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同じ心の呪いを  作者: 天野 さくら
8/23

月の余韻の中で




夏休み第一日目の早朝、自転車にまたがり家を出て、決められた順路で一軒一軒新聞を投函していく。





作業自体はちゃんと夜早めに眠れば何てことはなかった。新聞配達が終われば家に帰って寝なおすこともあれば、新聞のチラシ封入を手伝ったり事務所の隅で百子と一緒に宿題をしたりした。





中学2年の夏は、そんなちょっといつもとは違う夏だった。





夏の早朝は新芽の匂いがして、柔らかな明るさに街が満たされる。夏の夜更けの明るさは太陽ではなく、消えかけた月の光の名残のようだ。




灼熱の太陽が昇るまでの穏やかさ。虫の声が胸の奥に少し切なさを呼び起こす。




こんな場景は毎年見て知っていたはずなのに、私は今になってそれが大好きなのだと気づく。





新しい日々は、自分が何が好きかどんなことに心惹かれるのかに気づかせてくれた、改めて自分のことを知る日々でもあった。




自分のことだけじゃない。少しだけ覗いてみた学校の外の世界やそこに生きる人々は、私に色々な事を教えてくれた。







夏の朝は前触れ。私が変われると思わせてくれる期待を秘めた、月明かりの余韻。





そんな夏の風物詩、台風が来た時のことだった。





台風は直撃ではなくかすめる程度だったせいか、雨はほとんど降っていなかったのだが酷い暴風だった。





倉田さんは今日は休んでもいいと言ってくれたが、私も百子も休まなかった。




雨が降ってなかったし、風の中髪の毛をたなびかせながら自転車を漕ぐのが楽しそうだったからというのが理由だった。





内緒の新聞配達に味をしめた私は、そんな更なる非日常を大いに待っていた。



百子の心情も似たようなものだったのかもしれない。





が、現実はそう楽しいものではなく、確かに自分ひとりで漕ぐなら楽しいが前カゴに大量の新聞紙を乗せた自転車を軽快に扱えるはずもなく





駐輪してポストへ投函する間に自転車が倒れて新聞をぶちまけやしないか、風向きや家の塀に少しもたれかけたりできないか難儀した。




でもその大変さも興奮材料だった。私の予想通りだったのは風で上向きに流れる髪の感覚が気持ちいいというだけだった。




そして、全く私が予想できなかったことが起こり続けることになる。




配達の終盤、新聞を投函して、よし!出発と立ちこぎで右のペダルに全体重をかけた時だった。ビンッ!という何かが弾けるような音がして体重をかけたペダルが勢いよく下降して弧を描く。





「えっ!?」





異変に気が付いた時には車体は大きく傾いていて、為す術もなく自転車ごと私はアスファルトの上に横倒しになった。




「な、何が……?」




大きな風が吹いていないのに起こった異変が何か理解できなかった。




倒れた自転車を見ると、カラカラと後輪が勢いよく回っている。




そしてサドルのあたりから、何か黒くて細長い蛇のようなものが車体の下から這い出ている。これは、こんなとこから顔を出してはいけないものだ。





「チェーンが……」







前輪と後輪を連動して回させるあのチェーンが、完全に切れてしまっていた。






慌てて切れ目と切れ目を合わせたが、つながるはずもなく呆然としゃがんだまま横倒しになった自転車を眺めた。






「どうしよう……」






まさかチェーンが切れるなんて。どうしよう、これがないと配達がとてもできない。新しく買う──それじゃ赤字だ




稼ごうとしてマイナスになるなんて、冗談抜きで骨折り損の何とやらだ。どうする。




残った新聞は少ないから自転車を押して走れば何とかなる。でも明日からは?とても自転車か何かないと配達できる距離ではない。




追い打ちをかけるように雨がぱらつき始め、雨に濡れるより早いくらい冷や汗がダラダラ流れる。新聞はビニール袋に包まれているがあまりその耐久性に信用はおけない。





マズイ。これはどうしたものか。住宅街の真ん中で途方に暮れてしゃがんでると、





「何してんの」





突如背後から声をかけられて、ビクッと体が大きく跳ねた。




でも、その声は聞き覚えが。いや聞き覚えどころか何度も心の中で何度も響かせてるあの声だ。





「浅木──」




私が背後を見上げると、風で髪や服を大きく横になびかせている浅木が私を見下ろしていた。




風で前髪が持ち上がり、額を見せたその顔は久方ぶりに目を合わせる事もあってか一瞬本当に浅木なのか確信が持てなかった。






「何かが倒れる音がしたかと思ったら、まさか会沢なんてね」







そう言って浅木は自分が持っていたビニール袋と傘を道の脇に置くと、私の自転車に手をかける





「あっ違うの。自分で起こせるから」




新聞配達のことがバレるのが怖かったわけではなく、浅木に迷惑や負担をかけたくない一心でそう言った。




勝手に浅木のことが好きでいるだけしか駄目なんだ。ここは高塚の家の近くなんだから、彼女にこんな所をもし見られたらまた私はライターになってしまう。




それに今の私の出で立ちは地味なTシャツにショートパンツ、髪は風で乱れた所に雨でぐしゃぐしゃな形でセットされた今までになく酷い格好だった。




それが生活苦の新聞配達のバイトでそんな状況に陥っているのだから、この上なく惨めだ。




「あぁ、チェーンが切れてる」




私の制止をただの遠慮と思ったようで、そのまま自転車を起こすと彼はそう呟いた。




「……直る?」



「これは無理。直んないよ」




そう言ってる間にも、雨の方も次第に激しくなっていく。




「そんなぁ……」




自分でも分かっていたことだが、改めてそう言われると情けない声が出た。





「いや、ところどころ錆びてるし切れるのは時間の問題だったんじゃないかな?」





そう言うと浅木は自分の足元に転がってる物に気づき、拾い上げる。







「これ、会沢の?」






彼が拾ったのは「アイの分30部」と書かれた紙の帯で束ねてある、まだ配っていない新聞だった。






「う、うん」






こんな台風の早朝に、自転車と新聞。




これで完全に私が何をしようとしていたか、バレただろう。




一か月ぶりに彼と話す割に、私の気持ちはさほど高ぶりはしなかった。




夏なのに真っ暗な早朝、風で建物が揺れる音、雨で滲む視界、私服の浅木。何だか色々と普段とはかけ離れていて夢でもみている心地だった。




むしろこんな散々な状態で会うなんて、夢であってほしかった。




「アイって呼ばれてるんだね」




雨風が激しくなったにも拘わらず浅木は慌てる様子もなく、先ほど道脇に置いた傘を手に取る。





「濡れるよ」





そして私と向き合い頭上で傘を開くと、真っ黒な半球状の覆いが雨水の身体への浸食を防ぐ。その中に浅木と私が収まった。




これにはさすがに半分夢心地だった私も動揺する。暴風雨という外界に、傘の下という私達二人きりの世界。




「僕はアイが本名かと思ってたんだけどね、あの、彼女。会沢とよくいる彼女が言ってるから。あれ?聞いてる」





聞こえてはいる、でもこんな状態で言葉まで全て受け止めるなんて、できない。





「新聞配達やってるの?」






1つの大きな黒い傘の下で、向かい合って、2人。






「うん、内緒だけど」




やっと声がでた。夏なのにこんな天気だから寒いくらいなのに、顔が熱い。




しばらくぶりに会うだけで十分だったのに、これ以上その状態に耐えられなかった。




「だから、行かなきゃ。ごめん、ありがとう」




傘の中から豪雨の下へと出た。もう色んなことがありすぎ、早くこの場から去ってしまいたい。





「あっ待って」




浅木は私に追いついて、また傘の下に私を入れた。そして私に傘を持たせると





「僕の自転車持ってくるから待ってて」




脇に置いたビニール袋をつかむと、私の返事も聞かず走っていった。




そうだ、ここからあの浅木家は近い。やっぱりあの浅木家が彼の家だったのか。





一人取り残された私は、自分に起こった展開を完全に理解すると、少し怖くなった。





こんな出来過ぎた事が起きたなら、タダで済むわけがない。あの時みたいに、きっとまた奪われて終わる。




何で彼はそこまでしてくれるのだろう。彼が優しいからだろうか。それとも私が、彼が何かをしたくなる存在になれたのだろうか。





こんなこと、嬉しい、だけど怖い。





幸せと恐怖、背反するその感情が同時に沸くことがあるなんて考えもしなかった。





それから3分としないうちに浅木が自転車に乗って戻って来た。





そして彼に言われるまま自転車を借りて配達を終え、彼の家に自転車を返しに向かったのだった。






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