並行世界
「いよっと!」
ほとんど立ち幅跳びの様な跳び方でバリアから飛び出したケイは、大きく息を吸い込んでみる。
「くっさ!煙くっさ!」
半ばツッコミに近い感じで味わった空気の感想を吐き散らす。そこは、煙の臭いがした。空には透き通った青色は無く、消えかけの街灯と、燃え尽きかけている建物から出る小さな火が黒く濁った雲をぼんやりと照らしていた。
「なんか…ものすごく治安悪そうだな…全然楽しくないぞ!」
見知らぬ世界の愚痴をぶつける相手もいない。人を探そうとした時、大音量の電子音が、どこからとも無く流れてきた。
「タイムコンフューザー発見。タイムパラドックスが発生する前に、速やかに排除せよ。繰り返す。タイムコンフューザーが…」
「おっ?!なんだ?!イベント発生か?!」
聞き慣れない単語の意味が分かってないことが吉か、この破壊された街で警報が鳴っていること自体好ましい状況ではないのにも関わらず、イベントと勘違い出来たことはある意味幸せ者だ。
「見つけたぞ!捕らえろ!」
「へっ?」
10人近くの特殊部隊らしき服装をした筋骨隆々の男達が、何故か自分目がけて走ってくる。
さすがのケイも、「捕らえろ」と言われて易々と自分の身を受け渡すつもりは無い。3歩後ずさりして逃げようとした時、丁度自分の家の周りに張り巡らされているバリアの中に入った。すると、男達はバリアの前に立ち止まり、辺りをキョロキョロと見回し始めた。どうやらこの世界の住人はこのバリアの中が見えないらしい。
(見えないならこっちのもんだ)
ケイは庭に転がっていたタワシを、一人の男に向かって思いっきり投げた。
「うぉりゃ!!」
見事にヘッドショットを決め、一体どのような反応を見せるのか。またもや好奇心が彼を襲う。
「この家の方向から何やら奇妙な飛翔物が飛んで来ました!!」
「これは…見たことも無い物体だな…危険物の可能性もある…銃撃隊!この未確認物体を消滅しろ!!」
隊長らしき人物の命令と共に銃撃隊と呼ばれる人物達、4人ほどが一斉にタワシに銃弾を浴びせかけた。
「あーーっひゃっひゃっひゃっひゃ!!!あいつらマジになってタワシにマシンガン撃ち込んでやんの!!こりゃ5年分は笑えるわ!!ひゃひゃっひゃ!!」
タワシにマシンガンを撃ち込んで去っていく特殊部隊らしき人物達を笑わずにはいられなかったケイは、ものの5分近く、1人で笑い続けた。
笑いの波も治まった頃には、大まかなシステム、この異様な状況を飲み込んでいた。笑いながらも状況の整理を正確に行えるのが彼の高い能力のひとつだ。
これは全くの余談になるが、前述でケイは「自宅警備気味」と記した。しかし、こう見えて頭のキレも運動神経も、悪くない。むしろ両方高水準に位置していると言っても過言ではなく、どのジャンルの優秀者と競わせても見劣りしない程だ。何でも卒なくこなす彼は、運が悪い事に周囲の人間との距離感、温度差にも直ぐに気づける才能も持ち合わせてしまった。そうした能力が彼を、「学校」という才児に似合わない場から遠ざけたのかもしれない。
「能力ある者は、その力を行使する義務がある」
が彼の座右の銘であり、モットーでもある。しかしそれを言い訳に「力」をゲームに注いだ訳だが…
「このバリアらしきものから出たらあの部隊、いや、警報システムに感知される。感知されるとあの部隊がすっ飛んで来る。バリアから出た時に家を見てもバリアは見えない。家は見えても人物、多分生き物だ。生き物は外から感知されない…こんなもんか」
大まかに把握したところでケイは一番懸念すべき事に気づいた。
「…俺ここからどうやって出んのぉーーーー?!」
「これを着なさい」
(これだけはダメだ。どうにもならないと。フラグ立った。)と思いを張り巡らし、地面でのたうち回っていた時、耳に優しく囁くような、透き通った綺麗な声が聞こえた。
地面で大の字になっているケイが首だけ持ち上げ門の方向を見ると、毎晩夢で出てきて、手を取ることが出来なかった、あの銀髪の少女が立っていた。空より青く、海より深い、全てを見透かす様な青色の瞳が、じっとケイの目を見据えている。
「俺のこと、見えるの?」
そう聞くと、彼女は小さく頷いた。
「あなたには説明しておかないといけない事があるわ」
(これはいい方向に想定外のイベント発生だな)
バリアの外から生物を感知できる。それだけでさっきのアホ部隊とは格段に能力の差があるという事は歴然だった。
「そうしてもらいたい所だけど、生憎俺がこのバリアの外から出ると警報鳴っちゃうのよ。傍から見たら変に見えるだろうけど、バリアの外からでもご説明頂けたらありがたいかな?」
彼女は返事の代わりに、右手をバリアにかざした。手から青白い光が出たと思うと、丁度彼女がすっぽり入れるくらいの大きさの穴が開き、その部分だけバリアが消えた。
いとも当たり前のように彼女は入ってくると、大の字になってるケイを頭から足まで見て、感じた事をなんの捻りもせずに語りかけてきた。
「あなた…この世界の人間ではないみたいね。ならこの服を着なさいっていう、私の崇高な作戦はあなたに伝わるはずがないわね。」
「なんだか遠回りにディスられてる気がしなくもないんだが…」
少女の服装は、夢で見たものと変わらない、穢れを知らぬ、青白い発光をも感じさせるような白色のワンピースだった。靴は履いていないが足は全く汚れず、汚れを寄せ付けない加護でもあるかのようだ。
「私の名前はノア・エドワルド。あなたが不覚にも迷い込んだ『パラレルワールド』の住人よ。」
「ノア…エドワルド…じゃあ普通にノアって呼んだらいいかな?」
「…あなたに気安く呼ばれるのは何だか癪に触るけど、時間がないから好きに呼ぶといいわ。」
「ノアたん!!」
「こんなに優しい私が、アテがないがためにのたうち回る事しか出来なかったあなたに手を差し伸べようというのに、ロリでもない私をあたかもそのように呼ぶということは、ここで永遠に大の字になりたいという私への宣誓ととらえるけれど?」
「すんません!長々と殺します宣言あざす!普通にノアで呼ぶんで命だけは!!」
「…まぁいいわ。とりあえず私に話の続きをさせて頂けないと、あなたの命を保証できなくなるわ。」
(なるほど。ノアはこの世界の事に詳しい上に、何も出来ない俺にお力添えをしてくれるほど強い魔力を持ってるのか…つまり俺の立ち回りは作戦の練り…てとこかな)
ケイなりに考えをまとめ、これから始まるであろう新しい冒険の説明に身を構える。
「いい?それじゃあ説明するわね。まず、あなたはこの世界、パラレルワールドに迷い込むというより、現実世界、世界①としましょう。あなたは世界①からこの世界、世界②に分岐するのに条件が必要だった。つまり、時間軸が並行して同時進行するこの世界に来るのには、絶対的な理由があったはず。あなた、普段と変わった事や、いつもと違う行動を取ったりした?」
「いや、別に何も…」
いや、ある。記憶力にそこそこの自身があるケイは、走馬灯のように今日一日が駆け巡った。いちごオレ。あれしかない。普段と違う、ゲームの種類とかは別だ。ゲームをプレイする、その行為自体は別に何も変わらないからだ。あの時、牛乳がなかったからいちごオレを選んだ俺の行動が、分岐という結果を生んだのだ。
「俺、多分違う事した…と思う。今日は牛乳じゃなくていちごオレを飲んだんだ。きっとそれだ。」
「いちご…オレ?何それ、おいしいの?」
「テンプレで返ってくるとはさすが異世界美少女!!」
「ちょっとあなた聞いてるの?いちごオレ?とやらはおいしいの?」
「あぁ、牛乳といちごという一見考えられない組み合わせ。牛乳のこってり感を感じさせないいちごの爽やかさが、クリーミーと甘酸っぱさの魅惑のコラボを生み出したのだ!人類の輝かしき英智に比類なき感謝をぉ!!!」
「いちごオレ、私も帰れたら、飲んでみたいな…」
「ん?なんか言った?」
「いいえ、あなたの説明力の乏しさに悶絶していた所よ。」
「さらっと罵倒を浴びせかけるノアちゃんにある種の感服の意を表明してしたいぜ。」
語調を緩めないノアに驚きつつも、何か好感を持てる、そんな要素を感じていた。
「でも、まだこの世界の話は終わってませんよ?ノアちゃん」
「そうよね、続けましょう。ここはあなたの行動が原因で生まれたと言っても過言ではない。あなたが作ったこの世界は、ただ現実と並行しているだけではない。たった今この世界はパラレルワールドの仕組みについての研究が行われているわ。しかしその研究を行なっている組織の詳細、拠点、実験内容は一切不明。けれど、ただ一つわかっている事があるの。なんだと思う?」
「唐突なウルトラクイズの回答権をいただけたわけですが、ここは分らないと答えるのが優しさかな?」
「御託を並べてないでさっさとあなたの浅はかな考えを述べたらどうなの?」
「なんなんだ全く…まあいいか。もしかしてなんかヤバイ事でも企んでたりして?」
「…いい線は突いたみたいだけれど、まともな日本語で話さなかったから0点ね。」
「なんでだよ!なんかノアちゃん手厳しくない?」
「この世界は主に、その研究を行なっている機関が政権と権力を牛耳っているの。そこで私の出番。簡単に言えば、今の私の立場はレジスタンス、つまり反政府勢力で、なおかつその勢力の幹部に属しているの。」
おおまかに彼女は、自分の所在と正体を明かすと、ついにこの回りくどい会話の核心に迫る。
「さっき説明が必要と言ったけれど、単刀直入に言うわね。あなたに、組織の思い通りにはさせないために協力してもらうわ。」
来た来た来た!最初のメインイベント発生!ひきこもりかけた矢先、ケイにラッキーチャンスが巡って来た。しかも聞く限りで拒否権はないみたいなので、これ以上状況が悪化する事もなさそうだ。
嬉しさのあまりいたずら心が芽生えたケイは、ノアを少しからかった。
「も、俺がこの家に引きこもると言ったら?」
ノアが勝ち誇った顔でとどめの一撃を放つ。
「あなた、この状況から救ってもらっといて、恩を仇で返すつもり?」
「異論ないです…」
完全に丸め込まれたケイは思いっきり肩を落とす。
「そこで、この世界に出るためには、防護フィールド外で感知されない服を着なければならない。だからこの『非感知システムスーツ』を着てもらうわ。ほら、採寸するから身長と体重を言いなさい。」
なるほど。なかなか便利なものもあるんだな。身長と体重だけで平気なのかと思ったが、どうやら体の特徴を選択するだけでオーケーらしい。
「178㎝、68kg、一応筋肉質かな。」
「分かったわ。3つ目の情報は見れば分かるからわざわざ教えてくれなくて良かったわ。」
「何だか言った後に恥ずかしくなるからやめてもらっていいですかね?」
ケイがノアへいじりを弱めるよう懇願した時、ケイの体がオレンジ色に光り始めた。ついさっきまで来ていた運動用の短パンとTシャツ、しまいにはパンツまで消え、俗に言うすっぽんぽんの状態になってしまった。
「うぉぉぉぉおおおい!!ちょっとこれ何だぁ?!」
すっぽんぽんで騒ぐケイを、今度は黄色い光が覆い始めた。靴は編み上げゴム底の頑丈なブーツ、ズボンは多機能ポケットの付いた軽い素材、そして上半身には、こちらも同じく多機能ポケットの付いたジャケット。しかもフルフェイスのフード付き。何だかめちゃくちゃかっこよくなり、ケイがその姿を一言で表そうとすると出てきたイメージは「スパイ映画の主人公」の服装だった。
「これ…すっげぇかっこいいんだけど一ついいかな?着せ替えの時の光のエフェクトっとどうにかなりませんかね?」
「あなたの粗末なモノなど、見て赤面するに程遠いとしか感想が言えないわね」
「何だかんだ今日一番グサッと来る一言なんだが…」
ケイは付属品にケチを付けられ、しばらく落ち込ませてくれオーラを出していたのにも関わらずノアは
「時間がない。行くわよ」
と、そのしょぼくれた空気を一蹴した。そのまま防護フィールドに向かって先程のよう手をかざしながら、ケイに話しかける。
「そう言えば、今更だけれど、あなたのお名前を教えて貰っていい?」
「おいおいほんとに今更だな…流石の俺も悶絶しそうだぜ…俺の名前は篠崎蛍。普通に『ケイ』って読んでくれ!」
「シノザキ…ケイ…」
彼女は噛み締めるように、一文字ずつ、しっかりと、その人間の名を唱えた。それから、その輝く銀髪をなびかせながら、振り向く。
「それじゃあケイ。あなたと私の、冒険の始まりだわ。」
その時、初めて彼女の顔は笑っていた。