ある事件
乃菊と国也が、山城へ行って数週間がたった。
大人少女23のメンバーは、田沢が独立して起業したタレント事務所の専属となり、その最初の仕事が、丘崎市にあるお城の近くの河原で行われた、地元テレビ局主催のチャリティライブへの参加だった。
会場には、川を挟んで大勢の観客がいた。
何組かのアーティストが楽曲を披露し、大人少女23の出番がやって来た。
「さあ、行くよ!」
「23、ゴー!」みんなで掛け声を出して、ステージへ向かう。そして大きな歓声が沸き起こる。
みおん、真阿子、ジュリア、亜美、そして乃菊の順にマイクの前に立つ。
♪・・・誰も居ないこの部屋で あなたの使ったノートが 机の上にあるだけで
あなたが書いた詩を思い出す
♪・・・春がそこにやって来ても あなたの使ったコートが 扉の奥にあるだけで
不安と淋しさが募るだけ あああ・・・
桜の花びら散る小さな公園 走って忘れる恋の終焉 見て 見て 見て
心から好きだった人がいたことを ここに卒業します 過去 過去 過去
だから未来を 私にください・・・♪
「ファンの皆さんに、心配ばかりかけて、ごめんなさい。また、頑張りますので、応援してください」
3曲を披露し、乃菊が挨拶をすると、全員が大きくお辞儀をして退場した。
乃菊たちが舞台から姿を消すと、男性客の比率よりも、女性客の歓声が大きくなって来た。
それは、全国的に人気のある男性ロックグループ、ブルーバーンのライブだったからだ。
彼らには、熱狂的なファンがいる。このバンドは、通常、こんな地方のイベントには、参加することがないから、余計に遠くからもファンが集まっているのだ。
「すごい人気だね」
「怖いくらいだね」
ジュリアと、真阿子は、衣裳をそのままに、ロングジャンパーを羽織り、フードを被って、ステージの袖から見ていた。
「あっ、終わった、行こうか」
ジュリアと真阿子が、控室へ戻ろうとすると、二人のいたところへ、勢いよくブルーバーンのメンバーが走って来た。退場は、いつもこのスタイルらしい。ジュリアたちは、隅に寄って通路を空ける。
ドラマー、キーボード、ベース、ギター、みんなテレビで見たことがある顔だ。ブルーバーンのメンバーが、二人の前を走リ過ぎて行く。
「わおー、だね」
「うん」
二人は、素人のように目を輝かせて見ている。
「おっと、大人少女の子じゃない?」
最後にジュリアたちの前を通り過ぎたのは、ボーカル、ギターで、バンドのリーダー、ダルビーだった。そのダルビーが、立ち止ってから、二人の前にやって来る。
「は、はい、そうです。お疲れ様です」
二人は、緊張気味に返事をする。
「最近、注目されてるね。頑張りなよ」
「は、はい、ありがとうございます・・・」
いつもは元気なジュリアでさえも、全国的に知名度の高い、ロックバンドのリーダーに声をかけられ、さらに緊張してしまう。
「あっ、そうだ。ジュリアちゃんだったよね、君」
「えっ、は、はい」
ジュリアは、自分の名前まで言われて、色白の肌が真っ赤になってしまう。
「君たち、田沢さんとこの事務所なんだよね」
「あ、はい・・・」
二人は、ダルビーが自分達のことを、結構知っているんだと思う。
「どうして・・・」
そこまで言うのが精一杯だった。
「ああ、田沢さん、俺の大学の先輩なんだ」
二人は、納得する。
「それでね、君たちさえ良ければ、田沢さんに頼んでみるから、メンバー同士で飲みに行こうよ。あ、いや、食事に・・・。明日また名古屋で一緒だから、ちょっとくらいいいだろ」
「私たちとですか?」
二人は、ダルビーの提案に驚く。
「嫌かい?」
「いえいえ・・・」
二人は、一緒に首を振る。
「他のメンバーも誘って、名古屋に着いたら、待ち合わせて行こう」
「あ、はい・・・」
いささか強引なダルビーに、考える暇もなく、ただ返事をするのみの、ジュリアたちだった。
「ねえ、ジュリア、ダルビーさんて、どんな人?」
みおんがジュリアに聞く。
「さあ、私も初めて話したんだから、わかんないよ。そりゃあ、カッコ良かったけど、ちょっと強引な人かな・・・」
ジュリアは、歩きながら答える。
「だけど、何だか、スターのオーラがあったよね!」
真阿子が、ニコニコしながら言う。さすがに人気のあるロックバンドのメンバーとあって、乙女心をくすぐられているようだ。
「そうだね。人気も実力も、私たちよりずっと上だからね・・・」
乃菊たち大人少女23のメンバー5人は、名古屋の事務所へ帰った後、田沢の許可をもらい、ブルーバーンのメンバーとの飲み会?合コン?いや、食事会のために、近くの店に向かっていた。
「のぎちゃん、行ってもいいの?」
亜美が乃菊に聞く。
「どうして?私だって、ブルーバーンの人たちに会ってみたいもの」
亜美が笑顔を見せる。
「たまには、浮気もいいよね」
「何が浮気よ。お話しして飲むだけじゃない」
乃菊が反発する。
「まあまあ。でも、おじさんが焼き餅やきそうだね」
亜美が面白がって言う。
「たまには、気分転換して来いって、言ったもんねえ・・・」
「ゲッ、寛大なこと。つまんない!」
「何だよ、亜美。生意気だぞ!」
乃菊が亜美の頬っぺたをつねる。
「ごめんなさい・・・」
亜美は、乃菊から逃げて行く。
「あっ・・・」
乃菊が急に立ち止まる。
「どうしたの、のぎちゃん?」
乃菊が、すれ違った女の姿を目で追った。
「のぎちゃん、てば・・・」
亜美が乃菊の肩を叩く。
「あ、何でもない・・・」
乃菊は、何かを感じていた。
メンバーとすれ違った女は、そのまま一人で歩いて行き、やがて人通りの少ない通りに入った。その通りは、夕方の帰宅ラッシュの時間帯にしては、随分人の気配がない通りだった。
女は、仕事帰りに、コンビニで買った菓子パンを食べながら歩いている。
「やだもう、またこんな無意識に買って食べてる。だから痩せないんだよね・・・」
住まいのアパートは、目と鼻の先だった。
「えっ、何なの?」
目の前をしだいに霧が覆って行く。
「どうしてなのよ、まったく。すぐそこなのに、見えないじゃない」
ザッ、ザッ・・・。
霧の立ち込める中、足音のようだ。
「あんた、誰?」
霧の中から、見たこともない風貌の男が現れた。
「あんた、誰?」
女は聞く。
「仇打ちをする、辻斬りだ・・・」
男は答えた。
「何なの、時代劇のつもり。私、そんなの興味ないから、どいて・・・」
男は動かない。
「佐々菜穂美を知っているか?」
男が聞いた。
「知ってるわよ。彼女、馬鹿な女よね。私に彼氏をとられて、自殺未遂までするんだから・・・」
シュッ!シュシュッ!風を切る鋭い音が走る。
「あ、あああ・・・」
女は、首から胴にかけて、十字に切られて、血を噴き出して倒れた。
「う、う・・・」
倒れた女の口から、食べかけの菓子パンが、ポロリと落ち、その菓子パンは、すぐに赤い血に染まる。ピクピクと数回身体が動いた女も、すぐに動かなくなった。
やがて、霧が晴れ、人通りのない道路に、女の死体だけがポツリと横たわっていた・・・。