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同じ心の呪いを  作者: 天野 さくら
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疲れと不安の泥濘





ケータイのアラームがなっている。AM4:45分。




中学生の頃の夢を見て、深夜に目が覚めてそれからまた思い出して……新聞配達で浅木の家を見つけた辺りでまた眠ったのか。




会沢……じゃなく石田沙綾18歳・看護学生の朝。






早くアラームを切らないとボロアパートの壁越しにお隣さんを起こしてしまう。




ケータイのアラームを切って、まずはトースターに食パンを放り込んで焼いてる間に顔を洗って鏡を覗く。




最低限の身だしなみを整えたら、食パンを食べて制服に着替えて5時半には家を出る。




テレビはない。テレビとケータイを秤にかけたらやっぱりケータイの方が大事だ。




幸いにも勤務先の病院は私のアパートから徒歩20分と近い。




平日は朝6時から12時まで病院で働いて、午後からは看護学校へ。



土日は学校はないけれど、一日中看護助手の仕事。2週間に1回丸一日休みがあれば良い方。2か月くらい丸一日休みがなかったのが最長記録か。





病院につくのは始業時間の20分前くらいで、15分前には動ける用意をしなければならない。




白いナース服に身を包んだのなら、実習生も正看護師も関係なく命の重さと作業の負担がのしかかる。





「石田さん、報告がまだだけど」




看護師というのは、どうしてこうもキツイ人が多いのか。




「すっすみません」



別に「まだ」という程遅れてはいない。今まさに報告事をしようとしたところなのだが、先輩看護師が遅いと言えば遅いことになる。





「ったく、あなたはとろいし湯木さんはベットメイキングも満足にできないし、あの看護学校は勉強しかできないのね」





この病院の看護師はどの人も、気持ちの余裕というものが感じられない。




他人のミスを見つけて攻撃して、自分を幾分か楽にしようとしている。そんなことしても、楽になんかならないのに。




「あの子、ホントとろいんだけど」




さっきの看護師が、話相手のもう一人の看護師を通り越して私に聞こえるようワザと大声でそう言う。




「最近の看護学生ってマジでゆとりって感じ」



「ゆとりも何も、石田さん高校に行ってないらしいわよ、履歴書見たけど高卒認定だって」





人の履歴書が閲覧できるなんて、この病院の総務だか人事はどうなってるんだ。





「ゆとりの中のゆとりなのねー。あ、石田さーん、あのおじいちゃんお呼びみたいだから行ってきてくれる?」








看護師の嫌味に耐えながら午前中を終わらせると、1時から看護学校だが病院から学校まで歩いて40分以上はかかる。





だからいつもお昼はコンビニで適当なものを買って歩きながら食べて済ませている。行儀悪いけど。でも残業でそんな行儀悪いことすらできず全力で走って学校まで行ったことは何度もある。




学校に着いたら今度は頭をフル回転させなければならない。ここは全国の看護学校の中でもトップクラスに偏差値が高い。



下手な私立大学の看護過程より座学も実習も相当厳しいらしい。全国の優秀な人が大学の看護学部ではなくわざわざこの学校を受けにくる程だ。



そんな学校の授業だからレベルは当然高く、予習復習をする暇のない私はそれを授業時間だけで何とか内容を頭に叩きこまねばならない。



休み時間も勉強に充てているから友達らしい友達もいない。でも学校と言っても行事や自由行動がないから友達がいなくても特にクラスで浮いたりはしない。



私は「普通」に高校へ行って、浪人もせず「普通」に入学した場合の年齢・学年なのだが、同じクラスには浪人したり社会人になってからまた学生に戻った人等年齢は様々だ。




今まで同じ年度で生まれた子を一括りにしていた中学校までとは違って、当たり前だとか「普通」といえるものがないから「異質」なものが過ごしやすい。そこだけが数少ない救いだ。高校もきっと中学校みたいなものなのだろう。行ってないから分からないけど。





そして5時ごろまで看護の授業を受けたら、放課後は夜までコンビニのバイト。

病院の収入とコンビニバイト代がないと、とても看護学校代とアパート家賃諸々の生活費が賄えないからだ。





そしてアパートに帰宅すれば手洗いやご飯より先に、まず横になって疲れを紛らわす。





「あぁ……」





4時間のバイトが終わり、靴を脱いで床に倒れこむと思わず声が漏れる。



横たわった身体からじんわりと、重力が疲れを床に押し流してるみたいに気だるさが少しずつ心地よさに変わる。1mmだってもう動きたくない。




そしてこうやって楽な体制になった時、ふと気が付く。






私は今何をしているのだろうか、と。







そんな我に返るような感覚に陥る。






いつも確かに自分で意志を持って行動しているはずなのに、私ではない誰かがそれまで動いていたように思えてくる。




これは、分かってて自分が選んだ道なのに。いつも家に帰ると晩御飯どころか電気もつけるのも億劫で、ただ横になっている。




動いてる時じゃなく、そうして横になって真っ暗な中でじっとしている時の方が、生きているって感じがするんだ。






横になった目線の先で、溜まった洗濯物の制服についたプラスチックの名札が、雲間から出てきた月明かりで光ってる。






あぁ、名札外さないで洗濯しちゃったか。その名札に印字されてる文字が、一番私が受け入れたくないものの全て。






石田沙綾。これが浅木と離れ離れになって、もうアイではなくなった私の名前。






名札なんて外して棚の上に置くのは5秒とかからない。でもそれが異常なまでに大変なことに思える。その数秒が惜しい訳でも立ち上がれないほど疲れているわけでもない。





私はあと何度、あと何日何時間何分何秒、こんな身も心も削るような生活をすれば良いんだろうか。どれだけ頑張ればもう一度浅木に会えるのだろうか。




その答えのでない不安が、たった数秒の動作も異常なまでに重いものに変えた。




本当はもう何もしたくない、考えたくない。



けど、それじゃきっと永遠に浅木に会えない。




もっとしっかりしなきゃ、浅木にたどり着けない。





けど、今だけ───





幸いにも明日は休みだ。動くことも考えることも放棄して、外気で汚れた身なりのまま泥のように床に密着して眠りについた。







そして疲れと不安の泥濘の中で、あの頃を再演する。




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