割ときついのに、どこか茶目っ気がある。
そんなギャップ萌えに危うく引っかかりそうになり、このような場合は突っ込みでやり過ごすというのがケイ中での見解になっている。
「まず、私の推測から言わせてもらうと、あなたの『分岐』はただの分岐ではない。効果の違いがある。正確な憶測では二種類のタイプの『分岐』が存在する」
「…正確な憶測?」
「あなたがこの世界に来たきっかけ。それは、普段日常的に、長期間続けてきたルーティンを崩す事で発生する、大規模な『分岐』と、さっきのように、自意識で普段と違う行動、長期間でもなく、重要性が低いルーティンを崩した時に起こる小規模な『分岐』。この2つの使い分けをミスしたら、世界が砂漠になると思いなさい」
「砂漠って…俺結構砂漠の景色好きなんだけど…」
「そこで、この二つの分岐に共通する、分岐の発生コマンド、とでも言うべきかしら。つまり、行動を起こす事で発生する分岐の方向性は、ある条件によって分かれている。なんだと思う?」
恒例のノア様の質問タイム。正直、今回ばかりは全く、毛頭も、正解らしき物が思い浮かばない。
「…分かりましぇーん☆」
「…死んで?」
「すみません!申し訳ない!続きお願いします!」
ノアの右手に氷の結晶が集まり、氷のナイフを精製し、こちらに刃先を向けて脅してくる。
「はぁ…あなたの感情よ。感情の掌握は、結果の善し悪しを完全に掌握するのも同然。よって、あなたにはこれから感情をコントロールする訓練をしてもらう。無論、有無は言わせないわ」
感情のコントロール。
即ち、己が己と向き合う時。
即ち、己が相手と向き合う時。
即ち、己が運命と向き合う時。
即ち、己が己の過去と向き合う時。
即ち、己が己の未来と向き合う時。
人類は、「感情」という途方も無く巨大な壁と向き合う。
それは、他人には容易に要求できても、自分に要求を課すのが難しい曲者。
誰しも一度は、必ず、この壁によって、無情にも粉々にされる。
たった今ケイは、ノアにそれを要求された。
否、ケイには拒否権はない。
なんたって自分の命はおろか、他人の命、ましてや世界の命運までその手に預けられている。
もはやケイに、逃げ道など無いのだ。
「あなたの感情は、主に『喜怒哀楽』を中心に分岐の結果が異なると予想できる。大まかに考えれば、ネガティブな思考をすれば、あなたの行動によって分岐された世界は、暗く、重いものになる。逆に、あなたがポジティブな事を考えた時は、」
「世界はハッピーエンドに出発進行。ってわけか…なかなかに難しいですね」
「だからこの先、あなたは不用意な感情の表現は控えてもらうわ。そして、決してネガティブ思考をして、その負の感情を表に出す事を禁ずる。いいわね?」
有無を言わせぬ圧迫感。
魔力?のような、そんなものが、ノアを包み込む。
いや、正確には包み込むより放出されるの方が見た目と釣り合う表現だろうか。
怖気付くしかないケイは、あっさり降伏を認め、
「りょーっかい。任せろ。これでも元の世界じゃあ感情どころか、自分の身すら表に出さないほどの実力者だぜ?」
「それは単に引きこもってっ」
「はいはいはーい!続きのお話聞きたいかなー!」
NGワードが出そうな所で上手く話の腰を折る。
「私は魔法。あなたは分岐。けれど、私の魔法はあくまでサポート重視。戦闘の時しか需要がないけれど、戦闘以前の問題。つまるところ、戦闘の『結果』を、勝利の方向へ導き、私の戦闘を意味あるものにするのが、あなたの役割ね」
「つまり、ノアちゃんが戦ってる間、俺は後方で感情の左右を行う事によって戦況を掌握。って立ち回りでいいのかな?」
「まぁそんな所ね。ひとまず実践で試してみるのも悪くはないけれどね」
「へっ?実践?」
「そう。この先にある政府軍の準拠点。それはビルの中と言ったけれど、そのビルに入る前に、別の建物から侵入しないと、奥のビルに辿り着けないような設計になっているわ」
「いやいやいや、俺は確かに平均よりかは運動できるし、感情も割とコントロールできる方ではあったよ。でも、いきなり戦闘はちょこーっと厳しいかな?何せ敵に襲われたら俺は…」
「何言ってるのよ。あんたが死なないための私でしょ?」
「言い回しカッコイイのに微妙なフラグ立てんのやめてくんね?」
「ほら、もう入口は見えてきたわよ。肝っ玉縮めてないで、シャキッとしなさい!」
バシッと背中を叩かれ、痛みに目を細めながら顔を上げる。
巨大な自動ドアが真正面にお出迎え。
それに並ぶ約3mの壁が、敷地を囲むように建てられていた。
建築様式としては日本の平屋に似てはいるが、近未来の材質で構成されていたため、なんだか微妙な気分になる。
「さぁ。とっとと入っちゃうわよ」
「入っちゃうって…茶目っ気あるけど立派な不法侵入だよ?」
そこでふと、大きな欠陥に気づく。
「あのさ、ここの壁は3m近くあるし、おまけに門は強化セキュリティの自動ドアと来た。どうやって入んのさ?」
「決まってるじゃない。あなたはコレを持って中に侵入、あなたの作った穴を潜って、私は入るわ」
「コレって言われても…」
ここまで技術の発達を見せつけられれば、見た目だけでは爆弾とも判別がつかないだろう。
見た目は画鋲。使い方は簡単。
壁に刺して、画鋲からでる高分子運動を促す波動を流すスイッチを押すだけ。
針の先端から出る波動は、物質を状態変化させ、個体から気体へと昇華させる。
「で、使い方は分かったんだけど、俺はどうやって中に?」
「ふふふ。あなたに何の機能もない服を着せたと思ったら大間違いよ。軽く助走をつけてから、塀の前でジャンプしなさい」
…このブーツ、めっちゃ軽いのにそんな機能あんの?
口に出したらどやされそうなので、そこはグッと堪えておく。
ケイは何歩か後ろに下がり、塀の前で下半身に力を入れる。
地面をほぼ垂直に蹴り出す。
面白い事に、軽々4m近く跳んでいた。恐らく、踵のパーツの中に内蔵されたバネの反発力か何かで跳べたのだろうか。とにかく凄い。
一瞬、科学の力に魅入られたケイだが、直ぐに現実に呼び戻される。
「うぉぉぉぉぉおおお!?」
普通に考えれば、4mの高さから飛び降りたのなら、ただでは済まされない。
死なないにしても、骨折は免れられない。
しかし、またしても科学の力の前に屈伏ふるケイ。
地面に靴が触れた瞬間、先ほどとは正反対の機能が働く。
着地の衝撃を完全に吸収、怪我を負うどころか、土煙も立たない。
ただ静かに水溜りを越えただけのような錯覚。
そんな干渉に浸っていると、
「ケイ。早くしなさいよ。立ち疲れたわ」
相変わらず口が減らないノアの言動はなるべく聞かないようし、言いつけ通りに画鋲を差し込む。
一分間。たったの一分で壁の材質が気化した。
すっぽり空いた穴からこちらを覗くノアは、どこか勝ち誇ったような、ちょっと意地悪っぽい笑を浮かべている。
「あなた。感動したでしょ?」
「まぁここより文明が劣った世界で暮らしてたんだから、こんなモン見せられると男の性が騒ぎ出すってもんよ」
「これ、私が作ったのよ」
「嘘?!マジで?!」
「嘘よ」
「何なんだよ!」
「…嘘でも、ないかも」
「どっちだよ!てか何で一瞬躊躇った!」
そんな言葉のやり取りを終え、穴から入ってくるノア。
辺りを見回す彼女の目は、目の前の状況を把握するために、先ほどの遊びの感情などは既に見当たらなかった。
「さあ。早速心臓部に近づきたいところだけれど、あそこを見て」
指さされた方向を見ると、精鋭部隊が巡回していた。
不意を突いて、奇襲攻撃でも仕掛ければ、ケイでも死闘の末勝てる可能性が多少なりともあろう。
が、しかし
「これ。俺って無理だよね?」
「ええ。無理ね。けど、いい方法があるの」
耳打ちされ、その都合の良さに絶句する。
「しゃーねぇ!やるっきゃないべ!」
「私の合図があるまでここで待機。その後、作戦通りに事を進めてちょうだい!」
そう言い終わると、ノアは右手を精鋭部隊の巡回員に向け、目を閉じる。
そして、三秒ほど静止した後、目を見開く。
開いた目は、獲物を睨む、肉食動物のような鋭さ。
その小さな手からは冷気が発せられ、氷の粒が、無数に宙に浮いていた。
刹那、手を天に向けた。
同時に振り下ろす。
不可視の速さ。
すると、氷の粒は精鋭部隊に向かって、高速で飛来し、衝突と同時に、近くの壁に飛ばされる。
壁にぶつかった精鋭部隊は、付着した氷の粒子と、ノアの発した冷気が昇華し、壁に密着させたまま身動きを取れない状態にした。
「からの俺氏の出番!!」
ケイはそう言うと、壁に張り付いた精鋭部隊に近づき、氷に手を当てて、こう叫ぶ。
「氷のギロチン!具現化してみぃや!」
すると、張り付いた氷の一部が、精鋭部隊の首に沿って、寸止めの状態で、氷のギロチン、もといナイフが形成された。
悪魔的な笑を浮かべながら
「さぁてさてさて。死にたくなきゃ、洗いざらいこの建物と、あんたの知る情報。全て吐いちまいな!」
「ケイ…あなた私の話聞いてた?合図を待てって、そう言ったの。何飛び出しちゃってるのよ。危険感知を済ませてからって言ったじゃない」
「いやはや申し訳ない!この『映画でよく見る憧れのシーン~セルフ100選~』を早く言いたくてさぁ!つい先走っちまったわ!」
「はぁ…今度から気をつけなさいよね」
張り付いて困惑する精鋭部隊を他所に、痴話喧嘩をおっぱじめる二人。
そこへ精鋭部隊。
「おい!俺は絶対、組織の名にかけて、何も吐かない!今すぐ殺せ!」
「はて。はてはて。それは矛盾している」
学者のような口調をしながら、ケイは精鋭部隊の胸ポケットから、恐らくケータイらしきものを取り出す。
「これが何か分かるか?」
「それは、ただの連絡手段だ!それがどうしたんだ?!」
激昴する精鋭部隊、男、を、不敵な笑みを浮かべてこう煽る。
「ノア。頼む」
そう言ってノアにケータイを放り投げると、パスコードを解除させる。
もう一度投げ渡され、戻ってきたケータイを覗き、何やらいじり出す。
「お、おい!なんだ?!妻や子供を脅す気か?!やめろ!殺すなら俺を殺せ!頼むから妻と子供に…」
「これだよ。お前、本当にただの連絡手段にしか使って無いのかね?」
ここ一番の、悪魔、いや、絶望すら思わせるその笑顔に怖気付き、突きつけられた画面を見せつけられる。
「なッ?!そ、それだけは!それだけは頼む!せめて、履歴を決してから…」
「ふっ。ふふ。ふっふっふ。はっはっはっはははははは!!貴様!貴様は嫁さんがいながら『人妻』のカテゴライズがお気に入りのようだなぁ?!えぇ?!これをテメェの嫁さんに見せびらかせられたくなかったら、全部!吐け!そしたらケータイを返してやる上に履歴を消すチャンスをやろう!さぁ!生きるか死ぬか!どっちだぁ?!」
「全部、洗いざらいぶちまけてやる」
自分の名誉を守る為、組織をゴミのように見捨てるその様は、いっそ清々しかった。
「男って、バカね…」
そうポツリと呟くノアの声は、二人には届かない。
そして、場が静寂。
男が語り始める、その情報は、あえて言うなら蜜の味がした。